ちょっと時期を外してプレイしている側もその手の覚悟はしておくべきことではあるのだ。
ゲームに限らずだが、映画でもドラマでも同様のことが言える。
日本史の教科書を読んで「マジかよ、この武将死ぬのかよ! 大河ドラマのネタバレ食らったわ!」などと嘆いてはいけない。

比企谷八幡






  映画 小説・ノンフィクション・コミック・ゲーム その他
1
スターウォーズ 最後のジェダイ    
2
映画大好きポンポさん  
3
バイオハザード ファイナル  
4
メッセージ  
5
ハリー・ポッター・アンド・ザ・フォービドゥン・ジャーニー 
6
ジュラシック・ワールド 炎の王国
7
カメラを止めるな!
8
ミッションインポッシブル ローグネイション
9
電光超人グリッドマン スティールキス
10
SSSS. グリッドマン



 






 昔むかし、20世紀半ば頃のことだが映画は大衆娯楽の王様であり、黄金時代と呼ばれた時期があった。
 劇場(と書いて「コヤ」と呼んでいただきたい)では新作映画が2本、時には「豪華3本立て」で公開され1週間ごとに掛け変わっていた。

 当時の劇場は映画製作会社が自前で抱えていたので東宝の映画は東宝系劇場に、東映は東映系劇場にしか掛からなかった、ということは大手映画会社各社はそれぞれ年間100本前後の映画を製作していたということなのだ。まさしく黄金時代であり、キネマの天地である、銀ちゃんも行こうというものだ。

 さてしかし、それらの映画がすべて大作だったり、力作だったり、問題作であったりするはずはない、そういうものは盆と正月とゴールデンウィークにぶつけるものであって、ほとんどの映画は劇場の公開予定表「プログラム」を埋めるための映画「プログラムピクチャー」と呼ばれる小品だった。

<余談だが「ゴールデンウィーク」とは映画の活性化を図って1951年に大映が考えた宣伝文句である(なのでNHKは今でも大型連休と言う)>

 現在、映画は「ついに映画化」という言葉が示すとおり「特別な何か」扱いされているので「プログラムピクチャー」というものがどういうものなのかわかりずらいのだが、これは今のTV番組になぞらえば理解できるだろう。
 TV放送用に使える電波の周波数は決まっており、TV各局はその一部を総務省の許可を得て専有している、しかしこの独占的な立場と引き換えに1年365日休まず放送を続ける義務がある(放送法により12時間以上放送を停止することが出来ない)
 作りたいもの見せたい番組というものはもちろんあるだろうが、大前提としてとにもかくにも放送枠を埋め尽くさなけらばならないのだ。

 1週間ごとに入れ替わり消費されていく番組、それと同じことが半世紀前には映画で行われていた。作りたい作品ではなく作らねばならない作品、決められたスケジュールと決められた予算の中で生産され続ける映画、それが「プログラムピクチャー」だ。

 基本的にそれは低予算な作品なわけだが後になって再評価され名作扱いされている映画も多くあり、手抜きというわけではなくつまらない映画というわけでもない。
 とはいえプログラムピクチャーには一定の傾向がある、短期間に次々と作品をリリースする都合上シリーズ作品が多いということだ。
 ゼロから企画を立ち上げシナリオを練り役者を揃える単発物よりシリーズ作品のほうが断然効率がいいのは言うまでもないだろう。うまくすれば衣装、セットまで使い回しが出来るかもしれない。

 東映の任侠物、東宝の若大将シリーズ、松竹の男はつらいなどはそのシステムの中で生まれたものである。

 寡黙な健さんが理不尽な仕打ちに耐えに耐え、ついには長ドス一本持ってかたきの組に殴り込む。

 加山雄三演じる老舗のすき焼き屋の一人息子(若大将)は大学のボクシング部やヨット部や水泳部やラグビー部やスキー部やサッカー部や柔道部などの主将であり、マドンナ澄子と出会って恋に落ちる。若大将を一方的にライバル視している青大将に嫉妬され、澄子との関係が悪化する、ついでに父親の不興を買って勘当される。若大将は試合、大会、コンテストに出場し青大将の妨害工作でピンチに陥るがめげずに優勝、澄子と元のサヤに収まり、勘当も解ける。

 映画の冒頭、寅さんは柴又の団子屋「とらや」に帰ってくるが、ささいな事からおいちゃんとケンカになり「2度と帰ってくるか」という捨て台詞と共に再び旅に出る。旅先でマドンナと出会った寅さんは恋に落ちマドンナを伴ってとらやに帰る、一連の騒動の末寅さんは失恋し傷心のまま再び旅に出る。

 どれもこれも唖然とするワンパターンである、あらすじだけで言えば違いが出ない程似通った話だがそれでも圧倒的な人気を得て作られ続けた。

 <ホイチョイプロの馬場康夫は「東宝の若大将シリーズは、若大将の所属する運動クラブの名前が違うだけで、同じ脚本を元に書かれていた、若大将シリーズが終わったのは東宝に保存されていたオリジナルの脚本が古くなり読めなくなってしまったからだ」というヨタを飛ばしている>

 なにが言いたいのかというと、映画はなにも斬新で革新的でオリジナリティに溢れた新作を観る事だけが楽しみではないということだ。
 いつものメンツが出てきて、いつものパターンでドラマが進み、思い描いたとおりの結末に到るのを見て満足し家路につくというのも映画鑑賞の楽しみの一つなのだと思う。

 なぜこのような話を長々としてきたかというと、昔むかし私がまだ子供だったころ、黄金時代の残照で映画がまだ輝いていた頃、親に連れられて行った映画(シリーズ物)を観た後に感じたのと同じものをこの「スターウォーズ 最後のジェダイ」に感じたからだ。
 なぜそう思ったかについて書くことはネタバレにつながるので以下は未見の方は読み飛ばし推奨である。どんな映画か詳細に知ったのちでないと劇場に足を運ばないという趣味の方(一定数存在するらしい)ならどうぞそのまま。



 弟子の育成に失敗し辺境の惑星で隠遁する老師、その老師の元へ教えを求めてやってくる若きジェダイ。
 心の弱さを突かれてダークサイドに堕ち、強大な力を持つマスターに操られる若いフォース持ち、彼は愛するものを殺されそうになって覚醒し自分のマスターを瞬殺する。タイファイターに追われて狭い空間をアクロバット飛行するミレニアムファルコン。雪原(のような平原)を行進するスノーウォーカー。「ウォ~~」としか言わないのにいろいと話が伝わるらしいチューバッカ(!)まで、どこかで観たことのあるエピソードで溢れているこの作品は、激しく面白かったということもないが破調もなく、安心して最後まで観ていられて、それなりに楽しめたというまさしくプログラムピクチャーの味わいなのだ。

 映画の歴史に燦然を輝く天下のスターウォーズの新作の感想が男はつらいよと同じでは困るのだが、「新味は無かったが安定の面白さだな、これはこれでOK!」というまったり感が同じなのだから仕方ない。

 実のところこれは前作「フォースの覚醒」と同じだ、2年前私はこう書いた

 「帝国にとっても反乱軍にとっても重要な情報を握るロボットが帝国軍の手からからくも脱出。そのロボットは砂漠に住む(強いフォースの持ち主だがその力を自覚していない)若者の元に逃げ込む。
 戦闘に巻き込まれた若者は先輩の助力を得て「ミレニアムファルコン号!」で脱出、反乱軍の元へたどり着く。
 若者のメンター(助言者、指導者)となるべき人物は後進の指導に失敗して引きこもっている。
 反乱軍の基地のある惑星は帝国の惑星破壊兵器によって風前の灯火となる。若者と反乱軍は破壊兵器の破壊に向かう(先輩は若者の目の前で敵の指導者に殺される)
 トレンチをくぐり抜けXウイングファイターはついに敵に致命的なダメージを与え、宇宙を揺るがす大爆発、メデタシメデタシ」ってあれ、リメイクでしたかこれ。


 つまるところこの新3部作は、初めから男はつらいよ並のワンパターンなのだ、私はこれを「あまりに金字塔すぎて後を引き継いだディズニーとしては怖くて変えられないのだろう」と書いた、続く本作がこうなのだからこの見方が正しいようだ、感想まで引用だけで済んでしまいそうなあたりまさしくシリーズ物の味わい(!)である、いや悪い意味で。

 一方私は当時
「新顔達が新たな世界観の中で未知なる冒険の旅に出ることが出来れば、再び伝説を生まないとも限らない」
 とも書いたのだがこちらの方は望み薄である、
 というか(前シリーズ踏襲というのは256歩譲って良しとして)問題なのは新要素を活かせていない(活かす気がない?)ことだ。

 レジスタンスのパイロット、ポー・ダメロン(イケイケ)とトルーパー崩れのフィン(巻き込まれ型)は今までのシリーズでは見かけなかったデコボココンビでうまく使えば面白い要素になったと思うのだが、今回この2人は本筋とあまり関係のない「暗号解読者捜索エピソード」に放り込まれ、事実上出番はそこしかない。ところがこのエピソードは「何の意味もありませんでした」で終わってしまうのだ。
 向こうっ気の強い若者が頭の固い指導者の言うことを聞かず暴走して、ピンチになって協力者を得て、大冒険して、ついにゴールにたどり着いた結果「その甲斐はありませんでした」ってドラマツルギーとしておかしくないか? 最後にサラ・コナーがT-800に殺されるターミネーターか、王子さまに再発見してもらえないシンデレラか。

 結果、今作における両名の役どころは「役立たず」である。ひょっとしてルーカスのオリジナル脚本に書かれていない登場人物なので扱いに困って棚上げしているのか?

 ということで次回も銀河を股にかけた壮大なるまったりドラマになるに違いない。おそらく金の卵を産むガチョウに手を加えることはせず、スピンオフで稼ぐ作戦なのだろう。(オビワン主役のスピンオフが出来るとかなんとか)
 全世界のファンの最大公約数を取ったらこうならざるを得ないも理解できるので新展開しろとなどと言うつもりもない、しかしせめて新顔達にはもう少し本編と絡む出番を与えてやって欲しいと思う。


 さてしかし、前作でハン・ソロが死に、今回ルークが死に、次回レイアが死んで、ラストで全員半透明になって(!)若きジェダイを祝福するの図になる筈だったと思うのだが、キャリー・フィッシャーが亡くなってしまい製作者としては大いに予定が狂ったと思う。
 レジェンドであり、旧シリーズのファンの吸引役であり、劇中では残り少なくなったレジスタンスの中心人物という重要な登場人物がまったく引き継ぎすることなく居なくなることを物語の中で説明・吸収できるのだろうか。
 予定調和にまっしぐらだった企画に歪みが出ればそれはそれで面白くなるかもしれないと私はややイジワルな目で見つつ次作に期待している。


 






 映画の都ニャリウッド。敏腕プロデューサーである祖父から英才教育を受けた天才プロデューサー少女ポンポさんと彼女に見いだされた根暗映画オタクのジーン君が映画を撮るというマンガである。
 これはpixivに投稿されるやたちまち50万PVを記録しカドカワから書籍化された。
 読み終わった瞬間私が思ったのは「惜しい!」ということだった。作者の映画に対する愛情と蘊蓄の深さは伝わってくるのだがそれがマンガに活かされていないと思ったのだ。
 これは出版社に持ち込んで、編集者からダメ出しを受けて書き直し、というような過程を経ていればもっと面白くなったのではないだろうか。

 webに発表、即書籍化というのは近年増えてきた流れだが、このシステムだと個人の資質が生のまま出てしまう、つまり良いところはそのまま出るのだが本人に足りない部分(知識だったり技術だったりするわけだが)がそのまま穴になってしまう。良くも悪くも作者と等身大の作品になってしまうのだ。

 こういった中抜きシステムが隠れた才能を見いだすのに役立つということはあるだろうし、編集者からのダメ出しが若い才能を矯めてしまう場合もあるだろうが、商業作品を世に問う場合まずほとんどの場合客観的な立場からのサジェスチョンが有効である筈なのだ。

 あのヒッチコックですら初監督作品では1カットごとにスクリプターに「よかったか、これでいけると思うか」と聞いていたと言う『映画術』
 トリュフォーは「華氏451」で編集に行き詰まり友人の編集マンを呼んで意見を求め、結果2つのシーンの順番を入れ替えたという『ある映画の物語』
 伊丹十三は「自分の映画も、おそらくとんでもない読み違いがあり、その読み違いは人に指摘されるまでは自分にはわからないのだろうと思うと、ひたすら恐ろしい」と言っている『お葬式日記』

 マンガ家が外部の意見を入れぬまま作品を上梓するということは映画監督が企画からシナリオ、美術小道具大道具、演出から撮影照明編集までを一人で行うというに等しくよほどの天才でないかぎり穴が生じるだろう。

 出版社としては新人を手間暇かけて育成し、売れるかどうかわからない作品に賭けるよりネットから一定以上の評価を得た作品を拾いあげるほうがリスクが少ないのだとは思うが、そこは才能を見いだすまでにとどめるか、同じ発表するにしてもブラッシュアップしてから出版して欲しいと思うのだ。


 さてマンガにかぎらずwebでは小説投稿サイトが大興隆で、web投稿>PV上位>書籍化という流れが定着している。全部に目を通すなどとうてい不可能だがいくつか読んでみたところで言うとやはり「足りていない感」がある。
 人気があっただけに、なるほどここがうけたのね、という部分はあるのだがもう少しストーリーを練るとか、登場人物のキャラクターを書き分けるとか、伏線をうまく張るとかすれば面白くなるのにと思う作品が多い。

 先に近年と書いたが実際にはこの流れは6、7年前からという感じだろうか、web発小説の嚆矢にあたるのが「まおゆう 魔王勇者」ではないかと思う。これは2010年、2ちゃんねるに発表されて人気が出た小説をほとんどそのまま書籍化したものだ。

 舞台は剣と魔法のファンタジー世界、というかまあドラクエ的世界観であり、人類最後の希望である「勇者」がついに諸悪の根源「魔王」と対峙するのだが、魔王はその対決の場で「手を取り合って世界を変えよう」と勇者に持ちかける。
 魔王の考えるところでは人と魔物が争うのも、人の世が過酷なのもすべて貧しさが原因であり「経済」をうまく回すことによってこの世から争い事をなくことが出来る筈だという。(中世ヨーロッパ的世界観なのに「プリンタ用紙」とか、「公害・・といってもまだわからないか」などと口走るあたり魔王の中の人は現代人なのかもしれない)賛同した勇者は魔王と2人で世直しを始める。
 RPG的世界を経済活動という視点で切るというのは斬新な発想であり、面白いと思って読み始めたのだが、これがつらかった、この小説は会話文だけで構成されるという特殊な形式なのだがその割には台詞の書き分けが出来ていない、なので行頭の人物名しか発言者の目印がなく多人数が会話を始めるとイライラしてくるのだ。

 私はそうとは自覚していなかったのだが、それまで一定の水準をクリアした小説ばかり読んでいたらしく、やはり小説を書くという行為にはそれなりのテクニックというものが必要なのだと実感させられた作品と言える。
 つまるところこれは素材はいいのに調理技術が無いため旨さが伝わってこない料理という感じだろうか、ダメな料理のすき間からネタの良さだけは伝わってくるので、ますますストレスが溜まるわけだ、私は1巻を読み終わったところで見切りを付けてしまった(まおゆうは外伝を含め8巻出ている)

 <私が食い道楽なため、たとえ話にすぐ食い物が登場するのだがはたしてこれは有効なのだろうか・・・>

 とうことで、切瑳されていない作品をそのまま書籍化した場合の問題は始めから顕在化していたのだ、それに目をつぶったまま今に到り、出版はますます加速している。
 それでいいのだ! という層が常に一定数存在するなら構わないとも言えるのだが、長い目で見て完成度に問題のある作品ばかりのジャンルは消えていくのではないか。
 その好例といえるのがたとえば「ケータイ小説」だ、21世紀初頭、携帯電話が中高生に普及し折からのパケット定額制(←懐かしい!)という追い風もあって素人の書き手が携帯サイトにアップした小説が大人気となった。2007年の文芸書ベストセラーランキングのトップ3は書籍化されたケータイ小説である(トーハン調べ)しかしこのブームはわずか4、5年で終結した。おどろくべきことに2008年度はベスト100にケータイ小説が1冊も入っていないのだ。

 私はこのケータイ小説をただの1作も読んでいないので衰退した原因について確たることは言えないのだが、世の評によれば「語彙の少なさ、文章表現の稚拙さ、推敲の不十分さ」が問題と言われている、つまり琢磨されないまま出版されていたということだ。

 素人>即デビューの舞台は今やpixivマンガ、小説投稿サイトに移っているわけだが出版社の取り組みが変わらないとやがて玉石混交となり衰退する可能性がある、それも急速に。

 ここでアタリショックという話をしたい。アタリとはアメリカのゲーム会社でありゲームソフトをカセットで外部から供給する方式のゲーム機を世界で初めて発売した会社である。このゲーム機「Atari2600」は大人気となり、ロイヤリティを払えば誰でもソフトを開発、発売することが出来るようになると多くのサードパーティーが市場に参入した。
 しかし中にはソフトを開発する技術もない他業種(シリアルやペットフードの製造会社とか)からの参入もあり市場は粗悪ソフトであふれかえった。資金力のある会社が粗悪ソフトを宣伝力で売りまくったため急速に市場は冷え、空前のブームを呼んだ1982年のクリスマス商戦からわずか2年後、Atariは大量の負債を抱えゲーム機部門は他社に売却された。
 影響はAtari一社に留まらず、この騒動に嫌気が差したユーザーはゲーム機そのものから撤退してアメリカはその後「ゲーム氷河期」の時代となる。

 この一連の社会現象により「ソフトの粗製濫造により市場需要および市場規模が急激に縮退する現象」を『アタリショック』という。



アタリショック後、
ニューメキシコ州アラモゴード市にはアタリが売れ残ったゲーム機本体やゲームカセットを埋めた
「ゲームの墓場」があるという噂が立った。
 後継機種も埋められている、ゲーム『E.T.』がコンクリート詰めになり350万本埋まっている
などという話も生まれて都市伝説化しそこを舞台にした小説、映画まで作られた。 
2014年
ドキュメンタリー映像『Atari: Game Over』の製作会社はアラモゴード市委員会から許可得てこの場所の発掘調査を行った
するとETのカセットを始めとする多数のゲームが発見され都市伝説は伝説ではないことが判明した




 ケータイ小説の衰退はまさしくアタリショックだったように思う(まあ私は読んでないからわからないのだが)
 現在のweb投稿、即出版ブームが第二のアタリショックになる可能性は高い。コンテストに投稿、入賞、デビューという以外に新人がデビューする道が開けたという意味でこの方式は貴重なのだから出版側はもう少し手間をかけて発表する作品のクオリティを高めて欲しいと思うのだ。


 








 第一作が激しく面白かったので、途中グダグダになってもお布施くらいのつもりで毎回劇場に行っていたのだった。とはいえ「待っていたぜ!」というわけでもなく、惰性(!)で通っていただけだったので、忙しさに紛れて公開期間中に劇場にいけないでいたら映画の存在すら忘却(!!)してしまい、気が付いたら1年遅れのレンタル鑑賞となってしまった。

 ファイナルたって全然終わりじゃ無く「俺たちの戦いはこれからだ」で終わるんだろうな、と生暖かい気持ちで観てびっくり、きっちりとした最終話だった。
 映画の常としてバイオハザードという世界観のスピンオフはこれからも作られるかもしれないが(というか作られ続けているが)少なくともミラ・ジョボビッチによるアリス編は完全決着である。
 ここまで思い切りよくシリーズを終わらせた作品は他に思いつかないほど珍しくいい意味で驚いた。

 そして意外と地味に終わった所も好感度が高い、最終話というと今までにない巨大な陰謀とか(物理的に)巨大なモンスターとかが出てきて、敵も味方もオールスターというのが常道だ、そうしないと終わらないと思っている映画製作者達も多いのだが、今作はアリスがただただ始まりの場所、アンブレラ社の「ハイブ」に戻っていくというシンプルな構成であり、因縁の相手と最後の対決をするというクラッシックな構成だったのだ。

 余計なコケ脅かしを省いたぶんストーリーに破綻がなく、観ていて「オイオイそれはどうよ」という部分がないのも良かった。 
 まあそれは中盤回でアリスが超能力を使ったり、クローンの妹がいっぱい出てきたり、砂漠を装甲トラックで爆走したりと「それはどうよ」という話が多かったということの裏返しだ。私としてはこのシリーズはこうやって目先の派手さを演出するために内容が拡散していって、しまいにはバイオハザードでもなんでもなくなり、やがてジョボビッチが主役を張れなくなって終わるのだろうなと思っていたのでこの「目を見張るスペクタクルシーンのない」思い切りのいい最終話に好感したのだった。

 結論「地味に面白い」


 







 ドゥニ・ヴィルヌーヴが「ブレードランナー 2049」の1つ前に監督した映画である。
 ブレードランナーという映画はとんがった世界観と盛りだくさんなイベントでヘタをするとパチパチとした落ち着きのない映画になりかねない内容だったが、ヴィルヌーヴの落ち着いた語り口によりレプリカントという「人の心を持っているのに人でない者」の悲しみに観客が共感できる足が地に着いた映画だった。

 実のところ私はブレードランナー2049を観るまでドゥニ・ヴィルヌーヴという監督のことは何一つ知らなかった、しかしこの手腕に感服しこれは掘り出し物かもしれぬ(←なんという上目線)と思って前作を観てみることにしたのだった。
 そしてパッケージを見てこれ「ばかうけ」ではないか、と初めて気づいたのだった。





 
 べつにUFOがばかうけに似ていたからというわけではなく、私はこの映画を無視していた、なにしろ最近のハリウッドのSF(orパニック、orディザスター)映画はドラマツルギーを無視したご都合主義と家族愛至上主義に毒されていて観るに堪えないものばかりだからだ、なので無印(!)なSFは最初からパスなのである。

 しかしこの映画は一転、無印から注目株に格上げされた、まあ期待値が上がってしまったわけだが・・・

 この映画、地球に突然(ばかうけ似の)UFOが飛来する、しかし彼らがどこから来たのか何のためにやってきたのかわからない、エイリアンは姿を見せるのだがまったくコミュニケーションが取れない、そこで言語学者である主人公が呼ばれるというお話だ。

 つまりはこれはファーストコンタクト物なのだ。
 ところでよくあるファーストコンタクト物というのはエイリアンの戦闘マシンが3本足でノシノシ歩いて主人公がピンチに陥ったり、炎の壁でロサンゼルスが壊滅し主人公がピンチに陥ったり、農家の地下室の扉をエイリアンがドンドン叩いて主人公がピンチに陥らなかったり(※1)と、スペクタクルなシーンが盛りだくさんなものだが、この映画はそうではない、主人公がエイリアンとコミュニケーションを取る過程が描かれる「だけ」の映画なのだ。
 ヴィルヌーヴの語り口はブレードランナーと同じ落ち着いた足が地に着いたものだ、しかし!この映画でそれが有効だったのか?

 話はシンプル、映画の舞台はUFOの周囲に作られた前線基地とUFO内部の対話の間だけ、これで語り口がじっくりしているものだからまるで映画が動いていかない、映画というのはそれがどんなものであれ前へ前へと進んでいくダイナミズムが必要だと思うのだがその勢いがない。
 
 ところで話はそれるのだが私は私小説という文学のジャンルがキライだ、主人公の身の回りに起こった出来事をその情景から心理のアヤまでを微に入り細に渡って描写することの何が面白いのかと思うわけだ、そしてこの映画を観ているとそれと同じ拒否感が頭をもたげてくる、絶対値としてたいしたことのないものを精密に描写することが芸である、という主張には賛同できない。
 まあこれは私の趣味、好き嫌いの問題であって映画の良し悪しとは別なのだが、もうひとつの問題とリンクする。

 主人公はエイリアンとのコミュニケーションを探っているうちに奇妙な夢を見るようになる、これがこの映画の重要なキーなのだが、その描写がわかりづらい。映画の文法からしてそれは普通に回想シーンなので観客は当然主人公の過去の出来事なのだと思うわけだが。どうやらそうではないらしい、どうやらそれは当人には身に覚えのない出来事らしいのだ。
 この謎が解けるときは映画が終わる時なので謎が謎のままでも構わないのだが、観ている最中にはそもそもこれが謎であるのかどうかすらよくわからない。
 メタな話をすればヴィルヌーヴがこれを明解な謎として提示しているのか、違和感のある夢を点描として放り込んで観客に奇妙な味を提供しているだけでのつもりなのかがわからず、自分はひょっとして監督が提示した重要なヒントを見逃したのか、いつのまにか映画を間違って解釈し始めたのかと不安になるのだ。
 じっくりと落ち着いた語り口で、人の心理を細やかに描写している(筈の)映画でこれはない。

 そしてこの謎についての解も最終段になって主人公の口から語られるだけだ、ここまで引っ張ってセリフで説明して終わりかよ、映画なんだから絵で見せろよ、と思うわけなのだ。

 結論「地味につまらない」





※1 宇宙戦争、インディペンデンスディ、サイン


 




ユニバーサル・スタジオ・ジャパン2018



 昔むかしその昔、私が幼稚園児だった頃のことだが私は母に連れられ出来たばかりの後楽園ゆうえんちに行ったものだった。
 今は東京ドームシティアトラクションズと名も変わり、近代的なアミューズメントパークと化した後楽園ゆうえんちだが当時は野鳥観察のケージや植物園などがあり、子供向けの乗り物もある公園といったひなびた「ゆうえんち」だった。

 そこで私がお気に入りだったのは「ライオンのトンネル」という乗り物だった、2人乗りの電動カートに乗って電気仕掛の見世物を見てまわる今で言う「ライド型アトラクション」だ。
 実は本当にこれがそのような名称のライドであったかはさだかではない、というか多分違うような気がする、というかつまりは覚えていない。
 とにかく乗り場が屋外にあって、乗り込んだ客(私)を乗せたカートは観音開きの扉を押し開けて建物に入っていくのだが、その半円型の入り口の周囲に△型のディテールがぐるりと貼ってあり、それをライオンのたてがみのようだと思った私が勝手に「ライオンのトンネル」と呼んでいただけのような気がするのだ。

 更に言うならそれがどのようなアトラクションであったかも覚えていない、お化けや幽霊の出てくるスリラーなのか、それこそライオンが出てくるアドヴェンチャーなのか、ほのぼのとしたファンタジーなのか、まるで、これっぱかりも記憶にない。
 覚えているのは外光を遮るため入り口が2重扉になっていたということだけだ。
 
 そう、室内型アトラクションにおいては遮光は重要なのだ、明かりをコントロールすることで
『 The size of each room containing a scene or scenes is thus concealed, and the set designer can use forced perspective and other visual tricks to create the illusion of distance 』

 『各場面ごとに部屋のサイズは隠され、セットデザイナーは強制的な遠近法やその他の視覚的トリックを使用して距離の錯覚を作ることができます』(英語版wiki「dark ride」より)

 というわけだ。ちなみに日本では一般的ではないがアメリカでは室内型アトラクションをダークライドと呼ぶ、まさしく暗い乗り物だ

 当時のことなので入り口は電動で静々と開いたりすることはなく、カートが押し開けていくのだが、外扉が閉まり内扉が開くまでの間周囲は完全な暗黒になる、私はこの瞬間が好きだった。アトラクションの内容は覚えていないがこのときのワクワクドキドキ感だけはいまだに覚えている。
 この「ライオンのトンネル」に乗りたいがため私は母にせがんで何度となく後楽園ゆうえんちに足を運んだものだ。

 この体験のためか私はその後遊園地マニアになり今に到る・・と書いてきて今思ったのだが、暗転ののち一瞬で世界が変わる、暗くなり明るくなるとそこは日常から切り離された別世界である、というのは映画の体験と一緒ではないだろうか。
 照明が落とされた劇場で幕が開くのを待つあのワクワク感は内扉が開くまでのあの間と同質なものなのではないだろうか?
 
 私は長じて映画を生業とし、遊園地巡りを趣味として今に到るのだがこれは遥か昔に心に刻まれた体験が影響した結果なのかもしれない。だとしたらまことに幼児体験は恐るべしということだろう。


 と、いうわけで


 というわけで私は遊園地マニアとなり国内様々な遊園地に足を運んできた、曰く
アメージングスクウェア
あらかわ遊園
エキスポランド
ぐりんぱ(旧 日本ランドHOW)
セントーサ島(シンガポール)
としまえん
ナガシマスパーランド
ユニバーサルスタジオジャパン
よこはまコスモワールド
横浜ドリームランド
花やしき遊園地
御殿場ファミリーランド
向ヶ丘ゆうえん
小山ゆうえんち

上海動物園
神戸ポートピアランド
西武園ゆうえんち
船橋ヘルスセンター
多摩テック
谷津遊園
朝霞テック

東映太秦映画村
東京サマーランド
東京ジョイポリス(お台場)
東京ジョイポリス(新宿)
東京ディズニーシー
東京ディズニーランド
東京ドームシティアトラクションズ(旧 後楽園ゆうえんち)
東京ルーフ
ネオジオワールド

東武ワールドスクウェア
東武動物公園
読売ランド
奈良ドリームランド
那須ハイランドパーク
二子玉川園
八景島シーパラダイス
八瀬遊園
富士急ハイランド
宝塚ファミリーランド
(文字コード順 赤字はすでに閉園したもの)


 ところでしかし、遊園地(昨今はテーマパークと言うわけだが)の熱心なファンは多くその嗜好も様々だ、絶叫マシンオンリーなフリークスも居れば、パレード、ショー狙いというファンも居る、私はその出自(?)のせいでダークライド&絶叫マシンが専門だ。

 <ところで今「ダークライド&絶叫マシン」と書いたわけだが「ダークライド」の定義について述べたい。
 これを「軌道上を動くアトラクションの総称でビッグサンダー・マウンテンも含まれる、逆に水流方式であるスプラッシュ・マウンテンはダークライドではない」とする一派がある。水流方式だって道筋という意味での「軌道」はあるだろうと思うのだが、この派は「固定レール」の上移動するものがダークライドであるというと説なのだろう。
 
 私としては DarkRideは英語版wikiの

『In its most traditional sense, the term dark ride refers to ride-through attractions with scenes that use blacklights , whereby visible light is prevented from entering the space, and only show elements that fluoresce under ultraviolet radiation are seen by the riders.』

『その最も伝統的な意味では、 ダークライドという用語は、可視光が空間に入ることを防止し、 ブラックライトを使用して紫外線の下で蛍光を発する要素だけが観客に見えるようにしたライドスルーアトラクションを指す。』

 という定義を推すのでダークライドは室内型ライドアトラクションの事を言い、屋外型であるローラーコースターは含まれないと主張したい。
 
 何細かいことにこだわっているのだ、と思う向きもあるだろうがここはマニアとして譲れないところなのでお付き合いいただきたい。

 つまるところダークライドとはコントロールされた照明を基礎に『強制的なパースペクティブやその他の視覚的トリックを使用したセットデザイン』が見せどころであり、まずは「外光が遮断できる」屋内型であることが大前提であると思うのだ。

 更に言うならば、スプラッシュ・マウンテンはたしかに軌道はなく水路を水流で移動するボートだが、ディズニーランドのジャングルクルーズやディズニーシーのトランジットスチーマーライン、USJのJAWSなどは、ライド自体は船ながらも水中にあるレールを伝って移動するアトラクションだ、これは船なのか「軌道上を動くライド」なのか。

 またかつて横浜/奈良ドリームランドにあった潜水艦(ディズニーアナハイムのサブマリン・ヴォヤージュのコピーだが)は形こそ潜水艦だが自重を車輪で支え、レールに沿って進む乗り物である、要するに水面下に窓があるライドでしかない(レールが見えると興ざめなので潜水(?)艦の前後には窓がない。ついでに言うと現在レゴランドにあるサブマリンアドヴェンチャーも水面下に窓のあるライドだが、吊り下げ式であるため水面下にバレもの(!)はなく前後に窓がある)

 ディズニーシーのアクアトピアはライドの周囲にフロートがあり一見水に浮かぶ乗り物に見えるが実際は車輪で移動する乗り物だ、このアトラクションにはハードウェアとしての軌道(レール)はなく、個々のライドの位置をセンサーで把握し、ライド自身が前進、停止、旋回して進む仕組みになっている(レールがないので軌道を交差させることが可能となり、ライド同士がぶつかりそうになりながらもお互いを避けて進むというアクションが可能となっている)ダークライドが『軌道上を動くアトラクション』であるとするならば、軌道(道筋)に沿って進むが軌道(レール)のないアクアトピアはダークライドなのかどうなのか。

 ということで、ライドが進化し従来では考えられない仕組みで動くアトラクションも出てきた現在、ライドの機構でダークライドを規定するのは無理なのだという話であり「室内型ライドアトラクション」をこそダークライドと呼ぶべきだろう、という話なのだ!!

 と〆たところで何なのだが。

 今やディズニーカリフォルニアの「ラジエーター・スプリングス・レーサー」やエプコットセンターの「テスト・トラック」など前半はダークライドなのに後半は屋外を超高速で走る絶叫マシンになるというハイブリッドなアトラクションが存在する。

 従来、モーターで駆動されるダークライドと巻き上げ(もしくはカタパルト)を使用し重力を利用して高速度を得る絶叫マシンは相容れないものだったのだが、コンピューター制御可能な高出力なモーターが開発されたためこうしたアトラクションが可能になったわけだ。
 テスト・トラックやラジエーター・スプリングス・レーサーは前半は室内の脅かしギミックを経巡るダークライドで、屋外に出るや時速100kmオーバーで疾走するレーシングカーに変身する。この急激なフェーズの転換そのものがエンターテインメントというわけだ。

 ついでに言うとこの2つのアトラクションとディズニーシーの「センター・オブ・ジ・アース」は同じシステムを使用している。センター・オブ・ジ・アースが途中までダークライドそのものなのに「コースを外れたぞ!」となるや地底走行車が暴走し、絶叫マシンと化すのはこのシステムあってのことだ。

 センター・オブ・ジ・アースは平面を走る前記2つと違い、ジェットコースター並のアップダウンがあるためか最高時速は75kmでしかないのだが、その最高速度は下りではなく登りで発生する(一瞬外が見える場所の手前だ)登りで急加速するのも一瞬外が見えるのも、原作で化石の筏に乗った主人公達がマグマに押し上げられてストロンボリ火山から放り出されるくだりを模した演出だ。




こんな演出を可能にしたのもライドに搭載された大馬力モーターの威力だろう



<ちなみにこのモーターだが、テスト・トラックに関わったという技術者が
  『 Now each car uses a 250 horsepower electric motor and is capable of generating full power at 6000 rpm to the rear wheels. 』
 と書いているので250馬力であるようだ。
 日本のディズニーのファンサイトでよく「この地底探検車にはF1マシン並のモーターが搭載されている」と書かれているのを見るのだが、現代のF1マシンは800馬力超のエンジンを積んでいるので、これは「フォーミュラーe」(電気自動車によるF1、250馬力超のモーターを積んでいる)と混同していると思われる、けっこうあちこちで見るので誰かが間違って書き、以降その孫引きで間違いが拡散していると思われる>

 私はテスト・トラックもラジエーター・スプリングス・レーサーも乗っていないので断定的なことは書けないのだが、大空の下、サーキットを模したコースを走るこの2つより、多少速度が低くても狭くて暗いトンネル内を疾走するセンター・オブ・ジ・アースのほうがスリルがあるのではないだろうか。



 前説が長くなった、ともあれ私がライドマニアだということは理解していただけたと思う。

 その私、ライオンのトンネルから無数のライドに乗り続けてきた私が、国内No.1ライドに推していたのがUSJの「アメージング・アドベンチャー・オブ・スパイダーマン・ザ・ライド」(以降「スパイダーマン・ライド」)だった。

 このアトラクションは、そこに組まれているセットと3D映像の区別がつかない。またライドに仕込まれたモーションベースの出来がよく、ライドがビルの谷間を落ちていく様など、ライドは平面を移動しているだけなのに、仕掛は熟知しているのに、何度も乗っているのに、いまだに乗れば落ちているよう感じるという、それまでのライドと一線を画した完成度がある。
 まあこのアトラクションはライバルの多い本場アメリカで長く「ベストダークライド賞」を取りつづけていた強者であり、もともとライバルの少ない日本では一頭地を抜いた存在だったのだ。

 過去形なのは何故か、といえばそれはUSJに「ウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッター」(以下「ハリポタエリア」)が出来たからだ。

 実のところ私はハリポタは読んでもおらず映画も見ておらずで、USJにハリポタエリアが出来ると聞いてもさしたる関心を抱かなかった。

 ただエリアが完成してみたところホグズミード村やホグワーツ城の出来の良さにはいささか驚いた。
 (USJは「撮影所へようこそ」というスタンスであるせいかテーマに沿った世界観の構築というものにあまり重きを置いていなかったように思える。
 ハリウッドエリアなどはハリウッドというよりはハリウッドを再現したオープンステージ風であったりする。
 これは阪神高速の高架など隠しおおせないバレがある以上、世界観を壊す要素の排除などは出来ようもなかったという事もあるだろう)

 ところが出来てびっくりハリポタエリアは『ハリー・ポッターの物語の世界を、圧倒的なスケールと徹底した細部へのこだわりで再現した壮大なエリア』というUSJの宣伝文句そのものだった、これはスゲーと思ったのだが、やはり行ってみようとは思わなかった。
 ともあれ読んでもおらず観てもいない私にはその「こだわった細部」が理解できないに違いないからだ。

 城の内部に「ハリー・ポッター・アンド・ザ・フォービドゥン・ジャーニー」(以下「ハリポタライド」← 雑!)という新アトラクションが出来た、ハリーと共に空を飛ぶそうだ、と聞いたときもマニアは嬉しいかもねと思うのみだった。
 気持が変わったのは2年ほど前だ、エリアが完成してから2年近く経った頃だが、仕事で一緒になったT口監督から「俺もいままではスパイダーマンが最高だと思っていたけど、ハリポタに乗ってみて考えが変わった、あれはスパイダーマンより上だ」と聞かされたのである。
 調べてみるとこのアトラクションは発表されるやスパイダーマンライドからベストダークライド賞を奪い取り5年連続でトップを維持していた。

 あの、スパイダーマンより上?そりゃどんだけ凄いんだ!ということになったわけなのだ。

 俄然行かねば!となったのだが、ここにいくつかの問題があった。
 まずこのライドが平均待ち時間が2時間を越えるという人気ライドということだ(オープン時は6時間待ち!だったらしい)
 はるばる大阪まで足を運ぶわけだし複数回は乗りたいのにこの待ち時間はきつい。

 そもそも近年のテーマパークの混雑ぶりが尋常ではないのだ、ディズニーランドなどはその混みようで顧客満足度がだだ下がりらしい。
 なるべく空いている時期に行きたいと思う訳だが、実のところこれには間違いのない対策がある、それは行く時期を4月の第2週の平日に絞ることだ、何故といえばこの時期に限ってはパークに修学旅行生が居ないからだ。
 行ってみるとわかるが昨今テーマパークは制服を着た中高生でいっぱいだ。京都奈良でお寺巡りさせられた私などはテーマパークのどこが修学旅行だよと思うのだが、生徒は楽しく、先生は引率しなくていいと双方の利害(?)が一致してテーマパークは大人気なのだ。
 
 ところがこれも4月の第2週だけは別だ。入学、進級という大イベントがあったばかりで学校は修学旅行の準備をしている暇はない。またここは生徒に新しい環境で学習を開始させる大事な時期であって修学旅行に出る能天気な学校はさすがにない。

 前回ディズニーシーに行った時は、午後早い時刻にどのアトラクションも乗り場まで一直線に進める状態になった(そのため「タワーで7回テラーする」ことが可能になった)昨今は外国人観光客の増加で様子が変わってきている可能性はあるが、修学旅行生が居ないだけでパークの混雑度は格段に違うはずなのである。

 なので、行くならここしかないのだが、私はここ数年ずっと連続TV特撮に携わっている、4月はまさに撮影真っ盛りなのだ。
 片道1時間もかからないディズニーリゾートならまだしも、USJとなれば前泊して朝イチでパークイン、日一杯遊んで泊まって帰るくらいの余裕を持ちたいと思うのだがそんな時間は取れない。

 撮影期間中3連休というのがまずあり得ないのだが、たとえスケジュールがそうなっていても、それをアテにして予定を組むわけにはいかない。
 そもそも映画、TVにスタッフとして参加するということはわかりやすく現代の奴隷契約である。その期間スタッフの命運は撮影前日に発行される翌日のスケジュール、通称「日々スケ」に握られている。打ち合わせで何と言われていようが長期スケジュールになんと書いてあろうが、夕刻にチーフ助監督が書いた翌日の日々スケに集合場所と集合時間が書いてあれば我々はそこに馳せ参じなければならない。
 つまりその期間は前日の夕刻にならないと翌日が休みになるかどうかわからないのだ。
 というわけで去年も一昨年もUSJ行きは諦めた。そしてまた今年も新シリーズが始まった、来年だってあるかもしれないと思うと、これはもう無理してでも行くしかあるまいということになり、始発で行って終電で帰る強行軍でUSJを攻略することなったのであった。



◆パークイン◆


 4/12日、早朝に家を出た私はUSJ開場5分前にはユニバーサルシティ駅に着いていた新幹線万歳。

 スマフォにQRコードを表示するダイレクトインで入場した私はまずはジュラシックパークエリア(以降「ジュラパエリア」)に向かう、なぜハリポタエリアに直行しないのかと言えばエクスプレスパスを買ってあるからだ。





 エクスプレスパスについて一応説明すると、これは入場料とは別に買うアトラクションの優先入場券だ。これを持っていると長い待ち行列をショートカットしてすぐアトラクションに乗れる。
 アトラクションの組み合わせでいくつかの種類があるのだが。私の買った7つ乗れるものは7600円、入場料が7900円なのだからいささかお高い。
 売り手と買い手が合意しているならいくらで売ろうと勝手とも言えるが、これは独占状態を利用し混雑を逆手にとったアコギな商売のような気がするのだ。すくなくとも入場料7900円なりを払ったお客様には最低限1つや2つ待たずに乗れる保証を付けてもいいのではないだろうか。
 というのもディズニーリゾートにはファストパスという仕組みがあるからだ。
 
 ディズニーのファストパスはパークインした人が各アトラクションの前で発行してもらう紙のチケットであり無料の整理券といったものだ。

 これには
1・パスは入場券のIDと紐付けされて管理され、1回発行してもらうと2時間程度先にならないと次が取れない。
2・優先入場できる時刻は指定されていて、その時刻から1時間以内に入場しないと使えなくなる。
3・パスは時間あたり発行できる枚数に限りがある。取るのが遅くなれば入場できる時刻はどんどん後になり、1日に発行できる枚数が尽きれば終わりになる。
という決まりがある。

 そこで、待ちの長いアトラクションでも短いアトラクションでも次に発行可能になるまでのインターバルは同じなのでファストパスは待ち時間の長いアトラクションに使用し、待ちの短いアトラクションは並んで入るのが正しい。
 他のアトラクションに並んでいるうちにファストパスの入場時間が過ぎて使い損ねるというミスは絶対に回避する。
 ディズニーシーは真ん中に海がありパークの対角エリアに行くには1Km近く歩かねばならないことがある、なので移動時間にも注意。
 人気のあるアトラクションのパスは昼過ぎには無くなることもある、なので次が発行可能になったらすかさず次のパスを取る。そのためには発行可能時刻の直前には取りたいアトラクションの近くに居たほうがいい。

 ということになる。つまりファストパスを利用しようとすることは、決まった時刻に決まった場所に居なければならないという縛りを複数作るということであり、有効に使用しようとすれば、パスの入場時刻、再発行時刻、各アトラクションのパーク内の位置、待ち時間の長さなど、複数の要素を考慮したパズルを解かねばならないわけだ。

 これを完璧に成し遂げられるのは私のようなディズニーシーのプロだけであろう(何を言っているのか)




待ち時間5分のアトラクション、ここでファストパスを取ってはいけない

 とまあディズニーリゾートのファストパスは使いこなすのにコツのいるシステムだが、パークインしたら取り合えず目的のアトラクションに直行してパスを取るということを心がければ最低でもそれだけは待たずに乗ることが出来る(午後入場とかでなければ適当に取っていてもその他3~4個はいけるだろう)
 ゲスト全てに公平で、一番乗りたいアトラクションなら追加料金ナシでも待たずに乗れるこのシステムを私は絶対的に支持する。

 スペインのグスタフ国王がお忍びで、多くの観客に交じってエレクトリカルパレードを見たという話を馬場康夫が書いている。警備の人間を付けるでもなく特別室から見るでもなく、肩車された幼児とならんでパレードを鑑賞していたらしい。馬場康夫は「星に願いをかけるとき、人に差別はありません」というピノキオの主題歌でありウォルト・ディズニーの理想が実を結んだ姿がこれだと述べている。

 パスを使っておいて言うのも何なのだが、テーマパークに「金を多く落としたものが上客である」というあまりにむきだしな商魂はふさわしくないように思うのだ。

 さてしかしそんなわけで私は「ユニバーサル・エクスプレス・パス 7 ~ファイナルファンタジー XRライド~」というパスを入手していた。

 これは
「ハリポタライド」
「ミニオン・ハチャメチャ・ライド」
「ファイナルファンタジー XRライド」
「フライト・オブ・ザ・ヒッポグリフ」
 の4つと
「ジョーズ」か「スパイダーマンライド」のどちらか、
「ハリウッド・ドリーム・ザ・ライド」か「バックドラフト」のどちらか
「ジュラシック・パーク・ザ・ライド」か「ターミネーター 2 3D」のどちらか
という7つに優先入場できるものだ(上4つには時間指定がある)

 今回の目玉であるハリポタライドは10時20分からだったので、とりあえずエリアの近いジュラパエリアに向かったのだ。空いていれば「フライング・ダイナソー」に乗ろうという目論見もあった。

 この「フライング・ダイナソー」は懸垂式のジェットコースターで前回USJに来たときには無かったものだ。

 先に趣味はダークライドと絶叫マシンと書いたとおり私は絶叫マシン、というかローラーコースターマニアでもある。
 日本初のコークスクリューが出来たと聞けば、小山ゆうえんちに足を運び、日本初のカタパルト式コースターが出来たと聞けばとしま園に行き、日本初の立ち乗り式コースターが稼働したと聞けば読売ランドへ行ったものだった。(富士急ハイランドの絶叫マシンラッシュにはついていけていないが)いまでも水道橋近辺で暇があるときには「サンダードルフィン」に、横浜にいれば「ダイビングコースター・バニッシュ!」に乗ったりする(東京ドームシティアトラクションズやよこはまコスモワールドは入場料がないのでそういうことが出来る)
 フライング・ダイナソーにも乗ってみたくはあったのでちょうどよかったわけだ。

 ジュラパエリアに近づいてみると、まさしくフライング・ダイナソーが走行しているところだった、そしてこれがエリアの象徴である石のゲートの下、地下をくぐる演出になっているので驚いた、凝ってるじゃないか。
 まあ、落下物からの安全策として頭上がすべて網に覆われていて、ゲートを見上げた時の高揚感が無くなっているのは残念なのだが、最近のコースターはみなこうだ。




網越しのゲート

 (サンダードルフィンなどは部品の落下事故という言い訳のしようのない事故を起こして以来、コースターの周囲が網で覆われてしまった。地上の観客の頭上を覆うのではなく、コースの周囲を網が覆っていて網の中を走っている感じになってしまったのだ、東京のビル街を走り回るジェットコースターという不思議な感覚でサンダードルフィンは好きだったのだがこれも残念な話である)

 さてどれだけ並んでいるだろうか、一番に向かったアトラクションだし空いているはずと思いつつも若干ドキドキしつつ乗り場に着いて驚いた、人が居ない。

 キューラインと呼ばれる待ち行列用のスペースが広大に取ってあるのだが不使用である。
 これが開業当時13時間待ち(!)という最長不倒記録を打ち立てたアトラクションだろうか。4月の第2週の平日スゲー。




びっくりするほどガラガラ


 懸垂型のコースターというのはいくつかあるが、このコースターは客が座席に固定されると座席の下側が引き上げられて客は下向きになる。つまり最初は床しか見えない。

 ライドが走行を始めるとこの方式の楽しさが理解できる、つまり視界を遮るものが何もないのだ。むき出しの体が地上すれすれを疾走するスリルもさることながら、ライドがロール(進行方向を軸に回転)して体が上向きになると視界は空だけになる、これは爽快だ。

 たいていのコースターは箱型の乗り物に乗る、その乗り物の下にはレールがある。つまり視界の下半分は何かしらの構造物で遮られているのだ。
 ループコースターなどもハタから見れば面白おかしく見えるが乗っている身からすればレールが目前でせり上がって頭上を覆っているわけで世界が宙返る様を視覚的に楽しめるわけではない。
 しかしこれは違う、ループすれば地上が足元に消え、視界は空だけになり、頭上からふたたび地上が見えてくる様が体験できるのだ、これこそが空を飛んでいる鳥(実はプテラノドンに捕獲され巣に連れていかれる獲物?)の視点だろう。

 そして走行をはじめるとすぐに気づくことだがコースの出来が良い、上昇から下降に、直線からカーブにと変化する際のつながりがスムースなのだ。
 そして振動が少ない。コースターは2本のレールを上下左右からローラーで押さえつけて車体を支えているわけで、レールとローラーのすき間-ガタ-が少ないほうが振動は少ない、しかし少なすぎれば抵抗となって走行に支障が生ずる。レールの精度が悪ければローラーは一番精度の悪い部分に合わせて調整することになり振動が増えるのだ。

 コース設計が悪く、出来の悪いコースターでは座席やヘッドレストに体を打ち付けられないように、乗っている間中全身を緊張させ、降りるとぐったりという物がある。

 その典型が今なきスペースワールドのヴィーナスだったのだが、以前私はこう書いている




遊園地特集2005 より ヴィーナス


 「コースターの神様」アントン・シュワルツコフの遺作である「ヴィーナス」
 スペース・シャトルの実物大模型にからみつくように設計されたコースターは傑作との評判を取る有名なものだ・・・・ったのだが(中略)
 神様の設計が悪いのか工作精度の問題かはたまた老朽化が進んでいるのか振動がひどい、特につなぎの部分からカーブに入る時にかなりの横Gがかかって頭が振られるのだ。コースターに乗りすぎると硬膜下出血が発生し知覚障害に至るという話があるが(2004年、日本神経学会での報告、ホントかしらと思うけど)このくらい衝撃があるとそんなこともあるかもという気になる。
 実際横Gに耐えるので精一杯となり充分にライディングを楽しめない。
 (script sheet 2005 「遊園地特集2005」より)

 ということだ、このとき私は出来のよいコースターの例として、前述のサンダードルフィンとディズニーランドのビッグサンダーマウンテンを挙げたのだが、このフライング・ダイナソーはそれより更に出来が良い。

 いや満足満足さすがに13時間待ちと思い、コースターから降りてもうひとつ気が付いた、音が静かなのだ。

 ジェットコースターというとグワーという轟音とともにドロップしてくる様が頭に浮かぶと思うのだがそうではない。なにしろ頭上スレスレをコースタが曲芸飛行しているのに、その下では普通に会話が出来るのだ。遊園地というロケーションを考えるとまったく音がしないと言ってもいいだろう。これはコースの出来もさることながら車両の機構も優秀なのだと思う。
 そう思って見ていると驚くべし、巻き上げ時のラチェットの音もしない、ラチェットとは万が一巻き上げ装置に異常が生じてもライドが逆走しないための「乗り物逆走防止装置金物」(アンチロールバックドック)で、コースターが巻き上げられているとき床下から聞こえてくるカタカタというあれだ。

 ファーストドロップの直前、コースの頂点でカタカタという音が消え風の音だけになる瞬間が私は好きなのだが、あの音はけっこう響く。敷地が専用になっている遊園地であれば問題ないし、走行音だって演出と言えなくもないが、このコースターはジュラパエリアの上空をくまなく走り回る構造なので音は静かであるに越したことはない。

 ラチェットは国土交通省の「遊戯施設における安全装置への要求事項」として
 「 通常の運転方向と逆方向の運転をした場合の逆走防止装置。① 逆走防止のためのラチェット機構」
 と明記されているのだから付いてないわけはない、つまり徹底的に静音に気をくばった作りなのだ、凄いなフライング・ダイナソー。


◆ジュラシック・パーク・ザ・ライド◆


 終わってみると20分も経っていない、なので乗り場が隣りの「ジュラシック・パーク・ザ・ライド」(ジュラパライド)に向かう。
 あまり感心しない出来のアトラクションなので並ぶようならやめようと思っていたのだがやはり空き空きであっという間にボートに案内された。

 しかしあいかわらず・・・まあ修整のしようはないのかもしれないが・・・恐竜の出来が悪い。表面はビニール(それも厚手の)質感でとうてい生物の皮膚に見えない。
 紫外線を受け、雨風に打たれ、夏の暑さにも冬の寒サニモマケズ365日稼働しなければならないので256歩ゆずってそれは仕方ないとしよう。しかしウルトラサウルス、待機状態の首不自然に曲がりすぎ、そもそも「待機状態」を観客に見せるな、というかボートがゲートをくぐってウルトラサウルスが視界に入った瞬間に前のボート用の動作を終えて待機状態になるのはなんでだ。
 途中ボートがコースを外れ「トランスポートステーション」に入っていってしまってピンチになるという演出だが、水路がトランスポートステーション行きがメインであるようにしか見えない、ストーリーを補強しようとする気がないのか。

 以前プシッタコサウルスの足元の植木(多分プランター)がちゃんと置かれていなくて体を支えるピローブロック(軸受け)がバレバレだったこともあったし、設計から演出、調整、日々のメンテまでちゃんとやってる感が全然しないアトラクションなのである。

 そこまで言うなら乗らなきゃいいのに、と思う向きもあるだろうが、最後のスプラッシュダウンはちょっと好きなのだ。
 昔むかしあちこちの遊園地にあったアトラクション「ウォータシュート」を彷彿させるからかな。




『爽快なウォーターシュート 豊島園』                 『スプラッシュダウン』                                 

 古いアトラクションと思うなかれ、ボートが水に落ち、水柱があがる様を楽しむアトラクションは今も「クール・ジャッパーン」などという名前になって富士急ハイランド他にある。


◆ハリー・ポッター・アンド・ザ・フォービドゥン・ジャーニー◆


 時間になったのでハリポタエリアに入場する。混んでいるときはエリア入場だけでも制限がかかっていたらしい。

 森の小道を進んでいくと木に突っ込んで大破した青い車があって、列を作って記念写真を撮っている皆さんがいる、物語上有名なシーンの再現なのだと思うが、わからない私はズンズン進む。

 やがて視界が開けると現れるのがホグズミード村である。







 まあ私にはホグズミード村がどんな場所であるか知識はないのだが、それが『圧倒的なスケールと徹底した細部へのこだわり』で作り込まれたものであることは理解できる。
 USJは先に述べたように世界感の再現にはあまり熱心でなく、どのエリアであってもポップな食い物屋はポップな装飾の屋台であったりするのだが、ここはそうではない。
 視界に入るもの全てハリー・ポッターの世界に即したものだけで構成されているのだ、ハリポタファンにはたまらないだろう。
 自分には理解できないながらも入り口で満面に笑みを浮かべている幸福そうなを人々を見ればこちらも嬉しくなる。

 奥へ進むと堂々たるホグワーツ城が目に入る、素晴らしい完成度でありここだけ見ればディズニーシーと同等かそれ以上の完成度といっていいだろう、やれば出来るんじゃないUSJと、思った途端。





 ホグワーツ城の後ろに控える倉庫のような工場のような、つまりはハリポタライドが収められた施設。



 木を植えるでも岩壁を延長するでも、施設の壁に石積みの装飾を施すでもいい。なぜこれを隠そうとしないのだUSJ!

 ディズニーリゾートの航空写真を見てもわかるが、パークの周辺部に作られたアトラクションはその主体となる施設を外向きに配置し、観客の目に触れる部分だけを洋館やら岩山やら石作りの神殿やらに仕立てている。
 観客はポツンと建っている古びた洋館の中で幽霊と遭遇しているように思うが(マップにもホーンテッドマンションはは森の中にひっそりと建つ洋館として描いてあるが)実際にそれを体験しているのは背後の「工場」の中だ。
 なんでそんなことをしているかと言えば、もちろん夢と冒険の国に居るという非日常感を損なわないためだ。

 もっともディズニーランドの場合、園内で島になったアトラクションはそうなっていない、トゥモローランドは特に「はいここに遊技施設がありますよ」という作りを隠すつもりはないようで、「バズ・ライトイヤーのアストロブラスター」などは普通に劇場がそこに存在するように見える。島になっているアトラクションで360度バレのない施設はシンデレラ城だけだ。
 (ここはもともとアトラクションと言えるかどうかも怪しい「シンデレラ城ミステリーツアー」しか入っておらず、今はもっとたいしたことのない「シンデレラのフェアリーテイル・ホール」という展示しかないのだが)

 私がディズニーシーをとにもかくにも推すのはシーがどこからどう見てもバレのないパークであるからだ。外周に面したアトラクションはもちろん、パーク中央にプロメテウス火山をつくりその山裾に収容することでミステリアスアイランドの「センター・オブ・ジ・アース」と「海底2万マイル」という2大アトラクション、マーメイドラグーンの室内遊園地とシアターという巨大な施設を完全に隠しきっている。

 さらに凄いと思うのは内向きな部分はもちろんのことシー内部から外がまるで見えないことだ、綿密な計算によるものだろうがシーにいるかぎり世俗とは無縁でいられるのだ、この完成度は他に類を見ない。
 (唯一の瑕瑾はレイジングスピリッツに乗るとコースの頂上で外の駐車場が見えることだ、なぜこの設計でGOが出たのか理解できない)
 (実はタワー・オブ・テラーで一瞬外が見える時、パーク外のホテルや葛西臨海公園とかが見えているんじゃあるまいかと思うのだ、というかグーグルマップを3D表示にして目線を合わせると見えている筈なのだが、真っ暗な中一瞬だけ外が見えるのでまぶしくて見えない)

 ディズニーランドですら徹底できていないバレ隠しをUSJに求めるのは無理なのだろうと思っていただけにこのハリポタエリアの完成度には驚いた。ならばなぜ最後のツメを省いたのか。

 ともあれハリポタライドの入り口に向う、さすがに人気アトラクションでありすでに60分待ちと表示されている、まあこれは昨今のテーマパーク事情で言ったら「うわあ空いてる、並ぼう!」というレベルなのだが。

 キューラインはホグワーツ城の外壁に沿って出来ているようだが、それも他の客からはたくみに隠され、お城の偉容を損なわないよう配慮されている。
 エクスプレスパスを入り口のクルーに見せるとラインのトップ、お城の入り口に滑り込めるのだが、待っている筈の大行列が一切目に入らないのでお得な感じがしない(^^;)
 城の内部の作りも凝っている、重厚な石壁、肖像画 様々な置物、マニアは喜ぶのだろうなと思いつつも先へ進む、お城に入ったところにあるロッカー(カバン、ポケットの中のもの帽子などは置いていけと言われる)がボトルネックになっているので内部のキューラインはスカスカだ、動く肖像画のある階段、礼拝堂、いわれのある場所なのだと思うがズンズン進む。
 そろそろライドの乗り場が近いのかついにラインが詰まった、その最後尾に付こうとするとそこでクルーのお兄さんに何人ですか?と聞かれる。「1人です」と答えると「ではこちらのラインをお進みください」と柵で仕切られた別なコースを示される、おっとここへ来てシングルライダーだ。

 シングルライダーというのは基本偶数で用意されているアトラクションの席を有効に使うため、1人で来ている客を別なラインに誘導し、奇数のグループで余った席に相席させるシステムだ。
 USJでも先のフライング・ダイナソーやジュラパライド、JAWS、スパイダーマンライドなどいくつかのアトラクションに用意されている。
 
 最近の若者は友達がいない奴は寂しい奴で、寂しいことは恥ずかしいことだと思うらしく、1人で行動することを厭うらしい。ときおり「1人じゃ絶対無理アンケート」というのを見るのだが、どのアンケートでもダントツで1位なのが1人テーマパークだ。
 私に言わせりゃテーマパークは1人が良い、でないと「タワーで7回テラーする」など出来ないと思うのだが、まあこれは目的次第なので強く主張するつもりはない。どうってことないアトラクションでも体験を共有すること自体が楽しいということもあるだろう、デートだったりしたら特に。

 ともあれそんな風潮なものだからどこでもシングルライダーは空いている、たいてい乗り場までまっしぐらだ、エクスプレスパスやファストパスなど目じゃない。このラインの先端では若い兄さんが1人だけ待ってた。
 乗り場ではクルーのお姉さんがグループの人数を聞いて4人がけのライドに振り分けている、奇数のグループが来ればまずそのお兄さん、次の奇数で私、となるところがずっと偶数グループだ、あまり待たせてはいけないという判断か2人組が来たところでシングルのお二人どうぞと案内されライドに乗る
 (キャピキャピ←死語?、の女子中学生3人組のあまった子と相席だったりすると、おじさんとしては隣りの彼女が気の毒だったりするのでこれはよかった)

 さてついに乗ったハリポタライド、しかし私はここへ来て初めてこのライドが4人並びの箱のような乗り物であることを知った。
 私は映画でも観に行く価値のありそうな作品かどうかをなるべく少ない情報で判断し、行くと決めたら以降一切情報を見聞きしない。
 監督が観客になにかしら仕掛を用意しているならそれを素のまま味わいたいからだ(これは「猿の惑星」の第一作のラストで心底驚愕した経験が元になっている、この得がたい経験は第一作をほとんど予備知識なして観にいけた人間だけが味わえた一種の特権だ)
 ハリポタライドに関して言えば「スパイダーマンライドより上だ」という情報だけで乗る条件は満たしているので、乗ってみたいと思い続けていた間でもそれがどんなものか知ろうとはしなかったのだ。

 ハリーと一緒に空を飛ぶそうだ、というのはハリポタエリア公開時に聞いていたので、ローラーコースタータイプの高速ライドなのかもと思っていたので、ホーンテッドマンション並のまったりしたライドなので少しばかり拍子抜けした(かもしれない)

 実のところ「凄い仕掛だ」とか「どうやっているのかわからない」というようなセリフも耳に入っていたのだが、それはスパイダーマンライドにも当てはまる言葉なのでありがちな褒め文句だろうと聞き流していたのだ。

 内心ではこのわたくしが、ライオンのトンネルからダークライドに乗り続けていたこのわたくしが、映像技術の専門家でもあるこのわたくしが、わからない仕掛などあるものかねHAHAHWAと思っていた(かもしれない)

 まったりと横移動するライドの前にハーマイオニーが現れ「私が3つ数えたら展望台って叫んで。いくわよ、1、2、3!」と叫ぶと、ガスが吹きかけられ晴れるとライドはモヤモヤの中を前進している、えっ前進? 横移動している筈だろ?と思う間もなく、ライドは空へ。
 ハリーの「すごいやハーマイオニー、本当に飛んでるよ!急げロン、僕たちも競技場に行くからね」というセリフと共に空を飛び始める。

、「おおおお~飛んでる~~本当に飛んでる~~」 としか思えない体験だった。

 視界の全てが空で、前方を飛ぶハリーと共にライドが上昇下降しているように感じる、何が起こった?これは一体なんだ!

 飛行シークエンスはすぐに終了し、ライドは脅かしギミックの間を進むありがちなダークライドになる、スパイダーマンライドと同様ライドは自在に向きを変えるのだが、その次第によっては前後のライドが見える、ライドそれぞれの感覚は数メートルでまさしくありがちなダークライドのありようだ。

 と、再び飛行シークエンス、突然に視界は開け、周囲は空、前後のライドなどどこを見回してもいない、椅子に座った我々4人だけがハリーと共に空を縦横に駆け回る。

 「あ~れ~」と思っているうちに第2の飛行シークエンスも終了。

 つなぎのギミックも出来が良いのだが、まあ暗いし、よく見えないし、このくらいならあるだろうという作り物でしかない、見せ場は飛行シークエンスだ。

 結果3回空を飛びライドは乗り場に戻る、私はかなりの衝撃を受けていた。魔法か。
 アーサー・C・クラーク三法則のうちの3
 『 Any sufficiently advanced technology is indistinguishable from magic.』
  『高度に発達した科学は魔術と見分けがつかない』とはこのことか。(違う)

 このアトラクション、世に出てから数年経つのでネットで検索すれば仕掛はわかるのではないかと思ったのだが(スパイダーマンライドなどはライドのテスト動画や、コースの平面図、3Dスクリーンとプロジェクターの配置図などが記された図面なども流出している)圧倒されたままでは悔しいので少し自分で考えてみる。

 飛行シークエンスが投影された映像を見せられているのは間違いない、しかし視界が全部空なのはなぜだ、お仕着せの眼鏡をかけされられていればそこの仕掛けも疑うところだが今回は裸眼なのだ。
 (この時は知らなかったが今年の3月17日からこのアトラクションは裸眼になったらしい、それまでは液晶方式の3D眼鏡を掛けて乗っていたのだという「この目で見ても空を飛んでいるようにしか見えない」という現在のほうが驚きが大きく私は正解だと思う)
 どんな大きなスクリーンであっても平面であるかぎりは端が見える、ならば湾曲した全天全周スクリーンか、しかしその場合でも並んで鑑賞しているはずの隣りのライドが見えるはずだ。昔の「バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド」(BTFライド)がそうだったように。
 しかしあのライドは数台のデロリアンに観客が乗り込み一斉に映像を見るから出来ることで、多くのライドが短い間隔で進行していくハリポタライドでは、後から入ってきた客は映像を途中から見るハメになってしまうので無理だ。
 そもそもBTFライドでは周囲を見回すと自分をふくめて数台のデロリアンが全天スクリーンの中にに突き出されているのが見える。
 
 となると、専用の全天スクリーンをライド別に見せられている? それはありそうなことだが、しかしそうと考えるには大きな謎がある。
 スパイダーマンライドもそれぞれのライドの前で新規に3D映像を見せているわけだが、そのため1つのシークエンスが短い、あたりまえだがライドは次々にやってくるので1つのシークエンスの長さは最大でもライドの出発間隔以上には出来ない。しかしこのハリポタライドの飛行シークエンスはライド間の時間より明らかに長い、だからライドがスクリーンの前に来るたび「はいここで飛行シークエンス1を観て」「はい次のライドに場所開けて」というわけにはいかない。

 となればスクリーンを複数用意して時間をずらし次々に見せているとしか思えなくなるのだがそれをどう実現しているのか? 
 個別に用意されたスクリーン前にライドを誘導し「はい飛行シークエンス開始」とするなら一旦周囲を暗くし誘導過程を隠すなどの処理が必要になるはずのだがこのアトラクション、ダークライドモードから飛行シークエンスは実にスムースで「いつの間にか空だ」レベルのスムースさなのだ。

 不思議

 シロートみたいにビックリしてないでもう少し周囲を見ていれば・・とか思うがまあ初見じゃ無理なのは間違いない。
 もう一度乗ろうと思ったものの少しの間にキューラインは伸び90分待ちになっていた、これはイヤだ、子供連れが帰り始める夕刻になってマシになるのを期待することにしよう。

 ◆ワンド・マジック◆

 ホグズミード村の片隅ではワンド・マジックというささやかなアトラクションがある、ワンド(魔法の杖)を手にした人が、しかるべき場所でしかるべきアクションをすると『呪文を唱えながら、杖を振ってみてください。すると、突如辺りに雪が舞ったり、大鍋から水が噴き出したり! 最初は失敗しても、何度も練習するうちに、きっとうまくいくでしょう。』(公式サイトより)というものだ、専用の杖を持った人だけ、というわけで要するにグッズの販売促進策なのだがけっこう大人から子供までやっている。

 どうらやらモーションキャプチャーで杖が指定どおりの動きをしたかどうか判定してギミックを作動(魔法を発動)させているらしい。よく見ると1つのギミックにつき1ヶ所づつ隠しカメラが狙っている。

 マーカーなしのモーションキャプチャーはXBOX360のキネクトなどとうの昔に民生機に採用された技術でキャプチャリングに問題はないはずなのだが妙に判定が厳しい。
 成功すると煙突から火が出るマジックの場所では小学校低学年くらいの女の子がいくらやっても成功しない、補助のクルーがやり方を教えているのだがまったく成功しない、見本を示すお兄さんと彼女とで杖の軌跡がそう違うとも思えないのだが、まったく成功しない、彼女はもう泣きそうでクルーのお兄さんも笑顔が引きつっている、なんで判定がこんなにシビアなのだ。


 ◆バタービール◆

 いわれは知らないが飲んでみた、ホイップクリームの乗ったコーラのようだ、アイスクリームの溶けたコーラフロートが好きな私には旨いと思う味だった。

 ◆ダイナソー・アメージング・エンカウンター◆

 『亜熱帯のジャングルで、大型恐竜とふれ合う驚愕体験!』とはガイドブックの宣伝文句だがこれはあれだ、リアルな恐竜の着ぐるみが出てきて観客を驚かすやつだ。実施時間が近かったのでジュラパエリアで待っていると探検服のお姉さんが恐ろしいほどに出来の悪いラプトルを連れてきた。

 全体の造形が甘いのもさることながら、出来のわるいソフビ人形のようなぶ厚い皮膚が生物感を完全にキャンセルしている、どう見えるかと言うと中ががらんどうで、中の人が動くのにつれてガワが揺れる着ぐるみそのもの。




ヒザ裏と足首のシワが特にヒドイ
 

 この手のアトラクションは日本でもボチボチ、アメリカではけっこう前から行われているものだが、出来の良い恐竜は生物感あふれてマジで怖い。
 たとえばラプトル、脚はトリ足、逆関節で人間では再現できない、なのでこれを着ぐるみにするにあたってはこのUSJのように順関節にしてしまうもの、作りものの足は逆関節に作っておいて、内側に人の足を出してしまうものの2タイプがある。

 この「足バレ」タイプのラプトルはともかく人の足が見えているのだから、着ぐるみであることは明らかなのに、その他の部分のあまりの出来の良さ、生物感、本物感で、まったく気にならず(あまりに怖いので顔から目が離せないのかもしれない)近づくと子供は泣くわ、大人はビビるわという物が存在する。




こういう先例があるんだからさぁ


 USJは当然そういう出来の良い恐竜の存在は知っているはずなのにどうしてこれを客に見せる気になるのか、恥ずかしいと思わないのか?

 
 ◆JAWS◆

 さんざん乗ったアトラクションだが定番なので乗る。

 このボートはレールに沿って進むから船長は舵を切る必要はない、しかしあきらかにどこにもつながっていない空回りする舵輪はもう少し作り込んだらどうか、それをクルクル回している船長もこれをもう少しそれらしく扱ったらどうか。
 水中から現れるJAWSはもちろん、鮫にも生き物にも見えない、何に見えるかというとJAWSという造形物だ。

 楽しんでいる観客を見ながら私は「特撮は薄目を開けて見ろ」という岡田斗司夫のセリフを思い出していた。これはミニチュア特撮について語った言葉だが、要するに特撮は出来の悪い部分は見えていても見えていないフリをして楽しむものだ、ということだが、テーマパークのアトラクションもそういうものだと思ったのだ。

 つまり誰もこれが本物のJAWSと思っているわけではなく、みんな一緒にJAWSゴッコを楽しんでいるわけだ。
 あまりに出来が悪い特撮が興ざめであるようにアトラクションもあまりに出来の悪い造形物は興ざめだが、そこそこ出来ていればそれでOKというレベルでアトラクションは出来ている。

 素晴らしい出来と私が絶賛するスパイダーマンライドも「車に乗って取材に出たらスパイダーマンと怪人の戦いに巻き込まれたごっこ」の出来が素晴らしいのであって、スパイダーマンや怪人が本当に居るみたいだったというわけではない。
 前後に他のライドは見えているしそれがアトラクションであることまでも覆い隠すつもりもないようだ。あのアトラクションは観客がアメコミの世界に入り込むと言う体裁なのでそのくらいで正解なのかもしれないが。

 つまりアトラクションというのは謳い文句はうたい文句として、そこはそれ薄目を開けてみるべしという大前提が厳然として存在していたはずなのだ、いままでは。

 し・か・し、ハリポタライドは違っていた。

、ダークライドモードはそれなりの出来でしかないが「ハリーと共に空を飛ぶ」という一点に関していえば薄目である必要がない、というか両目を見開き、隅々までくまなく見回しても「ハリーと空を飛んでいる」ように見え、そのように感じる、実はこれは画期的というだけでは言い尽くせない、エポックメイキングな歴史的な出来事なのではないだろうか。
 とまあそんなようなことを、人食いザメに襲われながら私は考えていたのだった。


 ところで給油施設が爆発炎上するシーン、以前は水の上まで火が迫ってきたのだが、地上で終わっているのはなぜ? 前にボートのボヤ騒ぎがあったらしいがそれで自粛モードなのかな。


 ◆ファイナルファンタジー XRライド◆

 元々は「スペース・ファンタジー・ザ・ライド」という室内コースターだが、今はヘッドマウントディスプレイ(以下HMD)を付けて乗るアトラクションとなっている。
 乗客の視界はすべて加工された(ありていに言えばフルCG)映像でライド中頭をめぐらせば自分のまわりの世界を見回すことが出来る。
 そしてコースターに乗っていることによって体が感じる加速度、上昇感、下降感、横Gは映像とシンクロしていて、架空の世界を自在に走り回っているかのような体験をすることが出来るわけだ。
 
 こういったアトラクションのヴァーチャルリアリティ化はHMDが世に出てすぐ可能性の一つとして提唱されていたものだ。提供側の理屈はわかる、アトラクション1つ作るのには巨額の投資が必要であり、一度作れば内容の変更は容易ではない。
 ところがこのシステムであれば1晩でアトラクションを刷新できる、VRのソフトを入れ替えるだけで済むからだ。実際このアトラクションは昨年は「エヴァンゲリオンXRライド」というプログラムだったわけで理屈でいえばライド1本ごとにメニューを変えることさえ出来るわけだ。

 私が当時見た資料ではライドだけではなくウォークスルー型(歩いて回る)のアトラクションでの運用にも触れていた、観客が勝手に動き回って壁に衝突したりしないよう、移動可能な部分を柵のようなもので規制し、VR上でもその柵は通行不能なオブジェクトとして描写するというものだ。
 プレイヤーは広大な大地を進んでいるように感じるが実は柵で仕切られた狭い通路を歩いているだけ、というようなイラストを見てうむむ?と思ったのだが、ついに実装され始めたわけだ。

 このファイナルファンタジー XRライドがよく出来たアトラクションであることは間違いない。新次元のアトラクションであるとも思う、しかし長い目で見た場合テーマパークにおけるアトラクションの滅びの道につながるかもしれない。 
 何を言っているのかと思うだろうがモデルケースは目の前にある、つまり映画だ。

 十数年前、CGとデジタル編集機が実用化され始めた時、私は「驚くべき技術が現れた、これから映画は凄いことになるだろう」と思ったのだが、現状そう凄いことにはなっていない。確かに昔は考えられなかった映像がスクリーンに映し出されているが、それを見る我々観客が大興奮しているかというとそういうわけではない。
 というか「驚異のスペクタクル映像」を見る我々の胸に去来するのは「あ~はいはい、スゴイね~」といった乾いたものだ。つまりどうせ作り物でしょというものだ。
 映画は基本作り物だったはずなのにこの乾いた反応はなぜなのかといえば、どうやら我々は映画を2つのレベルで見ていたらしい、つまり劇中で凄いアクションをしている主人公を見てカッコ良いと思う一方、これは映画で作り物でこのカットを演じているのはスタントマンかもしれないが「誰かが実際にカメラの前で危険を顧みずこのスタントを行ったのだ」という思いだ。特撮映画においても「これはミニチュアかもしれないが、とにもかくにも実際にビルを石油タンクを飛行機を爆破しているんだ、凄え」という興奮だ。 これをLOWレベルな興奮(今考えた言葉だが)と呼ぼう。

 今は映画で見たカットが凄ければ凄いほど、派手なら派手なほど「あ~CGね」と思われてしまう、結果LOWレベルな興奮が伴わなず、真の満足に結びつかないのだ。

 これはデジタル技術を正しく使ってこなかった映画人の責任でもある。当初デジタル技術は貴重なものだったのでそれをどこに投入するのが有効かスタッフ一同慎重に検討したものだった、つまりデジタルを最大限有効に活用しようとしていたわけだ、ところが汎用化していく過程でデジタル技術はアナログでは実現が難しいカットの実現のためではなく、時間のかかるカット、お金のかかるカットの替わり、つまり予算カットのために使われるようになってしまった。
 今や多少の手間をかけてでもアナログで実現したほうが効果的なカットにまでデジタルが使われている、これは「デジタル技術の有効な活用法」ではない。

 結果映画はパチパチした刺激的な映像となり観客は刺激に飽きて「あ~ハイハイ」になっていく、悪循環である。
 時にスタッフ一同頑張ってアナログで撮った映像を「あれCGでしょ」と言われて脱力することさえある。


 つまり今後テーマパークでVR技術が本格導入されたらどうなるかということだ。
 観客はモーションベースに取り付けられた椅子に座ってHMDをかぶりCG映像を見せられるばかりになるかもしれない。そこに映し出されるものがいかに迫真の映像であろうとも、それがビニールの質感の恐竜ではなく、硬直したサメではないフォトリアルなモンスターであろうとも我々が今のゴッコ遊びより楽しいと思えるかは疑問である。なぜならそれには「作り物かもしれないが実際にそこにある」という興奮が無いからだ。

 コケ脅かしがウリのテーマパークであれば間違えないと信じたいが、ディズニーもUSJも元は映画製作会社と思うと危うい気もしないではない。

 などということを私はクラウド君やセフィロス君とミッドガルの街を飛び回りながら考えていた(というのはウソで、コースターから降りてから考えた)


 ◆ターミネーター2:3-D◆


 わたし的にはここは綾小路麗華様の客いじりを楽しむアトラクションと化している。

綾小路麗華:皆さま、本日はどちらからお越しでしょうか?遠いところから来た方手を挙げてくださいます?
綾小路麗華:ま~あ、北海道!これは遠いところからようこそ!
綾小路麗華:他にもっと遠いぞとおっしゃる方いらっしゃいますかしら?
綾小路麗華:え、シンガポール、ほんとうに?オ~ホホホ、北海道たちまち霞んでしまいましたわね。

 あいかわらず絶好調である、そしてメインの3D映像がウリのショーは(見慣れたからというわけではなく元々)たいしたものではない。

 ところでジョン・コナーとサラ・コナー以前は天上からラペリング(ロープを使った懸垂降下)で登場していたのに普通に歩いて出てきたのは何故?


 ◆モンスターハンター・ザ・リアル◆


 これまで待ち時間ナシのアトラクションばかりだったがこれは40分待ち、モンスターハンターというゲームもやっておらず、どうしようかと思ったのだが、ハリポタライドが空くまで時間を潰さねばならないし『モンハン史上初、“ハンターになれる”ウォークスルー型アトラクションが登場!武器を手に進むのは、驚きのスケールで出現したリアルなモンハンの世界。いざ、壮大なフィールドを探索せよ!』というウリ文句がどんなものかと行列したのだが・・・


 中に案内され数人づつで説明を聞く部屋があるわけだがこれが黒く塗ったパネルで囲っただけ、入り口は安っぽいカーテン、ここでまず悪い予感がした。
 先に進むと取っ手の付いた箱のようなものを渡される、これを持って決まったポーズを取ると武器が選べます、というのだが意味不明、よくわからないまま1グループごとに次の部屋に案内される、この通路がやはり黒いパネルで、あ~これどこかで見たような、というか、昔むかしデパートで夏になると開催されていた「納涼お化け屋敷」だ。短期開催なので装飾する手間を惜しんでパネルむき出しなわけだ。

 案内されたのが小さなシネコン程のスクリーンの前、グループの面々は立ち位置を指定されポーズを取れと言われる。するとスクリーンにモンハンの武器を持っている自分(達)が映し出される、なるほどこの箱は手の位置に武器のCGを合成するためのターゲットマーカーなのね。

 するとスクリーンにモンスターが映し出され、案内のお兄さんから「右から来たぞ武器を振れ」などと声がかかる、え~?と思いつつ言われるままに武器(箱)を振っていると終了、その間わずか数分。ではこちらへと言われて外へ出る「え?これでおしまい?!」
 出口で渡された紙に書いてあるサイトにアクセスすると自分がモンハンの武器を持ちモンスターと対峙している画像をダウンロードできる。

 つまりはこれはまさしくモンハンごっこアトラクションなのだが、看板に偽りがありすぎるだろう。
 まず最大の問題としてこれは「ウォークスルー型アトラクション」ではない。控え室からスクリーンの前に歩いて移動するだけだ、これがウォークスルー型アトラクションなら映画だってウォークスルー型アトラクションだろう。
 「壮大なフィールドを探索せよ!」って壮大って何? 探索?してませんが?
 「リアルなモンハン」ってプレイヤーの手に解像度の粗い、処理の甘い(手に持ったマーカーが見えている)武器を合成し、TVにモンスターの写真を貼り付けたような唐突な合成写真のこと?





これがUSJの誇る リアル 
なモンハンの世界
 

 ダイナソー・アメージング・エンカウンターといいこれといい、渡来ものと日本オリジナルなものの差がありすぎるのではないか。これほど手抜きでやっつけ仕事な代物をアトラクションと名付けていいものだろうか。


 ◆ふたたびハリー・ポッター・アンド・ザ・フォービドゥン・ジャーニー◆


 時刻は午後4時、待ち時間は60分を切らないが仕方ない、並んで乗ることにしてハリポタエリアに向かう。

 キューラインはホグワーツ城の城壁を巻いて後ろに回り、屋根のある広い待ちスペースは人目に付かない場所に建っている、これほどまでに世界観、見た目を大事にするならなぜあの工場のような外壁を・・・(以下略)


 再びシートに座る、なぜ座席が箱のような形状をしていて、客はその箱の中に収められるように座るのか、客それぞれの間にも仕切りがあって真横が見えにくくなっているのか、一度乗ってみてわかった。つまり視界を制限しているのだ。スパイダーマンライドのように普通の車に乗っているような座席では観客はその気になれば回りを見回すことができる、それではまずい理由がこのハリポタライドにはあるということだ。





左右の仕切りが異常に大きい、現在上がっているハーネスが降ろされると上の視界も遮るようになっているのがわかる



 ライドは初め進行方向に対して右を向いていて左にスライドするように動いていく。スタート直後のハーマイオニーには目もくれず(!)視界ギリギリのところを動いていく先行のライドを見ているとガスを吹き付けられたあと急激にシートが上を向いているのがわかる、なるほどガスを吹き付けられた後の、エフェクト映像の中を前進していく感じはライドが上を向いて、客をシートの後ろに押しつけ加速感の錯覚を作っているわけだ。

 ガスエフェクトが終わるとすぐ1回目の飛行シークエンス、身構えていたが展望台のセットから滑らかに飛行シーンに移行して何の違和感もなかった、チクショー上手くできているぜ!(喜)

 ハリーを追って空を飛びながら私はハリーに目もくれず(!!)周辺を見回す、全天全周スクリーンの前に居るとは思うのだがそうと知るための手ががりが一切ない。回りはすべて空であり、空を飛んでいるように感じる、ハリーが下降すればライドも追って下降し、上昇すれば上昇感を感じるう~~む。

 1回目の飛行シークエンスが終わりダークライドモードとなるが私は火を噴くドラゴンや巨大グモには目もくれず(!!!)考えを巡らせる。手がかりは何もなかったが各ライドごとに半球型のスクリーンの前に移動し、順次飛行映像を見せられていると考えて違和感はない。
 ライドは次々やってくるし、飛行シークエンスの時間はライドの間隔より長いので、ライドと半球は向かい合わせで移動していると思われる。

 2回目の飛行シークエンス、空飛ぶ椅子が上昇に転じた時、身体感覚以外手ががりはないわけだが、明らかに体が上を向いていると感じた時、頭を動かせるだけ動かして振り仰ぎ上を注視していると視界の端に光る何かが見えた! あれはプロジェクターだプロジェクターのレンズの先端だ、照り返しでレンズすぐ上にある天井(おそらく全天スクリーンの上端)も少し明るくなっている。

 この構造には見覚えがある。

 アーケードゲームをやる人なら「戦場の絆」のパノラミック・オプティカル・ディスプレイのようなアレ、と言えば理解できるだろう。これはバンダイナムコがゲームセンターに投入したガンダムネタの対戦ゲームだが、プレイヤーは半球型のスクリーンの前に座り、視界を覆う映像によって実際にモビルスーツのコックピットに座っている感覚を味わうことが出来るというものだ。
 このゲームの半球型のスクリーンにCG映像を投影しているのが頭の上、半球上端にあるプロジェクターだ(戦場の絆の場合、半球スクリーンに映像を投影していることは隠しおおせようもなくプロジェクターも普通に見える)

  ハリポタライドがこの拡大版であるのはまず間違いない。

 さて、スクリーンの上端から映像を投影すればその像は下にいくに従って広がり、そのスクリーンが球面であれば更に複雑な歪みを生む、またプロジェクターに近い部分の画像は明るく、遠くなれば暗くなるので、プレイヤーの視点(半球スクリーンの中心)から見て、絵が歪んでいないように、また上が明るく下が暗い絵にならないように補正が必要となる。つまりあらかじめ歪んだ画像作っておくということで、デジタル映像ならではの仕組みといえるだろう。

 しかしこの球面スクリーンには欠点がある、先に映像は補正されていると述べたが、それはあらかじめ想定された視点-球面のスクリーンの中心-から見て正しく見えるということであって、見る場所がずれれば映像は歪む、平面スクリーンである映画館では席の中央でも端でもあまり差は出ないが、球体の場合、端に寄ればスクリーンの湾曲のせいで急激に歪みが激しくなる。
 つまり、視点の許容範囲が狭いのだ、許容範囲を大きくする方法はただ一つ、スクリーンを大きくすることだけだ。

 ちなみに戦場の絆のスクリーンは直径2メートルもない、一人乗りなので視点はほぼ固定されるのでそれで充分なわけだ。しかしハリポタライドは横4人乗りである、両端の観客にも正しく映像を見せようと思ったら、相当大きな半球スクリーンが必要となる筈である。

 3回目の飛行シークエンスでは新たな発見はなく、2度目の体験は終了した。

 出てすぐ再びキューラインへ、時刻は5時、待ち時間は40分に減っていた、シングルライダーのおかげで30分ほどで3回目の椅子に座る。
 今回私は一つの仮説を元にある行動を取ることにしていた、つまりなぜこの椅子は左右の視界も制限しているのかということだ、これは飛行シークエンスの際全天スクリーンの左右の端を見せないようにしているのは確かだが、ひょっとするとそれ以外の部分でもバレ隠しを担っているのではないかということだ。
 シングルライダーの都合上私はグループの最後に乗り込む、つまり必ず4人掛けの椅子の右端だ、なのでライドの右側は他のメンバーより少し見渡せる、そこでダークライドモードの時も右を見ていようと思ったのだ。

 最初の飛行シークエンスへの導入は完璧で一切間然するところがない、しかしダークライドモードになった後、ずっとライドの右側を見ているとついにそれが見えた、そろそろ2回目の飛行シークエンスが始まるという頃、一瞬進行方向の先に白いお椀が見えたのだ、あれこそがこのアトラクションの肝全天全周スクリーンだ、直径約5メートル、思っていたとおりとはいえ実際に目にするとびっくりするほどデカイ、というか直径5メートルの白い半球がその開口部を横に向けているというのは通常見ることのない光景であり異様である。

 そしてこのアトラクションのもう一つの工夫に気づいた、この自在に向きを変える座席やダークライドモードのモンスター達は客の視線を誘導し、この半球に目を向けさせないためも存在するのだ。もちろん横が見えにくい座席もその一環である。

 とにもかくにもハリポタライドは飛行シークエンスがウリであり、その最大のウィークポイントも飛行シークエンスにある。あっと思ったら空を飛んでいるという魔法のような体験を観客に提供するためには、半球スクリーンの存在に気づかれてはいけない、なのでその「つなぎ」が重要なのだ。たぶんギリギリまで座席はそっぽを向いていて(目を惹くギミックをそこに置いて)半球の進行に合わせてスクリーン前にサッと振り込むのだろう。進行方向側から振り込むと前のライドとそのライド用の半球が見えてしまうので、当然後ろから振りこむことになる。

 シークエンス中、座席は90度横を向き、併走しているスクリーンと正対しているのは間違いない。先の体験からしてここで半球スクリーンの存在に気づくのはまず無理だ(私のような天邪鬼でないかぎり)
 ウィークポイントは半球スクリーンからライドが離れる瞬間にもある、半球スクリーンと距離ができた瞬間にスクリーンのフチが視界に入る可能性があるからだ、これはおそらくリアルなセットを終端に組んでおき、半球スクリーンの先端がその陰に入るや座席を前方に振って、半球の後端が見えないよう工夫していると思われる。

 さて乗り場で左に平行移動しているライドがすぐ飛行シークエンスに移行する以上、1回目はライドは左に進行し右手から進んでくる半球と相対するのは間違いない、3回目は飛行シークエンスが終わると同時に魔術学校のセットに右移動で滑り込むので右移動だ、2回目がわからない、暗闇で座席を左右に振られ方向感覚を失っているところへ飛行シークエンスに突入するので自分がどっち向きに進行しているのか分からないのだ。
 
 しかし何にしても自分は座席の右端に座っているので、何か視認できるものがあるとすれば右側しかない、2回目の飛行シークエンスが終わった直後、首を伸ばし、右を見てたら見えましたよ巨大な半球の後端が。すでに映像の投影をやめているので中は暗いが、背景の暗闇より白く浮いて見える巨大なお茶碗のような湾曲したものが闇に消えていくのが。

 uod rat emonstrandum!

 
 時刻は18時、閉園まであと1時間、パーク内は閑散としている、待ち時間は無しになった、謎は解けた(ような気がする)ので普通に楽しむことにする。

 4回目のライドを真面目に(!)楽しんでいると、ますますこのシステムの秀逸さがわかる。
 観客をモーションベースの付いたライドに乗せ、画像にあわせて動かすとヴァーチャルなリアリティを感じさせることが出来る筈とは誰もが考えるわけだが、完璧なそれを実現するのは難しい、というか誰も完璧なものが出来るとは考えていなかったと言うべきだろう。
 たとえばお台場の東京ジョイポリスにはワイルドジャングル、ワイルドリバー、ワイルドウイングというワイルドシリーズがある、これは12人乗りのモーションベースとその前にあるスクリーンだけで構成されたコンパクトな、いかにも室内型なアトラクションだが、CG映像とライドのアクションの出来が良くけっこう楽しめる乗り物だ。

 しかしスクリーンが固定なためライドのモーションはジャングルのでこぼこ道や濁流に翻弄されるボートの揺れを再現するために使われ、大きな動きはしない。
 なぜなら急上昇とばかりにライドを上に向けたらスクリーンが見えなくなってしまうからだ。

 またスクリーンが固定されているということは観客は揺れるライドからスクリーン上の映像を目で追っているわけで、体感と首や目の動きはリアルなそれとかけ離れている。なので「我々は動く椅子に乗せられているのだ」感は拭いようもなく、リアルにボートやジープやグライダーに乗っている気分には到らない、つまりごっこ遊びだ。

 この「動く椅子に乗せられている」感(「映像と縁が切れている」感といっても良い)を軽減するにはスクリーンとライドを一緒に動かす必要がある。
 実のところディズニーランドのスターツアーズなどは30年以上前からやっていることだが(ディズニーシーにあったストームライダーもそうだが)大人数で乗るアトラクションなもので目に入るものの大半は観客席(宇宙船内部)であり、映像はコックピットの窓の向こうに見えるものだけだ、なので本当に宇宙を飛んでいる気分になるかというとなかなかそうではない。少し気を抜くと(!)「この大きな観客席が画面に合わせて動いているぞ、凄いぞ」的な感想を抱くことになる。先の言葉で言うならこのアトラクションを楽しむには薄目で見る必要があるわけだ。

 くらべてこのハリポタライドはそうではない、席を上下左右に振ることで上昇、下降 旋回感(横G)を作っているわけだが、前方を飛んでいるハリーの位置は座席の動きにシンクロして動いて常に観客の正面にいる、だからハリーと共に旋回しているとき、体が横に押し付けられればそれを横Gと感じるのが当然であって「コレハ実は座席が傾イテイルノデハ?」とは思わない。この「思わない」詳しく言えば「観客がそのように思ってあげる必要がない」アトラクションは史上初である。

 スパイダーマンライドに初めて乗った時、冒頭でスパイダーマンが「何故ここに来たんだ」というシーン、スパイダーマンが観客が乗る車(ライド)のボンネットに飛び乗った時のトンッという衝撃が極めてリアルだったことに驚いたものだ、CG映像と衝撃ののタイミングもピッタリなら、身の軽いスパイダーマンが極力衝撃を和らげて着地し、しかし大人の男一人が車のボンネットに乗った感じ、この動きの案配が秀逸でもういきなり私はこのアトラクションの虜になってしまったのだ。

 それから数年経った後に現れたこのアトラクションは更にCG映像とモーションベースの融合が進んでいたということだ。
 4人乗りの座席を上下左右に自在に振り回すモーションベース、それを乗せたライドを半球スクリーンの前にそれと悟らせずに移動し、直径数メートルの半球とライドを併走させ、飛行映像を観客にバレなく見せるテクニック。飛行映像に合わせて座席を自在に振り、その「振り」を振りと悟らせないよう映像とシンクロさせる演出、何から何まで革新的で神経の行き届いたこのアトラクションは大阪に足を運ぶ価値が充分あったと言えるだろう。


 ところで最初の飛行シークエンスの前、魔法で展望台へ飛ばされる部分だが、進行方向を見ていたら、前のライド用のガスエフェクト映像が前のライドの前の壁面に投影されるのが見えた。
 そしてその映像がライドの進行に合わせて左(進行方向)に移動していくのも見えた。なるほど、観客はガスの中を前進していくように思うが実は前進しているようなエフェクトを壁面に投影し、その映像が観客の正面にあり続けるようライドに合わせて横に振っているわけだ。
 映像をライドの動きにシンクロさせて動かすことによって、真のライドの動きとは別なイリュージョンを産むという、このアトラクションの心髄は飛行シークエンス以外でも活用されているわけだ。

 凄いぞハリー・ポッター・アンド・ザ・フォービドゥン・ジャーニー!


 ◆クルー◆


 満足し、帰途につこうと思いゲートに向かって歩く、ハリウッド・ドリーム・ザ・ライド(ローラーコースター)の乗り場の前を通るとここもまた待ち時間ナシ、閉園まで15分だがまだ乗れるようなので乗り場に向かう。
 乗り場のクルーのお兄さんが私の帽子を見て、良いですねその帽子初めて見ました、と声を掛けてくる、実はこれで10人以上のクルーに声を掛けられている。




 この帽子は開業間もない頃ここで買ったものだが、いい機会なので引っ張り出してきたのだ。


 どこにもUSJとは入っていないので、アメリカで買ってきたものですか?と聞くクルーも何人かいた。USJに限らずだがテーマパークではいろんなグッズを売っていて、かぶり物も多い、多分「その帽子似合ってますね!」」とか、アベックであれば「おそろいですね」とか声を掛けるよう教育されているのだろう

「開業当時ここで買ったものだよ」とそのたびに答えてきたのだが、この兄ちゃんは「じゃあ、僕生まれてませんね!」と言う、いい笑顔なんだが、君USJについての基礎知識を頭に入れているか? 君は17歳以下には見えないのだが。


 ◆後日談◆


 今までハリポタライドの仕組みについてあれこれ語ってきた、しかしそれはかなりの部分を想像力に頼った私の個人の考察だ。しかし以降はバレ写真を含め、ある程度裏づけの取れた情報を元に書くので、裏の仕組みについて詳しいことなど知りたくない、あるいは知る前に乗ってみたいと思う向きはここで止めたほうが吉であるといちおう述べておこう。


 さて、ダークライド系アトラクションの仕掛について調べる一番簡単な方法は Youtubeと「lights on」という魔法の言葉だ。
 アトラクションというものは、長く稼働していくうちにはアクシデントがあって緊急停止することが必ずある、そういう場合ライドを再起動して観客を乗降場所まで戻すか、ライドから降ろして施設外に誘導するかになるわけだが、ダークライドの場合かならず施設内部の照明を点灯する。
 そういう時、ここぞとばかり内部を撮影する客はいるもので、それをyoutubeに投稿する者も多い。
 ×× lights on というのはそのような画像、動画に付けられる定番のタイトルである。今回も Harry Potter and the Forbidden Journey lights on と検索したところたちまち多数のバレ写真と動画が出てきた。

 驚いたのがライドのシステムだ、私はこのライドを普通に電動カートのようなものと思い込んでいた、というかそれ以外に考えようもなかったというのが本当のところだ。
 これにはスパイダーマンライドが影響していると言えるだろう。
 スパイダーマンのライドは目前に投影される3D映像とシンクロして上昇、落下その他ありとあらゆるイリュージョンを産み出すため6軸のモーションベース(X、Y、Zの直線運動方向、と ピッチ、ロール、ヨーの3軸回転を可能とする仕掛)が360度回転するターンテーブルの上に乗っていて、それが更に移動用の台車の上に乗っているという複雑なシステムだ、しかしライドは全体としてみれば自動車よりやや大きいかなという程度のサイズしかない。




スパイダーマンライド、テスト中の動画より

 あのスパイダーマンライドでさえあの程度なのだからという思い込みが、ハリポタライドの仕掛の把握の障害になっていたのだ。考えてみればおかしいのだ、自動車程度の電動カートでは直径5mの半球型のスクリーンに対して座席の位置が低すぎる。高さだけではない、飛行シークエンス中座席からスクリーンのフチを見ることができない、ということは座席が半球のフチより中に位置しているということだ、つまりその時座席の下はスクリーン下端になっている、つまりハリポタのようなライドシステムではその位置に座席を持っていくことが出来ない。




上の黄色い部分が4人掛けの座席だ

 これはもはやライドなどという代物ではない、自走する工業ロボットといった案配だが、ロボット自体もなかなか規格外である、そもそも工業ロボットは人の代わりにツールを持って作業するために開発されたもので、あまり重量物を持つようには出来ていない、しかしこいつは4人乗りの座席を先端に付けて振り回すことが出来るのだ。

 theStudioTour.com というユニバーサル・スタジオのテーマパーク事情について語るサイトがあるのだが、そこに以下のような記述があった。

 『 The attraction uses a number of KUKA Robocoaster G2 robotic vehicles to transport the guests around the Hogwarts castle.
(中略)
 The vehicles follow a track around the show building, with the guests on the end of the robotic arms, around 15 feet in the air. The robotic arm accurately follows the various exhibits and projection screens, with the vehicle remaining on the track all the way. 』

 『このアトラクションでは、ホグワーツ城巡りのお客様を移動させるために、多数のKUKA Robocoaster G2ロボット車両を使用しています。
(中略)
 乗り物は、約15フィートの高さにあるロボットアームの先端にゲストを置いて、作り物をたどります。ロボティックアームは、様々な展示物と投影スクリーンを正確に追跡し、車両は軌道に残っています。』


  文中にある「ロボコースター」という言葉で思い出した、工業ロボットの展示会でアームの先端に2人乗りの座席を付け人を乗せて振り回している工業ロボットの映像を見たことがあったのだ。
 改めてしらべて見るとこれがロボコースターだった、KUKAについて調べてみるとこれはドイツに本社がある工業ロボットのメーカーで業界第2位の大企業だ。




これが 『Robocoaster G1』 だ

 KUKAの本社サイトを見ると

  『A second generation system, the RoboCoaster G2, was deployed at Universal's Islands of Adventure theme park in Orlando, Florida in 2010, in conjunction with Dynamic Structures. 』

 『第2世代のシステムであるRoboCoaster G2は、Dynamic Structures社と共に2010年にフロリダ州オーランドのユニバーサル・アイランド・オブ・アドベンチャー・テーマパークに配備されました。』
 
 とあるので先のサイトの記述は間違いないようだ。

 となると「約15フィートの高さにあるロボットアームの先端のゲストを置く」というのも間違いないだろう、15フィートといえば4.5mである! 建物の1フロアが 2.7mとして2階の半ばくらいまでの高さがあるということだ。
 工業ロボットとしては化け物のようなサイズと言えるだろう、そして写真を見ると最低2つの関節がこのロボコースターG2には付いている なるほどこれで座席を自在に振り回し、飛行シークエンスの際には半球内部に押し込むことが可能なのだ。

 the vehicle remaining on the track all the way.
 車両は常に軌道の上に残っている、

 とは「座席は軌道上にないことがある」という意味で、つまり飛行シークエンス中には座席をオフセットしているということだ。

 ライドだけではない、その一端は垣間見たものの実際クリアな映像として見るとそのサイズに驚嘆するのが全天全周スクリーンだ。私はこのスクリーンがライドと向き合って平行移動していると想像していたのだが、実際のサイズを目で見てみるとそれがえらい仕掛になるだろうことは想像できる。





 というわけで半球スクリーンは6つが背中合わせになってターンテーブルに乗り、回転しているのでした。

 ライドはタイミイグを正確に合わせてスクリーン前に移動し、アームを伸ばして座席をスクリーン内に押し込み、回転にあわせて周回し、座席を映像に合わせて上下左右に振っているのだ。この複雑な仕掛こそがハリポタライドのバックボーンだったのだ。

 


飛行シークエンス中の座席のポジション、台車からオフセットされている



 ◆まとめ◆


 たとえばBTFライドのように、全天全周スクリーン内部に座席を置いてリアルな体験を提供することは昔から行われていた。
 視界を制限してスクリーンのフチが見えないようにすればよりリアルな体験となるのもわかっていた。

 たとえばスター・ツアーズのように、座席と映像をシンクロさせて動かせば更にリアルになることもわかっていたことだ。
 なのでその映像が窓越しでなく、視界の全てを覆い尽くし、目に見えるもの全部が投影された映像であればもっとリアルになるであろうことは想像がつく。

 従来テーマパークの要求するエンターテインメントであればそれで充分と見なされていたはずだ。ごっこ遊びのベースを提供し、あとは観客のノリに期待するというわけだ。  スクリーン前の座席に座り、モーションベースによって映像とシンクロした動きをするライドでひとしきり歓声を上げ、ああ面白かったといって出てくる、それで充分と。

 しかしそこで満足せずもう一歩先に進めようと思った人間がいたのだろう、スクリーンの存在に気づかせず観客をスクリーン内部に誘導できれば、観客にノってもらう必要のない、文字通りのリアル、謳い文句ではない驚異の体験を提供できると考えた知恵者が。

 結果出来たのがこの仕掛だ。出来てしまえばなるほどこれしかないか、と思う仕組みだが、前例のないところから始めたときそれが多難であったろうことは容易に想像がつく。
 映像と座席をどう動かせばリアルな飛行体験が可能かの考察、必要な座席の動きやスクリーンサイズの計算、おそらくは実証実験機の製作とテスト。その結果を元にしたライドの設計、観客にそれと悟らせずスクリーン内部にライドを誘導する方法の研究、トラックを走行しているライドと回転しているスクリーンを寸分違わずシンクロさせるシステム、スクリーン内に投影される映像と座席のモーションのタイミングを合わせるシステム、もちろんダークライド全体の設計も平行して行う必要がある。


 多くのアイデアと努力が注ぎこまれた結果生まれたのがこのモンスターのような仕掛と、そのモンスターさを意識させない純粋な驚きだ。
 このライドの完成度を私は称賛する、その開発に関わった人々に拍手する。

 私は今ここで言い、さらにこれから多くの人に言うだろう
「一度でいいから乗ってみろ、いままでのテーマパークのアトラクションとは一線を画す驚異の体験ができるから」と。


 
 ピーター・ジャクソン版キングコングに出てくる詐欺師プロデューサー曰く
「驚異の映像を見せてやる、木戸銭だけで」

 これは映画屋の心意気を端的に表したセリフだと思っているのだが、たぶんアトラクションの開発に関わる人もそう思っているのだろう。


 





 映画のネタには寿命あるいは賞味期限というものがある。舞台、設定をそのままにそうそう面白いお話を作り続けられるものではない。前作踏襲でいけば新味が無くなり、思い切った路線変更をすればそれは別な物語となり、にもかかわらずシリーズという足かせがあるために失敗する。
 ということで5作目となれば負け戦だ、ちなみにエイリアンシリーズでは第5作は「プロメテウス」、ターミネーターでは「ターミネーター:新起動/ジェニシス」バイオハザードでは「バイオハザードV リトリビューション」スター・ウォーズでは「スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃」ということになる、感想は人それぞれだと思うが私に言わせれば全て凡作or駄作である。

 そして今作「ジュラシック・ワールド 炎の王国」である、話しの流れからいって当然だがシリーズ第5作だ。

 まったく期待が持てないが第1作は映画史に残る傑作だと思うし、自分自身観た時の衝撃は今も自分の映画観に影響を与えていると思う作品だったのでお布施のつもりで毎回劇場に足を運んでいる。
 今回も公開早々に劇場に足を運んだ、地面に置いた縄の縄飛びほどにハードルを下げていけばことによると面白いかもしれないという期待もあったのだが。

 そんなうまい話しは無かった^^;

 以前にも書いたことがあると思うのだが出てくる人物が不快で思い入れの出来ないキャラクターばかりの映画は面白くない。
 今作も出てくる人物は悪人ばかりだ。実のところ悪役にも格というものがあり、たとえば「地球環境を維持し人類が将来に渡って生存可能であるためには人口を半減させる必要がある」と確信しバイオテロを計画する生化学者ゾブリスト(ダン・ブラウン「インフェルノ」より)などは堂々たる悪役であり、ひょっとしてこいつの方が正しいんじゃ?と思わせる魅力がある。相手にとって不足はないというところだろうか。

 ところがこの映画の敵は金に汚いだけの小物であり、目先の利益のために人を騙し、あるいは命を奪うことをなんとも思わない人間のクズである。大ボスから末端の実行犯まで全員クズなので観ていて不快になるだけだ。
 また今回敵役が小者なら善人側も小者である、2人いる正義の味方の片方は前回のジュラシックワールドの運営責任者である、彼女は肉食恐竜が逃げ出したパークで観客の避難誘導を指揮すべき立場にありながらその任務を放棄し甥っ子2人を探しに出かけてしまう無責任な人物である。この人間が人の道を説くのを見ていると「お前が言うな」という気分になる。
 もう1人は前回ラプトルの調教師であった男で、まあ今作の中で唯一マトモな人間だが、実のところ彼は自分が育て、自分と意思疎通が可能なラプトル「ブルー」にしか興味ない。
 彼らは行きがかり上正義の味方となるわけだが、その実体は降りかかった火の粉を払っているにすぎない。
 つまるところ今作の登場人物には全く魅力がないのだ。

 さて一方ストーリーだ、私はこれがジュラシックパークシリーズの最新作だというだけで観ることを決めてしまったため予告編や作品紹介をほとんど見なかった、なのでこれを「火山が噴火し再び絶滅の危機に瀕している恐竜を救出せよ」という映画とばかり思っていた、サブタイトルとかポスターとか短いバージョンの予告だけ見ているとそう思う。

 なので映画が始まってかなり早いタイミングで島が壊滅したのを見てびっくりした、要するにこれは火山噴火のどさくさにイスラ・ヌブラル島から恐竜を盗み出し、それを闇オークションで軍事、製薬、生化学、お金持ち向けのペットとして売って金儲けしようとする悪人と、利用され用済みになったので始末されそうになった正義の味方(←?)との攻防を描くアクション映画だったのだ。

 「核兵器の闇オークションを開き、利益を上げようと目論む悪の組織がある、君の使命はこのオークションを阻止し核兵器の拡散を防ぐことにある、例によって君もしくは君のメンバーが捕らえられあるいは殺されても当局は一切関知しない」という映画と構造は同じである、つまるところ恐竜は主役ではなくお話を動かすテコでしかない。
 舞台も鬱蒼たる密林や草原ではなく、秘密研究所の内部であり、恐竜たちもスクリーン狭しと暴れ回ることもなく映画の大半で檻に閉じ込められている、これはジュラシックパークではない。

 もちろん物言わぬ核兵器と違って、クライマックスでは恐竜たちは檻から脱出、ところ狭しと暴れまわって悪人たちを丸呑みしてくれるのだが、それはこの映画のオチであってメインストーリーではない。
 映画の見せ場はあくまでも悪人たちと正義の味方の攻防にある(そしてどちらも小者なので爽快感がない)

 ジュラシックパークが公開されて四半世紀が過ぎCGやアニマトロニクス技術はもはや完璧といってよく映像的にはまったく問題がない。恐竜がまさにそこにいるようにしか見えないのだ、にもかかわらず映画はまったく心に響かない。

 カルフォルニアダウンでも同様の感想を抱いたのだが、登場人物に魅力がない映画はつまらない、映像技術だけでは映画を支えられないのだ。

 迷走しているとしか思えない今作はまったくお勧めできない。レンタル開始されたら借りて見るくらいの価値はあるかもしれない、と書こうとしたが、これ観るくらいなら第1作を見直したほうが楽しい映画体験になるだろう。

 結論、5作目は5作目らしい出来でしかなかった。
 

  
 





 予算わずか300万、たった2館で公開されたマイナー映画が口コミから人気沸騰し、今や上映館120、興収13億円を越えるというヒットとなった。
 そして今映画人、著名人からの推しが凄くこれを褒めない人間は間違っているレベルの絶賛の嵐だ。

 うさんくさいので観るつもりもなかったのだが、「映画の途中に仕掛がありそこで映画の見た目ががらりと変わる」と聞いて、これは観ておかなくてはなるまいと判断するに到った。
 映画がこのように社会現象レベルの「異例のヒット」を果たすと、業界以外のマスコミがこれを取り上げ始めるのだが、そういったメディアでは映画紹介の最低現のマナーも守られない可能性がありうっかりネタバレを目にする可能性が高くなる、なのでそうなる前に観ておこうとなったのだ。


 さてこの映画「ブレアウイッチ的主観映像」という話も聞いていたので、なにか手の込んだ仕込みのある映画かと思っていたのだが。


 ごく普通の、よく出来た映画だった。


 絶賛の嵐とか褒めないのが間違っているかはともかくとして、娯楽映画として過不足のない佳作であるといえよう。

 この作品はつまりは「愛と狂気」の映画なのである、映画に対する愛と映画製作に対する狂気の映画ということだ。

 このタイプの映画の嚆矢といえるのがフランソワ・トリュフォーの「アメリカの夜」だが、日本版として「蒲田行進曲」(深作欣二監督)「この愛の物語」(舛田利雄監督)などがある、実のところピーター・ジャクソン版の「キング・コング」もこのジャンルだと私は思っている。

 他人から見たらなんでそんな事に、と思うようなものに自分の持てるものすべてを捧げ人生を投げ打つ人の姿は人の心を動かすものだ。
 そして、その描く内容に確信があるせいなのかどうか、映画人が映画製作への愛と狂気を描いた映画はそのほとんどが傑作なのである。

 この映画にはその末席に座るだけの情熱を感じ取ることが出来る。

 自分が映画好きであると思う人間であれば、観て何かしら感じることの出来る映画だろう。



 






 トム・クルーズの体を張ったアクション、疾走感溢れるカーチェイス、謎が謎を呼びどんでん返しの続く凝ったストーリー、
世界を股にかけ、観光番組のようにエキゾチックな風景を楽しめる舞台設定、
女スパイとのラブロマンス、あり得ないほどに高度なハイテクスパイ道具などなど。それらが高度に融合した一大娯楽エンターテインメントがこのシリーズである。

 であるのだが、どの作品に対してもそれらの要素が過不足なく詰め込まれた結果、新作に対する期待値は下がった。
食い意地の張っている私はまたしてもこれを料理にたとえるのだが、我が家が贔屓にしている某温泉旅館、最高のコース料理が食えることは知っているし連泊しても同じ料理は出ないことは確かなのだが。
  
たとえば
小鉢、「帆立の胡麻酢掛けと穴子と蓮根餅べっ甲餡」が「無花果の胡麻クリーム掛けとトマト白玉」に
造里、「岩魚、いさき、ボタン海老」が「八汐鱒 烏賊、鯛」に
揚物、「キスと夏野菜の揚げだし」が「海老アボカド湯葉巻」に、と変わるだけで目を見張るような変化はない、高度に旨いが驚きはない。

 ミッションインポッシブルシリーズはそのような映画になってしまった、つまり全ての要素が過不足なく詰め込まれた結果、これはなんとしても次の新作を観ねば!という期待感が無くなってしまったのだ。
 今や観るべきはトム・クルーズが(自分の年も考えず)どれだけ体を張ったスタントをこなすかが見所みたいになってきたのだが、ブルジュ・ハリファ(全高828m)の壁面をよじ登ったり駆け下りたり(!)した時点で先はなく、今回のように飛行機の胴体にしがみつくぐらいでは誰も(と言ってしまっては言いすぎなので、私は、としておくが)驚かない。




 「地続き」であるビルの壁面のほうが怖い、登るだけじゃなく飛んだり跳ねたり(!)してるし
 


 というわけで今回は劇場に足を運ぶ気力が出ず(休みの一日を費やし、千なんぼの料金を支払い、劇場に足を運ぶにはそれなりの推進力が必要なわけだが、この映画にその力は無かった)レンタルDVDでの鑑賞となった。

結果
 トム・クルーズの体を張ったアクション、疾走感溢れるカーチェイス、謎が謎を呼びどんでん返しの続く凝ったストーリー、世界を股にかけ、観光番組のようにエキゾチックな風景を楽しめる舞台設定、女スパイとのラブロマンス、あり得ないほど高度なハイテクスパイ道具、それらが高度に融合した一大娯楽エンターテインメント。であって、家のTVの前でゴロゴロしながら観るにはうってつけの作品なのだったが、見事にそれ以上でも以下でもなかった。

 トム・クルーズもさすがに若若しくなく先細りになるのは目に見えている、このシリーズを続けるつもりならなにか大きな変革が必要になるだろう。

 結論
 家で観るならOK



 








 捜査中の事故で四肢麻痺となり指先しか自由にならない文字通りの安楽椅子(車椅子)探偵リンカーン・ライム。現場に残された微細証拠物件からシリアルマーダーを追い詰めてついにシリーズ第12作である。

 さてジェフリー・ディーヴァーといえばどんでん返しである。アンフェアが疑われるほどに、あるいは作品内論理を破壊するほどに意味のないどんでん返しを盛り込むのが芸風なのだが12作目となるとネタが尽きたのか、あるいは同じ枠組みのまま読者をアッと言わせるのはさすがに無理と悟ったのか今作はずいぶんと様変わりした。

 まず関係者を取り巻く状況が変化している。ライムはニューヨーク市警の捜査顧問を辞め、現場を離れて教職に付き、大学で「現場鑑識基礎」「先端科学および凶悪事件現場の共通する物質の電子顕微鏡を含む機械分析」という講座を持っている。市警との連絡係であり恋人でもあったアメリアは重大犯罪捜査課の指揮官になっている。


 話はアメリアが殺人事件の容疑者をショッピングセンターに追い詰める場面から始まる。
 ハンマーで相手を撲殺し金品を奪った男は目撃者がいたことを知らず犯行時の服装のまま出歩いてパトロール警官に発見される、通報を受けたアメリアは男がショッピングセンター中のスターバックスに入るところを確認する。
 応援部隊が到着しまさに逮捕に踏み切ろうとしたその瞬間、近くのエスカレーターで事故が発生する。エスカレーター終端の点検口が突然開き機械室に人が落ちたのだ、アメリアは機械に巻き込まれている人間の救助に向かうがそのため殺人事件の容疑者を取り逃がしてしまう。

 エスカレーター事故の犠牲者は死亡し家族はエスカレーターの製造会社を不法行為-日本で言う製造物責任法(PL法)-で訴える。担当した弁護士は損害賠償を得るためライムに物的証拠に関する専門家証人になるよう依頼する。

 シリーズを12作まで読んできたリンカーン・ライムのプロの読者(!)であればこの2つの事件が無関係だと思う筈もなく、ディーヴァーもそれで引っ張れるとは思っておらぬようで早々にこの2つの事件は交差する。
 
 オビにも「身近な道具が牙を剥き、あなたを殺す」と書いてあるので言ってしまうが、アメリアの追っていた容疑者はハッカーであり、IoT ( Internet of Things 日本語で「物のインターネット」)を駆使して人を殺すシリアルマーダーだった。ここだけは毎度変わらない知的な(そして捜査当局に挑戦する)連続殺人鬼なのだ。

 

 さてしかしこの IoT の殺人というネタだが今さらこれ? というのが正直なところだ。 IoT という言葉が登場してかなりの年数が経つ(言葉自体は1999年に作られた)「冷蔵庫がネットとつながる?いったい何のために?!」と話題になったのも昔のことだ。
 ネット家電がハッキングされて問題となった事件があったと思い、たった今調べたのだが、2013年ネット接続された家電10万台以上がウイルスに感染し、75万通のスパムメールを送る踏み台にされたという事件が発生していた。
 その後も『ウイルスに感染し Bot化 された IoT家電が DNS に DDos攻撃 をして Twitter や Netflix がダウンする』という事件も発生している(面倒なので用語の説明は省く^^;)
 家を遠隔で監視して泥棒の侵入を警戒したり、子供やペットを外部から見守るために設置するWEBカメラというものがあるが、このセキュリティが甘いと乗っ取られてプライバシーを侵害される恐れがある、という警告も出されている。

 ドッグイヤー、というのは犬の1年が人の7年に相当するようにIT技術の発展は人の感覚より遥かに早いという意味の言葉だが、それからすれば「5年前」というのは遥かな過去だ、IoT機器の脆弱性から来る危険というものはそのように遙かな過去から指摘、警告されていたことなのだ。

 なので、読者の意表を突くことを至上の目的としている(らしい)ディーヴァーが取り上げるには遅きに失した感が否めない。そしてここが一番問題なのだが作中リンカーンが殺人事件を捜査していく過程で初めてネット接続された IoT 機器の危険を知る、というのもいささか間抜けではないだろうか。 そもそも彼はコンピュータ接続された分析機器を駆使して捜査を行う科学的な探偵であり、大学では「先端科学および凶悪事件現場の共通する物質の電子顕微鏡を含む機械分析」を教えているのだ。

 このお間抜けな感じと「時期を逸している感じ」は実はディーヴァーのデジタルデバイド(digital divide IT技術に関する情報を入手できない、あるいは使いこなせていない人間『情報弱者』)が投影されているだけなのでは?と疑わざるを得ない。

 全体として怪しい構成なところで、後半になると犯人が近未来SF物に登場するスーパーハッカー(笑)のように超人的なハッキング能力を発揮するのも微妙である、俺様に侵入できないネットワークなど無いぜ!というのはいささかファンタジー過ぎないだろうか。

 ということで今作には今さら感、当人が力み返っているわりには的ハズレ感が漂っている。シリーズ12作の内には当たりもありイマイチな物もあるのだが今作は中でも下の部類に数えられるだろう。


 さてここで思い出されるのが1993年に円谷プロが製作した特撮TV「電光超人グリッドマン」である。
 異次元空間からやって来て地球の「コンピュータワールド」に潜伏する「カーンデジファー」はコンピュータワールドの怪獣を現実世界の電化製品に転送し暴走させることによって世界を混乱におとしいれようとする悪魔である。
 カーンデジファーを追ってハイパーワールドからやってきた「ハイパーエージェント」は主人公直人の描いたCGと合体して「グリッドマン」となり、コンピュータワールド内でカーンデジファーと戦うのだ。

 擬人化されたプログラム同士がコンピュータ内で戦うというアイデアがディズニー映画「トロン」(1982年)から来ているのは確かだろうが、ここで特筆すべきは「グリッドマン」がネット回線を通じて電化製品に怪獣、つまりはウイルスを送り込み、暴走させることで現実世界での破壊活動を行う様を描いているという点だろう(トロンは基本的にはコンピュータ内の覇権争いを描いたものである)

 今ではあたり前なコンセプトだがこれが製作されたのは1993年なのだ。インターネットは普及しておらず(つまり「広大なるネット空間」という概念はなく)、グーグルも存在せず、一部のコンピュータオタクがニフティやアスキーネットといった大手の電子掲示板に1対1で接続してテキストを読み書きしていた時代だ。
 専用回線などはもちろんなく、通信料金の定額サービスもなく、ユーザーは従量制の電話回線を使ってパソコン通信を行っていたのだ(23時から翌8時まで定額という「テレホーダイ」が始まったのはこの2年後である)

 この時代にネット回線を通じて電化製品をハッキングし破壊活動を行うというアイデアがどれほど革新的であったかは表現すべき言葉を探すのが難しいほどだ。
 当時は「カーンデジファー様、掃除機をハッキングして何をしようというんですか」というような揶揄もあったが、今回スティールキスに於いて犯人が「電子レンジをハッキングして爆発させ」たり「自動車をハッキングして暴走させ」たりとカーンデジファー様とまったく同じ犯罪を行っている様を読むと、グリッドマンの先進性には感嘆せざるを得ない。

 なので私(グリッドマンの特撮を5話まで担当した)は以下のようにつぶやくのである。
 ディーヴァー、20年遅れているよ、と。


 






 今期(2018年秋)の深夜に「SSSS.グリッドマン」というアニメが放映された。時代がついに追いついた!と思ったのだがこの作品は IoTの犯罪ではなく仮想世界もの、自分達がごく当たり前に享受していた日常が実は誰かの創造物だったというお話だった。
 仮想世界ものというのも今や目新しくはないが、ネット空間で擬人化されたプログラムが戦うという今さら感あふれるIoTネタでないのは正解だろう。
 
 (思い出したのだが2009年の「サマーウォーズ」がまさしく擬人化されたキャラクターがネットワークの中でウイルスソフトと戦うというソレだった。この映画ラストではウイルスが地球に帰還する惑星探査機の制御を奪って核施設に落とそうとする。3.11が起きた現在絶対通らない企画だが、それはともかくディーヴァーの犯人「未詳40号」よりよほど壮大で先進的なテロだ、これが9年前の映画なのである。IoTの犯罪というのはそのように「今さら」のネタなのだ)

 このSSSS.グリッドマン、創造主の意思に沿わない人物は怪獣によって排除され、怪獣に壊された街は日をまたぐと修復され、記憶も修整されるのでそのことに誰も気が付かないという押井の「ビューティフルドリーマー」や「ダークシティ」につながるダークな味わいがあり、一方円谷特撮をリスペクトしつつアニメならではの演出(※1)も加えた爽快なアクションが奇妙に調和して現代のグリッドマンとして秀逸であったと思う。


※1
 画面奥にグリッドマン(や怪獣)が居てカメラに迫ってくる、というカットがよくある。カメラは迫るグリッドマンの顔に付けてパンアップしたいところだが特撮ではこれが出来ない。多くの場合引き絵の時点ですでに背景のホリゾントがフレームいっぱいであり、パンアップすると天井がバレてしまうからだ。
 なので特撮の場合、顔が切れた時点でカットするか足だけになっても見せるか、という不自由な編集を強いられる。
 ところがアニメは違う、描けばいいアニメでは迫ってくるグリッドマンの顔に付けてパンアップし、グリッドマンがカメラを踏み越えて怪獣に向かうという絵を1カットで表現出来る。普段制約の多い絵を見ている特撮マンとしてはこういう絵を見ると「おお、そうなんだよこういうカメラワークが見たかったんだよ」と思うのだ。

 一方グリッドマンが着地すると周囲のコンクリート片や土くれが舞い上がる、円谷特撮的に言うと「平台爆弾」という効果も再現してくれているのだが、操演技師として言わせてもらうと、あれは「本当はこうあるべきところが、現実的な問題によってこうなってしまった」という残念な部分のある効果なのだ、それをアニメで再現されると見ているこちらは微妙な心持ちになるのだが、まあそういう話はまた別の機会で