2023/10/24

 ヴィーナスフォートはお台場パレットタウンにあったテーマパーク型ショッピングモールである、私は昨年春ヴィーナスフォートのまん前でロケがあり、久しく来てないなと思って昼休憩の間に中に入ったのだが、ひと気がまるでなく廃墟のようでビックリした、中世ヨーロッパの町並みを再現したモールも凝った照明が影をひそめあっけらかんと明るいのにも驚いた、これはあかんと思ったのだがそれも当然で半月後の閉館を控えていたのだった。
 やっているときは足を運ばず閉園となると集まってきて別れを惜しむ遊園地マニアのようで気が引けるが(ヴィーナスフォートは営業期間21年の間に4回くらいしか行っていない)この凝った内装はもったいないと思った。
 それが今般再びテーマパークとして復活するという、以前はテーマパーク風であるだけでショッピングモールでしかなかったのだが、今回はアトラクションを展開するというのである、大いに期待、といいたいところだがその内容が「イマーシブシアター」であるというのが不安である、イマーシブシアターとは観客が物語の登場人物となる参加型アトラクションといったものでWikiによれば「観客一人一人は、社会的な役割としての「観客」を離れて、劇中で何らかの役割を与えられた人物として行動することになる」とのことだが、はっきり言ってイヤな予感しかしない。
 かつてディズニーランドにあった参加型アトラクション、シンデレラ城ミステリーツアーでは最後の「勇者になりたい者はいないか!」で誰も手を上げないことが多々あった、そのため後年は案内のお兄さんが「君が勇者になれ!」と勇者の剣を観客に押しつけていた。ジャングルクルーズの船長のセリフは本家の台詞をそのまま直訳したということだが観客の反応が薄くついには「皆さんすこしは反応してくださいよ、私も一人で騒いでいると恥ずかしいんですから」とぶっちゃけるキャストも居た(気持ちはわかるが叱責ものだろう)ディズニーシーのヴェネツィアン・ゴンドラではゴンドリエ(こぎ手)が「それではここで一曲歌いましょう帰れソレントへとオーソレミオ、どちらがいいですか?」と聞いても乗客が反応しないので困っている。
 日本人は、というかUSJのウォーターワールドなどでは観客はノリノリなので東京人は、なのかもしれないがこのタイプのアトラクションにちゃんと乗ってくるかどうか怪しいと思うのだ。
 来年4月には開業、ということは内装に大幅に手を加えるわけではないということでつまりはソフト依存のアトラクションということになる、う~む。


2023/7/29






 十数年ぶりに自動車を買い換えた。自動車も今や半導体の固まりでありカメラが7個、レーダーが10個、その他の各種センサーは無数に付いており、それらは全部コンピューターにつながっている。自動運転もレベル2が実装され車は前走車と一定の距離を保って走行し、前が停止すれば適度な距離をおいて停止する、カーブにさしかかった時勝手に動くステアリングを目にすると未来がここに! という気分になるのだが、真に未来を実感するのはそういうわかりやい部分ではなかった。
 今の車のキーはスマートキーと呼ばれる電波発信機になっていて、使用者はそれを身に付けていさえいれば(私のように財布の中に入れておけば)取り出したり差し込んだりせずともロックされたドアを開けることが出来るのだ。
 なにか新しい機構を体験するたびに「おお」とか「これは!」とか言っていた私だが、この3ヶ月の間に密かに、確実に、自分では自覚せぬままこの未来カーに同期していたらしい、先日仕事で会社の車に乗ったのだが、1日に何度もロックを外さないままドアを開けようとして手をはじかれそのたびに、どうして?!と思ってしまったからだ。

 話は変わるがかつては「宇宙飛行」と言ってもその活動時間はせいぜい数日くらいのものだった、それが飛躍的に伸びたのは国際宇宙ステーションが出来てからだ、長期滞在クルーと呼ばれる宇宙飛行士達のステーション滞在日数は平均5ヶ月半となっている、彼等は長期間の無重力によって筋力や骨密度が低下しており、地球に帰還すると1ヶ月半程度の入院、臥床が必要となる。病院関係者によると長期滞在クルーには一つの特徴があるらしい、彼らは使用後の体温計を空中に置こうとして落とすのですぐに判別が付くのだという。



2023/6/16





 冷たく暗く風も騒がぬ冬のひと日を私はひとり電車に揺られ、奇妙な山野をゆき、夕闇ようやく迫るころついにそのスマホ公式店舗たどり着いた、どうしてなのか私にもわからないがそのショップを一目見て私は耐えがたい憂いを覚えた 
エドガー・アラン・ポー「アッシャー家の崩壊」より(嘘)

 最近駆動時間が減ってきたなーと思っていたスマホだが、ついに帰宅途中に「緊急省エネモード」に移行するという事態となり、バッテリーを交換せねばと思ったのだがこの瞬間私の脳裏には赤く染まった街が浮かびあがり、ついでたとえようもない不安を覚えた(本当)
 といってオカルトな話ではない、バッテリー交換は2度目なのだが前回は3年前、2020年の3月末、コロナによる緊急事態宣言の1週間前だったのだ。
 前年の暮に中国で原因不明の肺炎が流行っているというニュースを聞き、対岸の火事と思っていたところ1月になって日本で感染者が確認された、政府は水際対策は万全といい、感染経路は把握しているとしていたがやがて経路不明の市中感染が始まり、ダイヤモンドプリンセス号という事件が起こった、我々が目にしたのは3700人の乗員乗客が治療も薬もなくただただ隔離され、感染した人がすべて発病するまで待つことで感染者と非感染者を分けるという大航海時代の検疫となにもかわらない処置だった。21世紀の今感染したら後は運を天に任せるだけなのか?これはヤバイのではないかと思ったが感染予防に唯一効果があるとされたマスクは店頭から姿を消し、各地でクラスターが発生し、小中学校の一斉休校が行われ、パンデミックが宣言され、週末の外出自粛が要請され、感染者は右肩上がりに増加し、オリンピックは延期となった。
 「人々がうろたえはじめた時、災厄は、すでにアクセルをいっぱいふんで、恐怖の傾斜を、前のめりにつっこみはじめた。」(「復活の日」小松左京)というわけだ。
 しかし世間は表面的には何ごともないように動いていた、小中学校以外の学校は普通に授業が行われ、企業は他が休業しないのにウチだけが休むわけにはいかないとビクビクしながら横目であたりをうかがいながら通常業務をこなしていたのだ、もちろん撮影も。
 そんな時スマホのバッテリーが寿命になった、持ちが悪いどころではなく気がつけばスマホの背面カバーが象を飲み込んだ蛇のように膨らんでいたのだ。調べると新宿に公式ショップがあり持ち込むとその場で交換してくれるという、新宿などウイルスの巣窟にしか思えなかったが早急な交換が必要だった、なので仕事が早めに終わったある日私はひとり電車に揺られ新宿に向かったのだった。
 新宿はいつもと変わらず賑わっていた、その公式ショップは家電量販店の地下にあったのだがそこも混雑していた、うへぇと思ったがスマホは仕事に必須なものである、私は息を詰めるようにしてショップに向かった。
 作業終了まで1時間ほどだという、私は逃げるように外に出た、場所は紀伊国屋のそばであり1階から5階まで冷やかせば1時間くらい簡単に時間を潰せそうだったが入る気はしなかった、カフェなどは随所にあったがもちろん入らなかった。そして新宿通りから靖国通り、明治通りとあてもなくただただ歩いて時間を潰したのだった。この時に感じた不安感、これからもっと悪くなるに違いないという予感(確信)と夕陽に染まる新宿のビル群はどうやら自分で思っていた以上に私の記憶に強く刻みつけられていたらしい、3年過ぎた今「バッテリーを交換しなければ」と思うと赤い街と不安感が蘇るほどに。

 思うのだが、なんで当時バッテリーの交換を自分でしようと思わなかったのだろうか、今YouTubeで「機種名、バッテリー交換 セルフ」と打てばいくらでもバッテリー交換動画が出てくるし、交換用の互換バッテリーもAmazonで入手出来る、出来ることは自分でやってみたい人間の私が当時それを思いつかなかったのが不思議だ。
 というわけで(?)リベンジとして今回はバッテリーを自分で交換してみることにした。
 やって驚くのはスマホが両面テープで貼り合わされているということだった、私のスマホはIP67の防塵防水性能を謳っているのだがこれは「水深1mで30分水の浸入がない」ということなのだが、これが幅わずか2~3ミリの両面テープで担保できるというのが驚異である。ついでに言えばUSB端子などはむき出しである、どうなっているのか?

 交換バッテリーには両面テープの他、簡易な時計ドライバー、コネクタ外し用のピンセット、背面カバーを引っ張る吸盤、カバーのすき間を広げるためのプラスチックカードなど、必要なツールが一式付いている(時計ドライバーなどはプラスチック製の安っぽいもので使い勝手などは不明だが)なので、よほど不器用な人間でないかぎりは交換作業は可能だろう、それでショップの半額以下なのだからお得である、お勧めしたい・・と言いたいところだが。。

 
1・Amazonで見ると互換バッテリーは値段の安いものから高いものまで無数に出品されている、規定の容量がなかったとかすぐ壊れたという報告もあるので先人の記事、動画を見てどのバッテリーを買うべきか充分に検討する必要がある。
2・交換作業中にスマホを破損した場合、おそらく公式ショップでは修理に応じてくれない(破損の内容にもよるが公式外のショップに持ち込めば修理は可能かもしれない)
3・自分でバッテリーを交換すると改造となり電波法違反になるという意見がある。一方電波法は「違法な改造」(具体的には出力をアップするなど)を禁止しているのであって同等品に交換することまでも禁止しているわけではないとする意見もある。まあ互換バッテリーは普通に入手できるし電波法違反で捕まったという話も聞かないのだが(というかバッテリーの交換を電波管理局が把握する方法はない)

ということで、この記事はバッテリーの交換を勧めるているわけではなく、交換は自己責任であるとして終わりにする。


2023/3/7



 「未来忍者」(1988年 雨宮慶太初監督作品)は私がまだ助手だった頃に参加した映画である、内容はロボット忍者軍団「黒鷺軍」と武士「諏訪部家」が戦うというサイバーパンク時代劇だ。
 上の写真は敵に捕らえられてしまった姫を奪還するため諏訪部家が決死隊を編成しているシーンである。参加を希望する者は侍大将に自分がどれだけ気合いが入っているか示す必要があるのだが、それを計測するのが各自の頭に装着されている「気合い度メーター」(?!)だ、これを装着した状態でエエイ!と叫ぶと気合いの入り方がデジタル表示(漢数字!)される仕組みになっている。



 侍大将曰く「足手まといはいらねぇ」というわけで気合い度が八十以上ないと決死隊には加われない。和風サイバーパンクとして出色のガジェットだと当時思ったのだが。




 上はトッパン・フォームス・セントラルプロダクツ、下は東急不動産ホールディングスの気合い度メーター・・ではなく脳波計である。装着している人間が集中しているか、リラックスしているかなど各種の状態が数値として読み取れる装置らしい。
 トッパンの工場長は「昔はミスがあれば『気合いがたりない』と言われるようなこともありました」と言っているのだが、それはつまり「今は気合いをちゃんと数字で見ています」というよう意味ではないのか。
 どちらの記事も使用者側から書かれているので社員が集中して作業出来る環境を整えることが出来るようになるなどと良いことのように書かれているがこれはけっこうヤバイ仕掛けではないかと思う。


 この両社はともかくとしてもトッパンはすでにこれを30社以上に販売しているという、世間には社員が1時間に何回キーボードをタッチしたかとか、一日に何回トイレに行ったかを記録して勤務評定に反映させる企業があるわけで、そういう企業ならこれを当然のように社員管理に用いるだろう。勤務時間中は集中度を80以上を持続すべし、出来なければクビなどという社会がやってきたらデストピアである。

2023/1/11

 池田憲章が亡くなった、特撮研究者、SF評論家、怪獣博士、いろいろな呼び名を持つ彼は中学1年からの付き合いだ、中1の時に同じクラスとなりSF好きの同士であることを知って我々は意気投合した、そしてSFの普及と啓蒙のためのグループを作り、ガリ版刷りの同人誌を発行し、中高6年を通じて文化祭に(クラス展示として、図書委員会として、有志展示として)参加した。
 


中1の時の文化祭「SFとは何か?」という主題のクラス展示
(テーマはゴリ押しで通した)で解説を務める池田憲章


 なぜにそこまで入れ込んだのか、今からは想像も付かないと思うのだが当時SFは世間一般に浸透しておらず、SF小説などは読む価値もない(ことによれば悪書扱いされる)という状況だった。実際一般の人に「SF」というと新製品普及協会(プレゼントで吊って人を集め高額な商品を買わせる今で言う催眠商法)か?と言われることもあったほどだ。SF小説ですらそれであり、ましてや特撮番組などは論外、大人の見るものではないものとされていた。
 「そうじゃないんだ!」というのが池田憲章の原点だったと言えるだろう(私は道なき道を脇目もふらず突き進む彼に引きずられて行っただけだ)




当時作ったガリ版刷りの同人誌、謄写版などなかったので原紙にインクを乗せ下敷きでこすって印刷した
シルクスクリーンのような感じだが原紙はそのような扱いを想定していないのですぐ破れ枚数はあまり刷れなかった


 さて中高一貫教育だった我が校は高校2年までに高3までの課程を履修し、部活動も委員会も高2で引退して3年生(ご隠居と呼ばれる)は受験勉強に打ち込むという進学校だった、なので11月という追い込み時期に開催される文化祭に3年生が参加しないのは当然だった(3日間の自宅学習と捉えられていた)しかしネット環境などない時代多くの人が集まる文化祭は我々の活動にとって得がたい舞台だった、有志参加には学校の許可が必要なのだが文化祭は高2までという決まりがない(あまりにも当然であるので)ことを理由に我々は強引に参加をもぎとった(進学校であるにもかかわらず我が母校は自由を重んじ「人と違っていることは良いことだ」という理念があって生徒が筋を通せばたいていのことは多めに見てくれたのだ)
 許可さえ得られればこっちのもの(!)文化祭実行委員会は一番上でも高2なので我々は先輩風を吹かせて(!!)良い場所を獲得した。
 ここでの展示内容が池田はSFの普及を主体とするパネルセッションであり、私はミステリーゾーンの向こうを張った8ミリ映画の上映(主演、監督、撮影すべて私)であったことは今にしてみればすいぶん象徴的なことだったと思う。

 池田はその後もブルドーザのようにばく進し、書きに書き、語りに語って唐突にその生涯を終えた、安らかにと言っても無駄なのはあきらかである、池田憲章は行った場所がどこであれ相手が誰であれSF映画がいかに素晴らしいか、円谷英二やジェリー・アンダーソンがいかに偉大かを説き続けるに違いない。

2022/12/20




 家のTVが突然壊れた、マトリックスのタイトル画面のようなノイズが全面に現れ見るに絶えない映像になってしまったのだ、TVのない生活には耐えられない(そうか)
 まったくの不意打ちだったのであわてて昨今の薄型TV事情を調べるはめになったのだがそこでわかってきたことがあった、それはTV用映像パネルの高精細/高画質技術は頭打ちになってきたということだ。11年前にこのTVを購入したときはハイビジョンと銘うっておきながら1280×720ドットのなんちゃってハイビジョンTVも多く店頭に並んでいた(1280Pでもハイビジョン規格の一部なのでウソではないが、量販店の販売員は聞かなければそれが1980Pの「フルハイビジョン」でないことを言わないので詐欺に近いと言えるだろう)
 それが今や4K(4096×2160)でなければTVにあらずという情勢である。家庭用のTVであればもはやそれ以上の解像度は必要ない、なので各メーカーともにコントラストの強化やアップスケール技術で覇を競っている(※地上波デジタル放送は1440×1080ドットなので横4096ドットのモニターに表示するためはドットを補間する必要がある、それがアップスケール技術であり元々無い絵をどう作っていくかがメーカーの腕の見せ所になる)
 あとはサウンドの強化とかネットとの親和性向上などだが、もはやそれは末端の技術でしかない、技術革新が止まれば高コスト体質の日本のメーカーは海外メーカーに太刀打ちが出来なくなりTVはいずれはジェネリック家電となって海外メーカーか日本の後進メーカーの取り扱うものになるだろう(これをコモディティ化と言う)
 とはいえそれはもう少し先のことであり今のところまだ上位機種は激戦区となっている、技術革新の余地が少しでもある限り日本のメーカーにアドバンテージがあるのだ。
 ということで今どき一番いい機種(私の場合は映像オリエンテッドなので映像の美しさが一番だが)を買おうとすると、高画質/高精細化技術のアピール合戦になっている、カタログを開くとAI超解像技術だの広色域量子ドットだの認知特性プロセッサーだの客を丸め込む気まんまんのジャーゴンだらけだ。
 どれもうさんくさい(!)のだがSonyの「認知特性プロセッサー」はひときわ怪しい、これは表示された画像のうち視聴者がどこに着目しているか判定しその部分だけを高精細、高画質化するという技術だ。たとえば人が映っている画像では視聴者は背景に注意を払わなくなるので人物だけ高画質化するという例があげられているのだがそれってどうなのと思わざるを得ない、というか手前で決めポーズをとっているウルトラマンの背後で起こる爆発に血道を上げている私への挑戦ではないのか。
 時間をかけてビッグデーターと照合しAIが分析するというならまだしも、リアルタイムで絵の要素をランク付けされてはたまらない。
 私は元々Sony党でこの壊れたTVもSonyのブラビアだ、以前書いたスマートウォッチ風時計バンドwemaもSonyだし、ウォークマンも最近買い換えたしヘッドフォンもワイヤレスイヤホンもSonyだし、事業がSonyから分離される前はデスクトップPCもノートパソコンもVaioだった、つまりはデジタルガジェットならなんでもSonyという信者なのだがこれは無い、ということで今回ブラビアは候補から脱落した。そもそもその高画質/高精細というのも部分的に彩度を上げる、コントラストを強くするということで元絵に部分的に手を加えるということだ、生放送はともかく映画/TVドラマの完成画像は監督、カメラマンが心血をそそいで画像/色調調整した結果の作品なのだTVに最終調整されたくないだろう。「俺の撮った絵に手を加えた監督とは2度と仕事しない!」と吠える知り合いのSカメラマンもこのモニターは買わないに違いない。


2022/10/20




 昔むかし第一次AIブームというものがあった、コンピューター技術の急速な発展により遠からず「人工知能」が生まれるだろうと期待されたのだ、しかしそれはかなわなかった。
 のちに記号接地問題(Symbol grounding problem)やフレーム問題(Frame problem)と名付けられた課題を乗り越えられなかったからだ、ごく簡単に言うなら人が当然のように身につけている「常識」をコンピューターに教え込むことが出来なかったということだ。

 たとえばの話、花とは何であるかコンピューターに教えることは難しい、花弁は1枚のものもあり、2枚のものもあり、3枚のものもあり~300枚のものまである。色は白もあり赤もあり黄もあり~黒もある、つまり何かしらの基準を元に判定することはできないのだ、しかし人は花を見ればそれが花壇に咲いている花であろうと花瓶の花だろうと、木の枝だろうと地面から直接生える花であろうとそれが花だと認識する。
 ひとくくりに説明できないならばとこの世の花を全て詳細に記述して照合するというのも現実的ではないだろう、そんなことは不可能だし、可能だったとしても人はそのようにデーターを個別に照合して見たものを判定しているわけではないので、そこから生まれたものは人工知能「人間にしかできなかった知的な行為(認識、推論、創造)を代行出来る装置」ではないだろう。
 
 私としては「月は無慈悲な夜の女王」(ロバート・A・ハインライン)に出てくるマイクのように人のように考え、話し、時にはジョークを言うコンピューターと早く対面したかったので残念に思ったのだが、たしかに常識って教えようがないよなぁと当時は思ったのだ。
 そして常識を教えようがないなら、創作などとうてい不可能だと思っていたのだが・・・

 私のスマホ、もう何年も使っている機種だが食べ物にレンズを向けると、画面に「FOOD」と表示される、ハンバーグでも寿司でもソバでもそれが食い物であると判定するのだ、たこ焼きなど汚れたテニスボールだと判定してもよさそう(!)だと思うのだが間違えない、シンボル・グラウディング・プロブレムどこへ行った、いつの間にか解決していたのかよと思っていたのだが・・・
 さすがにお題を与えると絵を描いてくれるソフトがあるのだと聞いた時は、エっ?!と思ったのだった(←コンピューターはダジャレの夢を見るか?)
 それはお題(言葉=シンボル)と絵(現実に存在する何か)がキチンと接地していないと不可能なことではないのか。また「××の上に乗っている○○」というお題があった場合「物は支えがなくては落下するが別の物体があればその表面に留まる、これを乗っていると言う」といった「常識」がないと絵にならないのではないか?
 こちらの意をちゃんとくみ取れるのか?まともな絵になるのか?と思ってお絵かきサービスの一つ「Midjourney」に登録した。
 「お題」は英語で与える必要があり、単語の羅列より文章形式のほうが良いという話なので「Monolith on the moon surface」と打ってみた、すると見本としてサイズの小さい絵が4つ生成される、望むものとあきらかに違っている場合はお題からやり直しである、そうでない場合ユーザーはその4つの中の一つを高解像度で描写する(清書)か、4つの中の一つを選んでその絵に似た絵を更に4つ生成するよう指示出来る。私の場合は最初からかなりイケてる画像が生成されたのでその中の一つを高解像で書き直してもらった、冒頭の絵がそれである。

 MidjourneyはPOPな絵、アニメ絵、油絵風などさまざまなタッチの絵を描き分けるが、ユーザーの反応を見て学習し生成する画像の方向性を変えていくので今や暗く重々しく壮大な印象を受ける画像が得意なようだ。




公開されている画像
お題は「Sky Castle Crystal」 だけ、なんだかわからないが凄い


 結局諸々の問題はビッグデーターとディープラーニングというごり押しで解決したらしい。世間に存在する多くのAI(Artifucial intelligence)と同じである、このインテリジェンスが本来の意味での「知性/知能」なのか微妙なのも同様と言えよう。
 『チューリングテスト』(判定者がキーボードとディスプレイを介して機械と会話し、相手が人間か機械か判定できなかった場合その機械には知能があると見なす)を提唱したアラン・チューリング(コンピューターの父と呼ばれる男である)ならこのソフトに知能があると言うかもしれない。

 さてしかし、我々はついに人に代わって絵を描いてくれる機械を手に入れたのだ、これは人の文化に大きな変革をもたらす可能性がある。これまで画家とは絵の才能を持つ一部の人のことを指したがこれからはソフトを適切に扱える人のことも指すようになるかもしれない。人間のイラストレーターに「4つ描いてみてよ、良いの一つ選ぶから、とか完成したところで悪いけど、この主人公男じゃなく女にしてくれない」と言えばブチ切れるだろう、しかしAI画家は気にもとめない「完成品を元にして細部を詰める」という従来あり得なかった手法で作画することが可能なのだ。
 (Midjourneyは無料プランだと誰がどんなお題を出してどんな画像を生成しているかがまる見えだ、なので簡単なお題で壮大華麗な画像を生成している達人もいれば、何度書き直しを要求しても希望の画像が出ないらしいユーザーがいることも見てとれる)

 Midjourneyの画像だけを使って「セフィロスとラーメン」(セフィロスはFF7のラスボス)というギャクマンガを描いている人もいる、生成された画像からお題を類推するというクイズを考えた人もいある。面白くなってきたぞと思ったのだが、先日「洪水に見舞われた街」というフェイク画像を公開した愉快犯が出現した、こうした社会に不安を与えるような画像が頻出するようになればAI画像サービスは許可制だとか、発表する場合は身元証明が必要とか、画像には透かしを入れろとか規制がかかる可能性もある、悪用されたおかげで便利なツールが使えなくなるといい例は過去にいくらでもあるのでやめて欲しい。





同人の「字書き」専門の人にも朗報だろう、
これからは絵描きの相方を探さなくとも表紙絵、イラスト付きの本が作れるようになるのだ。



2022/8/26




 ISSの船長も務めたことのある宇宙飛行士が宇宙映画について語る動画を見た。タイトルが『元宇宙飛行士が「宇宙映画」の矛盾点を解説』というものなので科学的な矛盾を指摘するものと思ったのだがその多くが宇宙飛行士のメンタリー、資質について語るものだったのが新鮮だった(考えてみれば宇宙映画の科学的側面については宇宙飛行士でなくとも語れるのだ)
 その典型的な例が「ゼログラビティ」だ、スペースシャトルが宇宙デブリに破壊されサンドラ・ブロック演ずる女性宇宙飛行士が宇宙空間に取り残されるお話なわけだが、事故の瞬間シャトルのクルーがてんでにヒューストンを呼ぶのを氏は「助けがすぐ来るとでも思っているのでしょうか」と切り捨てる。そして救助に向かうにあたって誰かの許可を求めるのは非合理で宇宙飛行士らしくないとも言う。宇宙空間に放り出されたサンドラ・ブロックがパニックになるくだりは「宇宙飛行をリアルに表現するという観点から見るとひどいシーンである」と述べている。

 ならばリアルな宇宙飛行士とはどんなものであるのかというと、それはマット・ディモン演ずる「オデッセイ」のマーク・ワトニーらしい。火星に一人置いてけぼりにされたワトニーは次の火星ミッションまで自分の知識と経験をたよりに生き延びていく、過酷な環境にあっても彼は悲観的になることも深刻になることもなく、むしろジョークを飛ばしながら楽しげに活動するのだがそれこそが宇宙飛行士の資質であるらしい。

 そういえば「アポロ13」ではメンバーの一人が風疹にかかった可能性があるとなった時、NASAはメンバーを交換して予定どおりミッションを行うか、ミッションを別のクルーに譲るかの判断を船長ジム・ラヴェルに一任してる、つまり宇宙飛行士は(制度上は誰かの配下であるのかもしれないが)誰かの(NASAの)指揮下にあるのではなく自分の事は自分で判断して行動できる独立した存在であるということらしい。(そういえばワトニーも地球からの指示はいっさい聞かない)「宇宙飛行士は皆エリート中のエリート、スーパーマンなのだ」という話を聞いたことがあるのだが、この動画を見てそれがどういう意味であるのかわかった気がするのだった。

 ちなみに世界最高の宇宙映画は「2001年宇宙の旅」であり、最低の映画は「アルマゲドン」であるらしい、それは宇宙飛行士ならぬ私でも概ね同意である。



2022/6/23




 映画/TV業界では帰りの電車がなくなるとタクシーで家に送ってくれることになっている、これを「宅送」あるいはは「送り」という。 昔むかし「ガメラ」をやっていた頃は電車で帰るほうが珍しいくらいの勢いで送りがあったが昨今は予算的に締められ「時間内に終わらせろ」というプレッシャーが現場に(特に監督に)強くかかっている。
 ということでしばらく送りはなかったのだが先日およそ1年ぶりくらいに大残業となってタクシーに乗った、乗って驚いた。運転席回りが液晶モニターだらけなのだ、聞けば「通常のナビ」「TAXI GO(スマフォでタクシーを呼べるアプリ)」のモニター、「営業所とのデーター通信用モニター」なのだという、ついでに言えば料金メーターも走行料金の他に深夜割り増しの値段も表示する液晶画面だし、モニターというほどでもないながら後付けのデジタルメーターがあちこちにありコックピットという言葉がピッタリくる情景なのであった、運転手さんもたいへんだ。

 一方助手席の裏側には乗客向けのもっと大きなモニターがあってここではCMを流している。タクシーの利用者はビジネスマンが多いのかすべてビジネスソリューションのCMなのだが、これがみなステレオタイプなのだ。
 曰く「顧客対応に時間を取られて本来の業務が進まない、業務を拡大したら在庫管理が膨大になった、テレワークしている社員の勤怠管理はどうすればいいんだ」と社員/中間管理職/社長が頭を抱えているとイケメン(または出来るオーラー全開のキャリアウーマン)がサッと出てきて『その問題、我が社の××にお任せください』と言う。そしてクラウドがネットワークでAIして云々と説明を始め、社員/中間管理職/社長がフンフンとうなづいているかと思うと、画面は明るい職場風景へと変わり、社員達がイケメン共にダンスをして終わるという構成なのだ。どれも同じ企画書で作っているのかと思われるほど似ている。これはTVでもよく見るタイプのCMではあるのだがTVの場合は番組の間に流れるだけだし同じタイプのCMが続くわけではない、ところがこれは数本のCMが立て続けにエンドレスで流されるのだ、飽きるし呆れるし、まあ私には必要ではないビジネスソリューションなので(デジタルとは縁遠い職種なので)余計そう思うのかもしれないが、このCMをここでこの方法で流すのは悪手ではないのかと思う。
 少なくもこの中の「CMを作りたいがどこに発注したらいいのかわからない」「各種メディアで広告を打ったがその効果がわからない」『その問題我が社にお任せください!』と言っている会社には頼まないほうがいい。



2022/02/17



 お台場でロケがあったので昼休みにダイバーシティ前のユニコーンガンダムを見てきた、東京オリンピックでBBCが「トランスフォーマー」と書いてさんざんに叩かれたやつだ。
 私はガンダムに思い入れはないがこうして実物大の巨大ロボットを見ると心躍るものがある、ファンであればどんなに感激するかと思うとうらやましい限りである。


2021/12/25

 タスクバーに見慣れぬアイコンが出現したと思ったらWindow11へのバージョンアップのお知らせだった。
 これまでにも情報を集めていたが「バージョンアップは必要ない、特に個人ユースなら」というものが大半だった、なので無視しようかと思ったのだが、新し物好きだし、元に戻せるらしいし、自分で経験してみないことにはなんとも言えないしと言い訳(誰に?!)して実行してみた。




 見た目としては壁紙がカッコよくなった他驚くほど変化がなかった、デスクトップのアイコンやタスクバーのアイコンが中央寄せになるのが一番の変化だったが、これはどうみても改悪だ、左寄せであれば左に配置したアイコンはずっと動かない、つまり初期にインストールしたアプリ(重要な基本アプリが多いと思われる)はアイコンが増えても同じ位置にいる、しかし中央揃えだとアイコンが増えるにしたがって位置が変化するのだ、これをなぜ良いと思ったのか。ということで設定でアイコンを左揃えにするともう10と見分けが付かない。
 新機能のうち、新しいユーザーインターフェースについては特段の変化を感じなかった。ウイジェットって仕掛けは昔からおよびじゃない。複数のデスクトップを瞬時に切り替える仮想デスクトップが(昔の「ボスが来た」スイッチのようで)便利そうだったくらいだろうか。
 問題なのは互換性だろうということで日常使用するソフトを一通り起動してみたが問題は生じなかった、もっとも全てのソフト、ゲーム、ユーティリティを動かしてみたわけではない。実のところ代替ソフトがないのでWindow95あたりから使い続けているフリーソフトが少なからずある、なのでそのあたりに若干の不安があるのだがWindow10へのロールバックは10日以内に行う必要がある、10日を過ぎると元に戻せなくなるのだが全てのソフトの全ての機能をこの10日の間に試すことなどできない、後戻りできなくなった後使えないソフトが出ても困るので元に戻すことにした。

 カッコイイ壁紙は別途ダウンロードすることが可能だった(個人的利用に限り使用することができる)OSが11じゃないと使っちゃダメとは書いてないので10で使っても問題ないだろう、ということで10に戻った(心引かれたのは壁紙だけだったのだ)

 ロールバックは設定>システム>復元で行う、「以前のバージョンに戻す理由をお聞かせください」というアンケート画面が出る他は「システムの復元」とほとんど変わらない、かかる時間も同じようなものだ、バージョンアップの際は小一時間かかったがそれはファイルのダウンロードに時間がかかったせいだ(マイクロソフト側の送り出しが遅いのだと思う)ロールバックのためのバックアップファイルはPC内に保存されているのでものの数分で終了してしまうのだ、しかしここまで早いと実はたいしたことやってない(たいして中身が変わっていない)のではと思わざるを得ない。アプリに対する互換性も高いわけである。

 ということで結論としては世間の評価と変わらないものだった。この評価は来年になってAndroidとの連携というイチオシの機能が解禁されれば変わる可能性がある、何しろAndroidアプリがWindowsのアプリと同時実行出来て、Windowと同じ操作感で利用できるというのだ、アプリ間でデーターのコピー&ペーストも出来るという、期待の新機能といったところだが実行可能なのがAmazon Appstoreで提供されるものに限るというあたりが不安のタネである。KindleFireと同じアプリしか使えないのではないかということだ。知っている向きも多いと思うがKindleはAndroidベースのOSで動いているが、GmailもGoogleマップもGoogleカレンダーも搭載されていない、GooglePlay自体がインストールされていないのでそれらをインストールすることも出来ないのだ。来年Androidが使えるようになるといってもスマフォで普段使っている豊富なAndroidアプリは使えない可能性が高い。
 (KindleにGooglePlayをインストールする裏技があったりするので、いずれWindows向けにそういった技が公開されるのはあきらかだが規約違反にならないかはチェックする必要はあるだろう)

 さてその後しばらく経った後、PCを起動したところ突然以下のような画面が出現した。




 「取得する」「アップグレードを拒否する」の選択肢しかなくこの画面をスキップすることが出来ない。取得するつもりはないわけだが「拒否する」と言うような強い気持ちあるわけでもない。
 何これ踏み絵なの?拒否したらもうアップグレードしてやんないからね!っていう脅迫なの、そもそも起動直後のブルースクリーンなんて心臓に悪いんだけど、とサブマシンを立ち上げて調べたところ拒否を選ぶと更に以下のような画面に遷移するらしかった。



 ここにはちゃんと「今は何もしない」という選択肢がある、後で何かする余地があるんじゃないか、というわけでこの怪しい画面をパスするには「アップグレードを拒否する」のが正解なのだった。念のためスタート>右クリック>設定>更新とセキュリティと進むと




 という項目があるのでアップグレードの権利が保持されていることは確認できる。
 ちなみにこの無償アップグレードいつまで可能なのかということだが「Microsoft は無料アップグレードに対するサポートをいずれ終了する権利を留保します。この終了日が 2022 年 10 月 5 日より前になることはありません。」ということなので早ければ後10ヶ月で態度を決める必要があるだろう、まあアップグレードしないという選択はあり得ないわけだが。



2021/11/21




 Facebookが提供するVRヘッドセット「Oculus Quest 2」(オキュラス クエスト2)を触ってみた、人から借りたものでチュートリアルゲームを少し触っただけだがその可能性の一端に触れることは出来たと思う。

 まず驚くのがその軽さだ、ヘッドセットも軽量だがプレイに至るまでのセットアップが異常なほど軽いのだ、持ってきたけどちょっとやってみる?と言われヘッドセットを装着すると即仮想空間だ。私の所有するHTC-VIVEはプレイするにあたってまずは確保したプレイエリアにベースステーションというレーザー発振装置を2個取り付け、ヘッドセットとPCをUSBとHDMIケーブルで接続し、PCにアプリケーションをインストールしなければならない。当然ながら誰かの家に持っていってちょっとやってみるというわけにはいかない。

 Oculusは違う、なにしろバッテリーで動作し単体でプレイ可能なのだ、配線も何も必要がないあたりことによると家庭用ゲーム機を持ち込んでプレイするより簡単かもしれない。
 お値段も3万台で、HTC-VIVEが発売当時本体が10万、PCも30万程度するハイスペック機が必要だったことを考えると隔世の感がある。

 入手しやすさ、可搬性、プレイするまでの容易さ、そういった全てのフットワークが極めて軽いのだ、さすがFacebook傘下のゲームマシンと言えるだろう、これならSNSノリで「VRをみんなで楽しもう」というプレイスタイルが可能になるだろう。

 とまあいいことばかり書いたが当然長所と短所は裏表である、VRヘッドセットはそれを装着したプレイヤーに仮想空間の3D映像を見せている、プレイヤーが頭を動かせばその動きに対応した映像を遅滞なく生成する必要があるわけだがそのためにはヘッドセットの動きを正確に計測する必要がある。
 Oculus がHTC-VIVEのような外部機器を使わず単体で動作するのはヘッドセットの動きをインサイドアウトという方式で取り込んでいるからだ、これは取り付けられたカメラで周囲の映像を取り込みその映像を解析することでプレイヤーの動きを判定する方法だ、しかしこれはCPUの負荷が高い、結果ゲームに振り向けるリソースが減って凝った高精細な映像を生成できなくなる。
 実際チュートリアルでも単純なオブジェクト、シンプルな画面構成であるにもかかわらず画像にジャギー(斜めのラインがギザギザになる)が目立つ、画面解像度は私のHTC-VIVEより高いはずなのにクオリティが劣るのはモニタのフルスペックでレンダリング出来ていないのだろう、これではフォトリアルな映像の生成は困難と思われる。
 実はOculusもPCと有線接続してハイスペックなゲームをプレイするモードがあるのだがこのマシンを購入する層がそういう道を選ぶとは思えない、結局このマシンはライトなユーザーの3Dゲーム向けであって「仮想現実」と言えるような環境でのプレイ向けではないということだ。どちらがいいと言うわけではないが購入を考えるなら自分が何をVRに求めるかについて考えたあとにしたほうがいいだろう。



2021/09/17

 Sonyの「Wena3」を買った。



 スマフォに着信した電話やメールを通知し、使用者のバイタルを計測して活動量や消費カロリー、歩数、心拍数、睡眠時間、ストレスなどを記録するデジタルガジェットだ。
 それはスマートウォッチだろうと思う向きもあるだろうがそうではない、これは「時計のバンド」なのだ。見た目はただの交換用ベルトでしかない。本体はこのバックル部分にあり表面のガラス部分に情報が表示される、操作はスワイプ&タッチで行う。

 この商品が開発された理由は理解できる。腕時計は時間を知る重要なツールである一方ヘタなアクセサリーよりよほど当人のファッションに影響を与える、またファッション以前の問題として職種/ライフスタイルによっては「それはない」という組み合わせもあるだろう。親の形見とか憧れのスターと同じブランドだとかこだわりの出る部分でもある、しかし、現状スマートウォッチというのは未来っぽいというかデジタルっぽいというか「いかにも」な物が多い(それしかない)
 本体のサイズ、材質、色、文字盤のデザインまで好みの分かれる腕時計であの選択肢の狭さは・・・というところでこのWenaだ。
 つまり時計本体はお好きなものをどうぞ、スマートウォッチの機能はバンドにお任せということだ。
 私は初めて時計を持って以来メタル&アナログ一筋であり、今使用中の時計はソーラー&電波という腕時計としてこれ以上の機能は必要がない物でこれを外す選択肢はない、なので銀のメタルバンド仕様を購入したがWenaには他にレザーバンド、ラバーバンド、その色違いがある。

 さて実のところ私はこれが初めてのWenaではない、初代のWenaも持っているのだがこれは電話やメールがスマフォに着信した際それをLEDと振動で通知してくれるだけのものだ。映画、TVの撮影においてはシンクロ(同時録音)中にはスマフォをサイレントにしておく必要があるので通知してくれるだけでも助かるのだが今度のWena3は違う、バックルのモニターに3行40文字までのデーターを表示することが出来るのだ。
 表示されるのは電話なら発信者の名前、メールなら発信者の名前と件名、LINEなら発信者と本文の合計40文字まで出る、初代は電話やメールが来たということだけしかわからず通知のたびにスマフォを確認する必要があったが、発信者の名前と件名、本文の一部が読めるようになったため「こいつからの電話なら放っておいても大丈夫だろう」(!)などということが判断でき一段と実用性が増した。

 またWena3にはFeliCaチップが内蔵されているので Suica 楽天EDY iDクイックペイとして使える(FeliCaは元々ソニーの特許である)私は日常的に電車に乗るしコンビニも日参(!)しているので(どちらも支払いにSuicaを使用しているので)いちいちカードを取り出す必要が無くなったのは地味に嬉しい。
 地味でなく嬉しい機能もある、Wena3にはアレクサの機能があり口頭で指令を出せるのだ、腕時計に向かって「明日の調布市(※日活撮影所)の天気と気温は?」と聞けば「東京都調布市は明日断続的に雨が降るでしょう、予想最高気温は摂氏23度、予想最低気温は20度です」などと教えてくれる(※スピーカー機能はないので文字だけだ)




 バイタル計測機能は今回のイチオシの機能だと思うのだが、私は健康志向ではないしサスティナブルなライフスタイルなどに興味はないので活動量や消費カロリー睡眠状態などを教えてもらっても特段に興味はない。
 ではなぜこれを買ったのか、半分以上の機能を活用していないではないか、と思う向きもあるだろうが実のところ私はこれを実用的な物と期待して買ったわけではない、動機のかなりの部分は「かつて夢見た未来がここに」というようなものだ。少年雑誌の口絵で「未来の暮らし」など小松崎のイラストを見て育った20世紀少年にとって「腕時計に話しかけるの図」は未来そのものだ。




    アレクサ カップヌードル作って!

 そういう意味ではこのWena3は良い買い物だったと言えるだろう。なにしろ私は昼メシにカップヌードルをよく食べるのだが(健康志向!)3分の計測に毎回苦労している、人類史上最高級の発明と思うアナログ時計だが3分をきっちり測るのは難しい、デジタル時計なら分の単位に3を足すだけですむし、ストップウォッチになるような機能があれば一発だが、秒針と長針が文字盤の中途な位置にある(まあたいてい中途な位置にあるわけだが)アナログ時計では直感的に処理できないのだ。
 しかしWena3が来て変わった、カップヌードルにお湯を注ぎ腕時計に向かって「3分後にアラーム」と言うだけだ。
 腕時計に向かって話す(相手はAI)というSF者の夢が実用的な仕組みとして機能しているのを私はカップヌードルを食べるたびに実感している、未来がやってきたのだ




2020/01/01
CRANK-INは1999年に開設されました。 Googleが創業したのがその前年1998年なのでインターネット的に言えば遙かな過去、原初の時代と言えるでしょう^^; 以降20年細々と公開を続けていましたが、so-netのサーバーが容量の上限に近づいたのと、なによりサイト構成とデザインが古くさいので今般別途レンタルサーバを借りてサイトを再構築することにいたしました。 昨今、サイトの移動ツールという便利なものがあったりするのですが、このサイトの初期のファイルはHTML手打ちであり、移植ツールなど通らなかったりします、なので手作業の再構築となり移植が間に合っていない部分は旧サイトのファイルを貼り付けてあったりしますがご容赦願います。 おなじみの方も初めての方も以降はこのページをブックマークしていただけると幸いです。