2025


 


 予告編でゴジラとキングコングが並んで走っているのを見てこいつはヤバイ!と確信した。



 映画においてストーリーがもっとも重要なのは当然だが、同じくらい重要なのが登場人物の魅力である、その人間が何を語りどう行動するか、どんなバックボーンがあってどんな性格なのか、それが観客に伝わらないではそれこそお話にならないし逆に主人公に魅力があれば物語に多少の傷があっても問題なかったりする。

「7人の侍」の三船は演技は大根だしセリフも棒読みだが画面から伝わってくるエネルギー、精気がすさまじく観客を魅了する。
 リリー・フランキーは「黒蜥蜴」に対し「映画とは、どんなに話がヨレて演技も演出も死んでいようが、主役がキまくっていればそれでイイという、お手本の作品がこれだ」と言っている。

 上のような状態を俗に「キャラが立っている」と言う。そして出てくるだけでキャラが立ち映画を支えることができる役者は「大スター」と呼ばれる、しかし着ぐるみやCGといった非実在俳優(?)にその存在感を与えるのは難しい。
 
 ところで私は最近「LOWレベルの満足」という言葉を発明した。映画を観る観客はハデなアクションや特殊効果を見て歓声を上げる一方「これは役者本人ではないにせよ誰かが実際高いところから飛び降りたのだ」とか「ミニチュアかもしれないが実際に建物を爆破しているのだ」と思って興奮する、あるいは「凄いカーアクションに見えるがこれフルCGなのでは?」と思って鼻白む、というようなことだ。つまり観客に真の満足を与えるには表に見える映画表現の他にそれを背後で支えるリアルが必要ということでありそれが満たされた状態を「LOWレベルの満足」と呼ぶということだ。(このことを誰よりもよくわかっているのがトム・クルーズであろう)
 なので非実在俳優は難しい、彼等は映画の中だけにしか存在せず真の肉体もバックボーンもない。故に「キャラが立つ」出てくるだけでも拍手喝采となる、のは至難の業だ、そのようなハンデを背負いながら大スターという位置にまで登りつめたのがゴジラでありキングコングなのだ。
 もちろんこれには長年に渡る関係者の工夫と努力があってのことだ。そういう意味で言うと今回の「爆走するゴジラとキングコング」には問題がある。。
 キングコングが躍動感あふれる走りを見せるのは良い、彼は拳一個でのし上がった髑髏島の王でありその脳筋ぶりが愛されているからだ、しかしゴジラは違う、彼は不死身の肉体を持ち、全ての怪獣にとっての王であり、人知の及ばぬ荒ぶる神である、彼は威厳をもって周囲を睥睨する怪物なのだ。だから彼は焦ってはいけないし急いではいけないし、ましてやキングコングと同等の速度(!)で走ってはいけない。
 このカットによってゴジラの神性は失われ、重厚さが剥がれ落ち、まるでゆるキャラのようになってしまった、更に言えば全力で走ってもゴジラと同じ速度しか出ないという絵面によってキングコングの運動能力にもクエスチョンが付いてしまった。つまりは長い努力の末に確立したはずのキャラを一気に失墜させているのだ、登場人物(?)のキャラを立てることが映画にとってどれだけ重要かは映画人であれば骨身にしみて知っているはずなのだがどうしてこのような企画が通ったのか不思議でならない。


 




 ターミネーターがシュワちゃんの映画であり、インディ・ジョーンズがハリソン・フォードの映画であり、バイオハザードがミラ・ジョボビッチの映画であったようにエイリアンはシガニー・ウィーバーの映画だった。しかし、いかなヒーロー、ヒロインといえど寄る年波には勝てず、やがて「いや、これは苦しいだろう」という絵面になってシリーズは終わりを迎える。(ミッションインポッシブルでトムクルーズはまだ頑張っている ^^)
 ドル箱を惜しむ映画会社は主役の差し替えを行いあるいは路線変更をして続編を製作したりもするがほとんど成功しない。
 エイリアンはリドリー・スコットが30年ぶりにメガホンを取り「プロメテウス」でリブートした。この映画の主人公ショウ博士は行動力のある女性科学者でありリプリーと同等の魅力があった。話は始まったばかりで彼女の冒険はこれからだ!で終わるのだが、このあとリドリー(の内面)に何かあったらしく次作コヴェナントでは彼女はすでに死んでいる(!)リドリーの関心は脇役であったアンドロイドのデヴィッドに移っており、人から生まれた人ならざるものの悲哀という形而上のドラマになってしまったのだ。
 この「人から生まれた人ならざるものの悲哀」というのはリドリーが製作総指揮を務めた「ブレードランナー 2049」のメインテーマである。長らくハデなアクションと特殊効果でエンターテインメントの王道を驀進してきたリドリーだが老境に入って(プロメテウスの時に76歳)人とは何か生きるとは何かという深みのある映画が作りたくなったのかもしれない(映画に限らず小説家でもありうる現象ではある)とはいえしかしそれをエイリアンでやるのは悪手である。
 デヴィッド君は自分が知性、肉体ともに人間より優れた存在であるという自覚を持っている、しかし「創造主」たる人間には従うほかない。そこで彼は人を超える「完璧な生命体」を作り出し自らが「創造主」となってその頸木から逃れようとしているのだ。
 これがエイリアンの前日談である以上その創造物があのエイリアンなのだろう(劇中「創造物」が登場するたびにだんだん初代エイリアンに近くなる)
 ところで、エイリアンは「完璧な生命体」「宇宙最強」とよく言われるのだが、実際は生殖本能と攻撃本能しかない半端な生物ある。1作目で手こずったのはノストロモ号の乗組員が戦闘員ではなかったことと、腐食性の体液が宇宙船と相性が悪かったからだ、2作目にいたっては宇宙海兵隊が油断しただけである、普通に銃が効くのだから飛び道具のないエイリアンなど本来軍隊の相手にならないはずなのだ。そしてここが最大の問題だが自分の知性に自信がありそれゆえ自分が人類より上にいると自覚するデヴィッド君だがその創造物には知性のかけらもない。これでは地球上にいくらでも居る猛獣と同じである。そんな動物をいくら生み出したとしても「創造主」とはなり得ないだろう。このシリーズの行き着く先が初代エイリアンならリドリーの新シリーズは間違った方向に進んでいるとしか思えない。

 止めるやつはいなかったのか、と思うのだが天下のリドリーに物言える人間はいないのかもしれない。
 この拗らせたリドリーに危機感を覚えたのかどうか 20th Century Studio はシリーズ進行中であるにもかかわらず別なエイリアン映画を製作した、これが今作エイリアン:ロムルスである、初代から分岐したアナザーストーリーと言えるだろう。
 外面はパチパチした絵面ながら内容は思索的であるという道迷い中のリドリーエイリアンから一旦離れ、初心に返ってエンターテインメントで勝負ということなのだろう。
 だろうとは書いたものの、これが原点回帰を第一目標に作られているのは明らかである、見たような道具立てにシチュエーション、既視感のある絵面のオンパレードなのだ。そのため破綻しているところは特になく観ている最中はまあまあ楽しめるのだが後に残るようなものはなく、劇場を1歩出ると何を見たのかまるで覚えていない。今回感想を書こうと思ったのだが何も思い出せないので何も書けなかった。思うのは1作目のエイリアン(46年前!)は傑作だったのだなあということだけだ。
 この映画について「1作目を観ていない最近の映画ファンにもお勧めできる映画」という映画評論を散見するのだが、これのために劇場に足を運び1800円なり払うなら自宅のTVモニターで1作目を観たほうがよほどマシ、というのが良心的な態度というものだろう、まあそんなことは死んでも言えないのが映画評論家のつらいところなのかもしれないが。 


 




第一章 スタンバイ

 日頃から遊園地好きを公言しているにもかかわらず、7年前ユニバーサル・スタジオ・ジャパンに行ってからどこにも行ってない、テーマパークとしてイチ押しのディズニーシーに行ったのは更にその10年前なのだから私も緩んだものである。

 というわけで1年前からシーに行かねばと思っていたのだが、シーは2024年の6月に「ファンタジースプリングス」という新エリアが開業する予定になっていた、どうせ行くなら新エリアには行きたいということで行くのは今年の4月と決めた。なぜに4月かと言えはそこが一番空いているからである。昨今のテーマパークは修学旅行生でいっぱいなのだがさすがに新学期始まってすぐに修学旅行を企画する学校もなくそのぶん人出は減る筈なのだ。

 予定の1ヶ月前になりチケットの販売状況を確認してみた、昨今のディズニーリゾート(ディズニーランド、ディズニーシー)は人出が多く見込まれる日の入場料金は高く人気の無い時期は安い、つまりダイナミックプライシングが導入されているのだ、するとこの半年のうち4月の第2週の平日だけが最安値の7900円になっている。4月の第2週空いている説は間違っていなかったようだ。ちなみに料金は6段階に分かれており最高値は10900円、最安値と3000円もの差がある。

 さてしかし久しぶりのディズニーシーだが調べてみるとまるでシステムが変わっていた「スマートフォンにアプリを入れないと何も出来ない」という話は聞いていたのだが、入場チケットはネットで取得しスマートフォンでQRコードを表示して入場するのみとなっていた。空きがあれば当日でも券は買えるがパークにチケット売り場はもう無い、またゲートで配っていた園内マップも無く全てアプリで見ることになる。
 ・・・というようなことは実は些事であって最大の変化はファストパスという仕組みがなくなったことだ。ファストパスとはアトラクションに優先的に乗れる無料のチケットでありこれがあると長い行列「スタンバイ」をパスしてアトラクションに乗れるのだ。待ち時間2時間オーバーなど普通にあるディズニーで無策のままスタンバイしていたら乗れるアトラクションの数は極めて少ないものとなる。
 このファストパスは一度取ると次のパスが取得可能になるまでに一定の時間が必要になる、指定された入場時間を過ぎると使えなくなる、指定される入場時間は早い時間から埋まっていき予定数に達すると発行停止になる、という縛りがある。
 このパスをどう使うかというと「混んでいるアトラクションのパスを取り、次のパスが取れるようになるまでは待ち時間の短いアトラクションに並ぶ」というように運用するわけだ。これを活用するためには他のアトラクションに並んでいる最中にファストパスの入場時間が過ぎてしまうという事がないようにする。また次のファストパスが取得できる時間には取りたいアトラクションのパス発行機の前に居るようにする事が必要になる。人気アトラクションのパスは予定枚数に達して発行停止になることが多いので隙なくパスを取ることが重要なのだ。
 しかしシーは中央に海があってまっすぐな道がない、たとえば入場口のあるメディテレーニアンハーバーから最奥のロストリバーデルタまで歩いて15分以上かかる、パス発行機は各アトラクションの前にあるので時間を調整して効率よくパスを取得するには園内マップを頭に入れておく必要もある。
 というわけで、かつてはディズニーシーを楽しむということはこのパズルのような条件をクリアしどれだけファストパスを取得できるかということでもあった。私はそれについてはベテランでありシーのプロなのだ(!)と豪語していたのだがこのファストパスは2023年に廃止されていた、シーのプロ一転してド素人である。


第二章 調査/研究

 ということでイチから勉強し直した、遊びに行くのに勉強ってなんだという気もしないではないが思い立ったが吉日で足を運び、園内をブラブラ歩いて面白そうなアトラクションがあったら乗るというような夢のような遊園地は遙か昭和の彼方にしかないのかもしれない。

 幸いにもというべきだろうかテーマパークマニア、インフルエンサーは星の数ほど居て、情報サイトや動画は山のように存在する、そして彼等はその知見を惜しげも無く(自慢げに?)公開してくれている。その細かさは園内にとどまらず、舞浜からディズニーシーまで行くのにモノレールで行くのが早いか歩くのが早いかなど細かい部分に及んでいる、舞浜からシーのエントランスまでどこの横断歩道で道を渡るべきかまで解説しているサイトもあった。

 とはいえ今勉強すべきはファストパスの代わりに導入された新しい優先システムである、これには以下のような種類がある。

ディズニー・プレミアムアクセス
40周年記念プライオリティパス
スタンバイパス
プライオリティシーティング

 すでにして面倒な予感がするが、このうちプライオリティシーティングは人気レストランの予約であり1ヶ月前から申し込みすることが出来る。ディズニーのレストランはどこも映像美術の粋を凝らしたものでベースとなる建築様式に夢と魔法を加味しこの文化が花咲いたこの時代のレストランはこうなんだろうなあ(こうあって欲しい)と願う人の想いを満足させる完成度がある。つまりはアトラクションなのだが食事そのものの味がイマイチというか内装から見て数段落ちると言うかつまるところそこらのファミレス並である。何度か足を運んだが内装と味のあまりの落差にがっかりするので私はレストランに期待していない、なのでまあこれはどうでもいい(^^;)。

 スタンバイパス、これはグッズの売店に並ぶためものである、優先入場できるとか時短になるというわけではなく入場待ちのスタンバイ列に並べるだけだ。アトラクション命でグッズに興味のない私は知らなかったが園内でなければ買えないディズニーグッズを買うために来園するファンも多いらしく、その売店の入場待ちもえらいことになっていたらしい、それを整理するために作られたシステムである、今やお土産を買う(ための権利を得る)だけでもパスの取得が必要なのだ。
 無料であり時間指定はできず早い時間から埋まっていき一度取ったら次のパスは120分先でないと取れないなどかつてのファストパスに似たシステムになっている、これもまあグッズを買う予定のない私は無関係である(^^;)

 40周年記念プライオリティパス、これがアトラクションの優先チケットである、無料であり時間指定は出来ず一度取ったら120分経たないと次は取れず、発行されるにつれ指定入場時刻は後になり予定数に達すると終わりになる。つまりはファストパスの後継パスだ。これは以下のアトラクションに適用される。

タートル・トーク
ニモ&フレンズ・シーライダー
インディ・ジョーンズ・アドベンチャー: クリスタルスカルの魔宮
レイジングスピリッツ
マジックランプシアター
海底2万マイル

 開業当時から存在するか導入されて久しいアトラクションであり最新のものと比べると人気が落ち着いているものばかりだ、しかしこの中で乗る価値があるのはインディ・ジョーンズとレイジングスピリッツくらいである。しかしそのインディ・ジョーンズとレイジングスピリッツは「シングルライダー」の対象になっており1人であることを申告するとスタンバイの先頭まで進める。何度でも使えて無料であり前もってパスを取得する必要のないシングルライダーは条件さえ合えば最強の優先パスである。私は1人で行くので40周年記念プライオリティは無用である。

 最後のディズニー・プレミアムアクセス、これが現在攻略すべきシステムの本丸である、対象は2時間以上待ちもありうる人気アトラクションばかりで以下のとおり。

アナとエルサのフローズンジャーニー
ラプンツェルのランタンフェスティバル
ピーターパンのネバーランドアドベンチャー
ソアリン:ファンタスティック・フライト
トイ・ストーリー・マニア!
タワー・オブ・テラー
センター・オブ・ジ・アース

 これはいわば有料のファストパスであり下の2つは1回1500円、他は2000円でアプリから購入する。
 かつてファストパスは無料だったのに世知辛いと思わないでもないが入場者数の多さで顧客満足度がダダ下がりだったディズニーリゾートが入場者数を抑え代わりに客単価を上げるという方針に転じたということらしい。

 このプライオリティパスは有料であることを除けばかつてのファストパスより使い勝手がいい、購入したあと次のパスの購入が可能になるまでに時間が必要という制約は残っているがアプリ上で取得するためスタンバイ列に並んで居る時でも購入可能なので行動の自由が効く。そして入場時刻の指定が可能になったのも大きい、ファストパスは早い時間から順に発行されるだけだったのでアトラクションに乗る順番から食事のタイミングまで園内の行動はファストパスの取れ方次第だったのだ。

 ちなみに上に書かなかったが園内で行われるパレードやショーもプレミアムアクセスの対象になっている。場所取りをせずとも良い場所で見られる仕組みだがこれらは有料エリア以外でも見ることは出来るし、わたし的にはたまさか行き会ったら見る(こともある)程度なので取るつもりはない。しかしパレード命で来園する人も多い(らしく)、アトラクションと違って1日1回しか行われないものもあるのでそれなりに競争は激しい(らしい)このパスの発行待ち時間はアトラクションとは別立てになっている。

 新システムでもうお腹いっぱいという感じだがもう1つある、レストランである、ひとたび入園して朝から晩まで居れば3食食べることになるのでどこで何を食べるかは重要である。予約のいらない(プライオリティシーティングではない)レストランや軽いスナックを提供する売店は園内に多いのだが(今数えたら40以上あった)これにも新システムが導入されている、モバイルオーダーである。
 モバイルオーダーとは昨今街のファーストフード店で導入されているのと似たようなもので前もってアプリで注文し時間になったら取りに行くという仕組みだ。
 これは、
 アプリでモバイルオーダーを選択すると位置情報から近くの店が表示される。
 時間指定が可能(街のファーストフードではたいてい出来ない)
 時間指定した際に他のスタンバイで予約時間の近いものがあると「この時間帯の前後にすでに予約があります、よろしいですか?」と確認される。
 時間近くになるとプッシュ通知で「レストランまでおいでください」と案内が出る。
 最終的に「注文を受け取る」ボタンを押さないかぎりお金は引き落とされない。
 商品が出来ると「カウンター○においでください」と案内が来るがその際にカウンターの案内図が表示される。
 など実に完成度の高いシステムになっている。
 痒いところに手が届くといっていいのだがこのモバイルオーダーは商品を提供してくれるだけで席を確保してはくれない。
 これについて公式サイトの「よくあるご質問」では。
Q : ディズニー・モバイルオーダー 注文すると、レストランの席も確保されますか?
A : 席は確保されません。お客様ご自身でお席を確保していただきます。
とそっけない、

 しかしこれには簡単な対策がある、レストランに着いたらまず席を確保しそののち「注文を受け取る」ボタンを押すだけだ。指定時間から30分過ぎるとキャンセル扱いになってしまうがこの間に席が空く可能性はあるしダメでもトレーを持ったまま途方に暮れるという事態は避けられる、その場合はお金も引き落とされない。実際に調理が始まるのは受け取るボタンが押されてからなので席探し中に料理が冷めてしまう怖れもない。
 小技というか豆知識的なことだが公式サイトには店に着いたら注文を受け取るボタンを押せとしか書いてないので言われるがまま実行すると痛い目に遭う(かもしれない)



アプリの待ち時間表示モード(※2025/6/5)

 ここまで長々と書いてきて何がいいたいのかと言うと、今ディズニーリゾートに行くにあたっては事前に充分な勉強、調査/研究が必要だということだ。そこまでやる必要があるのかと問われればもちろんご自由にというしかないのだが行ってしまえばなんとかなるでしょーというスタンスでは乗れず、食べれず、買えないという事態に陥る可能性は高い。「カップルでディズニーランドへ行くと別れる」という都市伝説があるわけで、それは長い待ち時間でイライラしたカップルがケンカになるからだと言われているわけだが、これからはお前が/あなたが、ちゃんと下調べしてこないからこんなことになったんだというケンカも増える(かもしれない)

 先に「スマートフォンにアプリを入れないと何も出来ない」と書いた。上で述べたことは全てアプリ上で行うのでどうみてもスマートフォンは必須だ。公式には無しでも来場可能となっているが現実的ではないだろう。ディズニーマニアのYouTuberが「スマートフォン無しでディズニーシーに行ってみた」という面白動画を上げていたが、スマートフォンが無くとも入園チケットのQRコードを印刷して持っていけば入ることは出来るらしい。しかしマップは無い、各アトラクションの待ち時間がわからない、ショー/パレードの時間もわからない、各種パスはアトラクションの前まで行かなくては取れないし、そのパスが残っているのか、残っているとして時間帯はどこかなどは行ってみなくてはわからない、モバイルオーダー専用レストランでは食べられないし併用店では注文だけで列に並ぶ必要があるなど苦行と言ってよい状態になる。初見だったりしたら手も足も出ないだろう、園内マップが無い時点で詰みである、これをしてスマートフォン無しでもOKと言っていいのだろうか。

 しかしこの動画によって印刷したQRコードでもパスの発行ができるというのを知って驚いた。キャストにQRコードをスキャンしてもらうとパスが発行されるのだが、発行とは言っても「何時に来てそのQRコードを見せてください」と伝えてくれるだけでゲストに何かが渡されるわけではない、ということはその情報はQRコードに紐付けられるということだ。無スマートフォン者(?)だけをその仕組みで管理しているわけはないからアプリ使用者の予約データーなどもローカル(スマートフォン内)ではなくサーバーで管理しているのだろう。アトラクションの入場時にこのQRコードをかざすわけだがこれはチケットを見せているのではなく、その個人が入場の権利を持っているかどうかをサーバーに問い合わせているということだ。数万という観客のパスの取得状況、お食事の予約時間(メニューから予約のバッティングまで)の管理をアプリに投げるのではなく通信キャリア越しに一括処理をしていると考えるとなかなか凄い仕組みと言える。
 通信障害が起こったらえらいことになるに違いないが、それはそれとしてバッテリーが切れQRコードを表示できなくなったら個人的にえらいことになるのは必至である、モバイルバッテリーは必携だ。

 ということでディズニーシー勉強編は終了である、いざ出陣である、面倒と言いつつ楽しく調査/研究を終えた私に隙はない(そうか)


第三章 エントランス


 天候も考慮しパークインは4月の8日と決めた、問題は何時に行くかである。これについてはマニア、インフルエンサーがあれこれとアドバイスしてくれているのだがまるで参考にならない、なにしろ皆「6時に並べばアナとエルサのフローズンジャーニーのプレミアムアクセスは確実に取れます」などと真顔で(顔は見えないが)言うのだ、開場は9時である、入場で3時間待ち?マジで?彼等はディズニーに慣れすぎて感覚が狂っているのではないのか。
 前回は開場の30分前に行って問題なかったが、事情も変わったろうし今回は1時間くらい前には行くかと漠然と思っていた私には衝撃である。
 結局7:30 1時間半前にエントランスに着くことにした、考慮の結果というよりソロで立ち尽くしたまま待つのはこれが限界だろうという判断である。

 当日、舞浜に着いたのは7:10 ディズニーリゾートラインに乗る、歩いたほうが早いというアドバイスはあったのだがモノレールから新エリア、ファンタジースプリングスを見たかったのだ・・・というかディズニーシーは夢と魔法の世界感を損なわないように俗世間を観客の視界から完全に遮断している、高架を走るリゾートラインさえ中から見えないように工夫されているのだ、今回はそこをどう処理しているのか見たかったわけだ。
 と、その前にディズニーランドの駐車場が視界に入る、かつてのあの広大な駐車場は立体駐車場に集約され、平面駐車場はその多くが工事用地になっている。そもそもこのファンタジースプリングスはディズニーランド駐車場を1/3ほども潰して作られたのだが、隣接の区画もスペースマウンテンの建替工事用地になっていて当初の1/2以下に縮小されている。立体駐車場はその一部でしかないので以前と同じキャパシティとは思えない。私が車を使ってここに来たのは1度だけ、40年前のディズニーランドが出来てすぐの時なので昨今の駐車場事情は知らないのだがあれほどの容量は要らなかったということなのだろうか?


2002年

2025年

 そのようなことを思いつつ進んでいくとファンタジースプリングスの外周に近づく、なるほど新しく出来たファンタジースプリングスホテルを壁にして視線を遮っているわけだ。メインエントランスのホテルミラコスタと同じ作戦というわけだがミラコスタはエントランス側(リゾートラインから見える側)はイタリア・トスカーナ地方の実在する建築様式であるためさほどの違和感はない、しかしアナ雪やピーターパンの世界感に合わせたらしいこのホテルはバリバリのファンタジーである。パーク内側ならともかくホテル正面まで夢と魔法である、JR京葉線から乗り換えたばかりでまだ魔法にかかっていない私には違和感さえあると言っていいだろう。


※1

 エントランスに着いたのはジャスト7時30分、待機エリアを埋め尽くす観客にびっくりする、これで入場料最低日なのか、ダイナミックプライシングで週末と平日の差がなくなってきているという話は聞いていたがこんな人数今まで見たことない。
 「待機列はけっこう差があります、どこでも同じだと思わず短い列を見極めましょう」というマニアのアドバイスに従って人数の少なそうな列の後ろに付く、ほどなく「本日の開場は8:40です」というアナウンスがあった、エントランスエリアがあふれそうだと開場が早められるのだ、それでも1時間待ち以上である。

 見える範囲でシングルは私だけ。前後左右の観客の話を聞くともなく聞いているとアナ雪の話題が多い、前は2人組の女性だったが片方が「こないだは結局アナ雪入れなかったのよ、今回は入ったらすぐアナ雪取るからね!」と相方に言っている。アナ雪とはファンタジースプリングスの新アトラクション「アナとエルサのフローズンジャーニー」であろう。
 今回私には乗るべきアトラクションに3つの目標がある、そのうちの1つがこれだ、実のところ映画のアナ雪は見ておらずどんな話かも知らない。一時やけに盛り上がってなんとかいう歌が流行っていたなーという程度の認識である、なので特段の興味はないのだが「アナ雪でオーディオアニマトロニクスは一段と進化を遂げた」という噂を聞いたのだ。オーディオアニマトロニクスとはセリフに合わせて演技する人形、テーマパークと言えば誰もが思い浮かべるあれ、動くマネキンといったぎこちないあれである、私はあれも味だと思っているのだがそれが進化したと聞けば見ないわけにはいかないだろう。
 
 ところで先ほどから話に出ているディズニーのアプリだがこれは入園していなくともリアルタイムでアトラクションの待ち時間を見ることが出来る、なので前日、前々日と混雑具合をチェックしていた(←勉強熱心)するとこのアナとエルサのフローズンジャーニーは開場すぐにスタンバイ90分待ち、10:30には280分待ちになっていた、4時間40分待ち、なにそれ!? プレミアムアクセスも午前中には売り切れで最後はスタンバイ自体も打ち切りになった。一応見ておこうくらいに思っていたのだが見られないかもと思うととても見たい(!)

 同じファンタジースプリングスの「ピーターパンのネバーランドアドベンチャー」も目標の一つである「3Dメガネをかけてライドに乗りピーターパンと共に空を飛ぶアトラクション」という話だが「ライドに乗ってハリーと共に空を飛ぶ」ハリー・ポッター・アンド・ザ・フォービドゥン・ジャーニー(by USJ)を現在ライドNo.1と(個人的に)認定している私としてはこれに対抗できる出来なのかどうか要確認である。

 目標の最後が「ソアリン・ファンタスティック・フライト」 6年前に公開されたアトラクションで全天全周スクリーンに映し出された空撮映像をグライダーを模したライドに乗って見るといった趣向のものだ、しかしなんというか見ていないのにこう言うのも何なのだが微妙ではないか? 
 西暦2000年前後日本には博覧会ブームというものがあり全天全周スクリーン+IMAX(70mm映画)+主観映像は散々公開された、いわゆる展示映像というやつだ。2001年にディズニー・カリフォルニア・アドベンチャーでソアリンが、USJでは「バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド」という全天全周スクリーン+オムニマックス(IMAXのドーム仕様)というアトラクションが公開されたことを考えると時代の産物なのかもしれない。
 しかしバック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライドが特殊効果MAXなスペクタクル映像なのに対し空撮を見るだけのソアリンは展示映像から踏み出していない。テーマパークの映像アトラクションならもうちょっとアトラクティブであるべきではないのか?と2001年当時ですら思った。18年後シーに新規アトラクションが公開されると聞いて楽しみにしていたらそれがソアリンだった、これをわざわざ見に行く価値があるだろうか、いやない、というわけで6年が過ぎた、今回行くとなれば一応見ておかなくてはならないだろう。


第四章 パークイン


 手荷物検査があって入場が始まった、ついにパークインである。スマートフォンに表示させたQRコードを読み取り機にかけて入園する。私は当初このQRコードには「何月何日/大人/1DAYパス」というようなデーターが書き込まれていると思っていた、しかし先に述べたような事情を鑑みるとこれは個人を特定するユニークな番号でしかなく入園の可否等はサーバー内のデーターと照合を行っていると思われる。
 さて各種パスはパークインした瞬間から取得可能になる、私のステータスも「入場」となったということだ。ほとんどの入園者がスマートフォンをいじっている、都心のターミナル駅など目じゃない歩きスマホの集団だ。
 公式曰く各キャリアと協力して充分な通信環境を整えています、ということだがさすがに朝のこの一瞬は負荷が大きいらしくアプリが重い、まずアナ雪をプレミアムアクセスで買おうと思っていたのだが購入画面までなかなかたどり着かない、やっと開いてみるとすでに17:00から後のチケットしかなかった! 選ぶ余地などなく一番早いチケットを購入する、2000円。現在時刻は9:15分これだと10時頃には売り切れるのではないか。

 次にパスが購入可能になるのは60分後である、この次のパスをどうするかは60分先までに考えればよい。朝メシも喰いたいがとりあえず新エリアを見ておこうということでファンタジースプリングスに向かう、最奥だったロストリバーデルタの更に先なので遠い。トランジットスチーマーライン(蒸気船)でロストリバーデルタまで行くことも考えたが待ち時間が30分を越えていたので歩く。
 
 アラビアンコーストとロストリバーデルタの間、かつては StaffOnly の地味な木戸があった場所から更に奥に続く道が出来ている、USJのハリポタエリアもそうだが一度完成したパークに新規エリアを作った時あるあるの不自然な間である、ここから先は別世界なのだと期待させる効果があるとも言えるが。

 道はやがて崖に突き当たりゲストは崖の下の洞窟を抜けて先へ進む「暗い洞窟を抜けるとそこは目を見張る新エリアが広がっています(演出です)」的な紹介がなされているが、ぶっちゃけこの崖は上を走る道路の目隠しだ。
 古い航空写真を見るとわかるがこの場所、レイジングスピリッツとインディ・ジョーンズ・アドベンチャーの裏は駐車場であり周回道路が通っていた。駐車場は新エリアに変貌したが道は業務上必須なものだったらしく50mほど西に移動し高架道路として新設されている、この高架の目隠しが崖なのだ。

 崖には滝がありけっこうな水量の水が流れおちている。新エリアの名が水にちなんでいるため特に違和感はないがこれは車の走行音を隠すためのものだろう。うがちすぎではない筈だ、今通過してきたミステリアスアイランドにも滝がある。多くのアトラクションとレストランがあるミステリアスアイランドには物資補給ルートが必須だが周囲は水で囲まれていてゲストは全ての方向から見る事ができる。完璧な世界感を誇るディズニーシーで補給道路など見せるわけにはいかないのでは島の一部をカルデラ風に盛り上げこの道路を隠しているのだ。この道路も高架であり人がくぐる場所に滝がある。
 実のところミステリアスアイランドのこのポイント、滝も唐突なら通路も変に狭い。最初にシーに訪れたときはなにごとも完璧なこのパークでなんでここだけ妙な空間なのかと思ったのだがGoogleEarthを見て理解した、ここは現実とファンタジーが接近しお互いの斥力で空間が歪んでいるのだ。

 ファンタジースプリングスに入る、ここにはピーターパンとアナと雪の女王と塔の上のラプンツェルのアトラクションがある。ここまでまったく取り上げなかったが塔の上のラプンツェルはボートで映画を追体験するといった趣向のものらしく聞く限り目を見張るような仕掛けもない、なので今回はパスである、使うお金と時間が半端じゃなくなった今とりあえず乗っておこうというわけにいかなくなったのは悲しいことである。

 さてこのエリア、建築/装飾はその名のとおりファンタジーである、美術的に手を抜かないディズニーのやることなので隙はないのだがなんというか底が浅い。私がディズニーシーイチ押しなのは各テーマポートの作り込みがすさまじいからである。居ながらにして古いイタリアの港町や南米の奥地に来たような気持ちになれる、1920年台のニューヨークが蘇ったと思える、大航海時代の海岸要塞に居るのだと思い込むことができる、アラジンやシンドバットが居る街の裏通りはこうなのかもしれない、等々と思えるのが凄いのだ。これこそがテーマパークというものだと思う、そういう意味では遊園地然とした部分の多いディズニーランドは作り込みが甘い。
 さて上に挙げた各ポートの存在感、説得力が高いのはその美術装飾にバックボーンがあるからだ、つまりその時代その文化が生み出した必然性がデザインや建築様式の背景にある。しかし一方ポートディスカバリーやマーメイドラグーンはそうではない。メタリック塗装で幾何学的なラインの建物の上にアンテナを乗せれば未来っぽく見えるでしょとか海草や貝を装飾に使って波紋を模した照明をあてれば海中っぽいでしょというだけに見える。
 ファンタジースプリングスも同じで、あれこれとやってはいるものの元をたどればデザイナー個人の想像力の上に作られている、大げさに言えば風雪に耐えた歴史の重みがなく説得力が薄いということだ。

 難しいものだなあ、というか皆褒めちぎっているけど普通こんなことは思わないのかとか、発信するのはマスコミやマニアばかりなのでポジティブな意見しか聞こえてこないのか、などと考えつつ朝メシをどうするか手の中にある魔法の板で検索する。スナック売り場の待ち時間まで表示されるのは素晴らしい(素晴らしいがもはや我々は「待ち時間」という呪いに支配された奴隷である)
 待ちの少ない「オーケンのフッフーブレッド」でカルダモン&ミート、というミートパイのようなホットサンドのような物を購入、ベンチで食べながら次の作戦を練る。

 アナ雪の予約は遙か先なので一旦置いておく。必見であるピーターパンは目の前にあるし待ち時間も60分と短い(←麻痺し始めている)のでスタンバイに並ぶことにする。次のプレミアムアクセスが取得可能になるまで残り30分だがこれはスタンバイの最中に取れるだろう。

第五章 飛んでる時間が長すぎる。 ピーターパン



 スタンバイする人が並んでいる列をQライン(queue line)と言う、最近のアトラクションは長い待ちが常態化しているので待ちスペースをアトラクション内部に吸収して日差しや雨からゲストを守り、かつ飽きさせないような工夫がなされている。外にあふれたQラインも他のゲストから見えないような場所に配置するのが普通だ(興ざめなので)USJのハリー・ポッター・アンド・ザ・フォービドゥン・ジャーニーなどは2時間以上の待ちでもQラインが一切見えない。比べてこのピーターパン、60分待ちと比較的短い待ちなのにゲーム機発売日のヨドバシのように外周に沿ってゾロゾロ並ばされるのはなぜなのだろうか。



 アトラクション内部のQライン専用エリアに入る、よく見ないと気づかないが床には小さな子供の足跡が付いていたりする、年少のロストボーイが舗装が固まる前に裸足で踏み込んだということだろう、相変わらず隙のないきめ細かな装飾である。
 ここでプレミアムアクセスの待機時間が終了、次はソアリンしかあるまい、見ればスタンバイは120分を越えており贅沢を言っている場合ではない。時間指定の枠は空いているので12:00で取得する、2000円。これで当初予定のアトラクションは3つ全部乗れることになった、JAXAならミニマムサクセスと言うところだ。

 「仲間がフック船長に誘拐された、みんなでボートに乗って助けにいくぞ!」 というようなプレショーを見たあと3Dメガネをかけてライドに乗る。ボートという設定だが左右の船縁が異様に(乗客の頭上まで)立ち上がっていて視界が極めて狭い、なぜかといえばまあ見せたくないものがあるんでしょうね、ハリー・ポッター・フォービドゥン・ジャーニーの空飛ぶベンチも左右見えませんでした。

 セットが組まれその後ろにスクリーンがありそこに映写された立体映像をライドに乗って見ていくというシステムはかつてUSJにあったスパイダーマンライド(ハリポタが出る前はライドNo.1だった)と同じだ。このスパイダーマンライドはモーションベースの制御と映像のマッチングが抜群でびっくりするほど臨場感のあるアトラクションだった。乗っている車がビルの谷間に落ちて行くとき、ライドは平面を移動していだけと知っているのに、何度も乗っているのに「うわぁ、落ちる~~」と体が硬直する、作り込まれた映像とモーションベースが作り出す偽のGによって本能的な危機感が呼び覚まされるのだ。
 このピーターパンも同じである、ネバーランドの川を進んでいくときは何ということもないが、ティンカーベルの魔法でボートが空を飛び始めるとその浮遊感が凄い、大きな滝を飛び越え下の海に向かって落下していくシークエンスはもう落ちているとしか思えない、ゲストからも「うわぁー」という声が上がる。これスパイダーマンライドと同じシステムではないのか。
 同じシステムとすれば20年以上前からあるものだし今はハリポタがあるし、まあよく出来てはいるけどねー、と上目線でいたところ最後に驚きが待っていた。海賊どもを退治し「さあロンドンに戻ろう」となったあとボートはピーターパンと共に空を飛ぶのだが、薄暮のネバーランドから雲海を抜けて夜のロンドンへ、ビッグベンを回ってテムズ川に急降下、タワーブリッジをくぐって市街へと延々飛び続けるのだ、最初は浮遊感スゲーと思って楽しんでいたが途中でこれはヤバイと気づいた、いくらなんでもシークエンスが長すぎる。
 カリブの海賊とかホーンテッドマンションのような古き良き時代のライドはオーディオアニマトロニクスのエンドレスな芝居を眺めていくだけだった(だからライドが数珠つなぎになっていても問題はなかった)しかし今は全体で一つのストーリーがあるのが普通だ、つまり1シークエンス(このピーターパンで言えば1スクリーン)ごとのドラマを頭から見る必要があり、見たら次のライドに場所を譲らなければならない、なので各シークエンスの長さはライドの出発間隔以上には出来ないのだ。スパイダーマンライドも1シークエンスは短いものだった。
 ところがこのフライトシーンはあきらかに長い、ライドは10数秒といった間隔で出発しているから、1シークエンスも10数秒づつのはずだ、ところがこの飛行シーンはまったくあきらかにそれより長い。

 長い飛行シーンと言えばハリー・ポッターとフォービドゥン・ジャーニーを思い起こすのは当然である。このアトラクションは直径数メートルという巨大な半球を背中合わせに6個配置し、内部にムービーを投影しながら回転させ、ライドを向かい合わせに周回させて個別に鑑賞するという大技で1シークエンスの時間を大幅に伸ばしている。スクリーンが半球なので全天全周映像となりどこをどう見てもバレのない飛行体験をすることが出来るという超大作なのだ。





 しかしこのピーターパンはそんな鬼のような仕組みではない、乗車(乗船)するときライドがよくある(スパイダーマンライドくらいの)サイズであるのは見た、走行する床も見えた、ではどうするか。などと考える暇もなく「よしネバーランドに戻るぞ」となってまた延々空を飛ぶ、やっぱり長い、最低でも通常シークエンスの倍以上?と思ううちに終了する、実によく出来た演出と言っていいだろう。



船縁の異様に高いライド、ライドとしては普通サイズ

 いつもならここで即スタンバイに並ぶところだがソアリンの予約も近くスタンバイも90分に延びていた、いつものように秘密を暴くまで乗ってみるというマネは出来ない。ソアリンに向かって歩きながら考える。
 浮遊感を表現するべくモーションベースが常に動いているので身体感覚では捉えられないが、ライドが次々出発してくる以上この飛行シーンの間もライドは前進を続けていると考えられる、この間ゲストがずっと映像を見ていることを考えれば横に長いスクリーンがあって、ゲストはライド上で90度横を向きスクリーンと相対し続けているとしか考えられない。映像は常にゲストの正面に投影されるようシンクロして動いている。これしかないだろう。
 主観的には前進し、あるいは急降下しているように思えても、ゲストは横移動しているだけなのだ。左右の視界が狭められているのはこの横に長いスクリーンを隠すためだ。ハリポタと違って平面スクリーンなので上を見ればスクリーンのフチが見えたと思うが初見ではそこまで気がまわらなかった。あとは家に帰ってから調べるしかあるまい。
 

第六章 メカメカしいグライダー ソアリン

 歩いてアクアダクトブリッジと呼ばれる場所までやってくる、ここは以前ローマの水道橋を模した壁が延々続だけの面白味のない場所だった、特に不自然だというわけではなかったが、ソアリンが出来た今やっぱりあの面白味の無さは不自然だったよねと気づく場所である。



 空を飛ぶことに取り憑かれた女科学者が登場し、長年の研究の末ついに完成したのがこのドリームフライヤーです、皆で空の旅に出ましょうといったプレショーを見てライドに案内される。紹介画像ではこのドリームフライヤーは木と竹で出来たレトロなグライダーなのだが、ライドを吊り上げるメカメカしいアームが頭上に丸見えである。
 バックフューチャーライドではゲストはデロリアンに乗り全天全周スクリーン内部に突き出されるのだがそれを行うアームは床下にあってゲストからは見えない。くらべてこのソアリンは工業技術の結晶です感ありまくりのメカがむき出しで世界感ぶち壊しである、もうちょっとなんとかならなかったのか。


※2
※ Disney California Adventure
レトロなグライダーのイラストはなんだったのか、そこまでぶっちゃけていいのか?


 アトラクションというのはその世界感/イメージはどうあれ、これはアトラクションなのでそこはご勘弁をというバレの上に成り立っている。たとえばローラーコースターなどはもうローラーコースターでしかないので設定というのは装飾の一部でしかない、ボートライドなどはその作り込みとゲストの歩み寄り(薄目で見る!)によっては実際のボートに乗っているつもりになれないこともない。ハリポタなどはもう目を見開いても空を飛んでいるようにしか思えない。つまるところどこまで観客を乗せられるか、夢を壊さず楽しませるか、それが設計者の腕の見せどころなのだと思う。そういう観点で言うとこのソアリンは「設定はどうあれこれはアトラクションなので仕方ないのです」の割合いが多すぎる。


「空を飛ぶ方法をいろいろ研究しました」と言っていたわけだが
その研究の内容が多くの絵画になって飾られている、忍者の隣は空飛ぶ象(!)の絵
ブラックジョークが素敵、周辺を補強しようとする情熱はすごいのだが・・


 雄大な空撮映像を主観映像で楽しむ、そこが魅力的ならそれでいいかと思い直した私だがさらにがっかりがやってきた、CG映像がかなり混じっているではないか。カメラを積んだヘリがモニュメントバレーや万里の長城を飛んでいるメイキング映像を見たことがあるのでそこはリアル空撮だ、一方グリーンランドのシーンでグライダーが氷山に近づくと上に居た白クマが海に飛び込み、奥で氷山の一角が崩れ、海中からはクジラが飛び出して飛沫をゲストに浴びせるという映像がある、誰かが白クマを氷山に配置し、氷山を崩し、クジラに芸を仕込んだのではないかぎりあり得ない映像だ。アフリカのサバンナでも行進する象が砂を吹きかけてくるカットなどがある、つまりは空撮と空撮風CGのハイブリッドだ、たしかに公式はこれが空撮映像であるとは言ってなかった(空撮空撮言っているのは例によってマスコミやマニアだけだ)
 では何でCGだとがっかりなのか。一言で言えば興ざめだからだ、CGは必要なものを必要なだけ盛り込み不要な要素を排除できる。たとえばアフリカのシーン、大地に人工物は一切見えないのだがリアルで撮ればそうはいかない、高所から俯瞰で撮ればどこかに道路が見えたり人工物が映り込んだりするかもしれない、しかしそのノイズがリアルであるとも言えるのだ、ノイズを一切排除したCGはピュアに過ぎ、その過剰なピュアさは人工的であり、大自然を表現するには向いていないのだ。

 世界各所の圧倒的な情景を実際そこに行ったかのよう体験するというのがこのアトラクションの目的であるはずなのにこれは現地に行って撮った映像ではなくコンピューターで創ったCGです(そうでなくては撮れない映像です)を混ぜるのはどうみても悪手だと思う。
 私は映画のCGが観客の満足感を削ぐという話を以前から繰り返し書いている、我々は映画の表だった部分、ハデなアクションや大破壊シーンを見て歓声を上げつつ、心の奥底でこの破壊シーンは実際にビルを壊して撮ったものだとか、驚くべきスタントは本当に誰かがカメラの前で演じたものだと思い満足感を得ている。私はこれをLowレベルの満足と名付けている、CG映像にはこのLowレベルの満足がない、特に現地に行けば撮れる、誰かが演じれば撮れるはずの絵をCGに置き換えてしまうとその不満は大きい、ソアリンだって同じだ。
 各シーンの中で特にCGっぽいのがこのサバンナとグリーンランド、東京の夜景である、他のシーンが展示映像というか観光案内というか、ザ・絶景、という以上の何ものでもない中でこの3つには演出がある。私はソアリンは展示映像から踏み出せていないのではないかと前に述べた。展示映像とは見た目の綺麗さ以外見るところがない無難な映像ということだ、ことによったらディズニー側もそのあたりを気にして何かしら盛り込もうとしたのかもしれない、しかし空撮映像に演出を加えるのは難易度が高い(白クマの調教)結果CGを使うしかなくそのためにその映像が嘘くさくなるとすれば本末が転倒しているだろう。
 空撮のままでは味気ないが盛り込もうとすれば嘘くさい、これがソアリンの限界なのではないだろうか。いっそ開き直ってフルCGのアトラクティブ映像にするか、変な演出をやめてリアルの持つ力でゲストを圧倒するかのどちらかにすればいいのにと思いながら私はソアリンを後にした。

メディテレーニアンハーバーで昼メシにしようと思う。


歩く途中、水際の路面に何か描いてあった、ここは水上ショーのプレミアムアクセスエリアらしい

この一角が優先エリアですというのではなく、立つ場所をピンポインで指定してあるのだ!

 マンマ・ビスコッティ・ベーカリーのミートパイを食べながら午後の作戦を考える、ソアリンがイマイチだったのでインディ・ジョーンズ・アドベンチャーに行くことにする、シングルライダーで待ちはないし安定の楽しさが保証されたアトラクションだ。
 目の前がトランジット・スチーマー・ラインの乗り場なので船旅で行く。
 ケープコッドエリアを船上から眺める、この区画はアトラクションもなくコロニアル様式のこじんまりした家が建つだけの小さな港町だ。閉園間近でひと気が少なくなった頃ここを歩くと、本当に自分が遠いニューイングランドに来たような気分になれる、こういう場所が作れるのはディズニーシーの懐の深さだろう。


第七章 ゼロスクリーン インディ・ジョーンズ

 インディ・ジョーンズ・アドベンチャーの入り口に来て案内のお姉さんに「シングルライダーで」と言うと「今日はシングルの方が多くてシングルライダーでも50分待ちなのですがいいですか?」と聞かれる、待ち時間0しか知らないのでちょっと驚くが通常スタンバイは120分待ちなので入ることにする、別にお姉さんのせいでもなんでもないのだが「済みませ~ん」と謝られる。いえいえ。

 シングルライダーのラインを進み列の後端にたどり着く、おいおいグループが居るじゃないか、というかグループ、だらけじゃないか、この列はプレミアムアクセスと一緒なのか? プレミアムアクセスで50分間待ちだったらクレームものだと思うのだがシングルと申告してバラで入場し中で合流しているんじゃないだろうな。昔、足が悪いと申告して車椅子を借りると付き添い人も含めて優先入場できるというウラ技があったのだがそのたぐいじゃないだろうな(←車椅子は悪用する人が増えたので今はルールが厳格になっている)



Qラインの照明、シーは照明の配線まで凝っている


 ジープに乗って広い地下迷宮を走り回る、アニマトロニクスのインディ、魔神、大蛇、骸骨、竜巻、雷、そして転がる大石、大げさでこけ脅かしで騒がしくてメチャクチャ楽しい、なにがなんでもゲストを楽しませてやるという製作者の意気込みを感じる。古いアトラクションだがこれぞアトラクションである!
 ・・・とまあ手放しで褒めているわけだが、思考停止せずなぜこのアトラクションがこうまで大満足なのか考えるとやはりこれにはLowレベルの満足があるからではないかと思う。つまりインディ・ジョーンズ・アドベンチャーでは「見えているものはすべて実在している」のだ、本当にブツが目の前にあるということは重要な要素なのだ。



 ユニバーサルスタジオハリウッドでジュラシック・パークがジュラシック・ワールドにバージョンアップしたのだが、ウルトラサウロスエリアが海の王者モササウルスに変更された。ジュラシック・ワールドの扉をくぐるととそこが水族館、大きな水中窓越しにモササウルスを鑑賞するわけだが、窓のむこうに本当に水槽があるとは誰も思わないし、何ならそのアクリル窓はそれらしく作った液晶モニターであることさえ承知しているわけだ。制作者は「計算されたCGによる迫真の映像」と自画自賛しているがどうかな、「あーモササウルスねハイハイ」になってないかな、リアルなCGを見せられるよりでくの坊でもいいからあの実物大ウルトラサウルス見たほうが楽しいんじゃないかな。


※3
そもそも出口と水槽の整合性が取れてないぞ、モササウルスの下半身どこいった?


※3
上記と同じ場所、お役御免になったウルトラサウルス、作り物っぽいのは確かだ絶対こっちのほうがいいって

 ユニバーサルスタジオでこれだとヤバイなと思ったのだが、ニンテンドーワールドのクリエイティブ・ディレクターが今度のマインカートマッドネスは「スクリーンはゼロ、全てがリアルだ」と自慢していたので、アトラクションは現物が一番という認識を持っている人が絶滅したわけではないようだ。


※4

creative director ANDREW PADUA

 ついで隣のローラーコースター、レイジングスピリッツに向かう、「シングルライダーで」と言うと「今シングルライダーが混雑していて受付中止してます後でもう一度来てもらえますか」と言われる、あれぇ。
 シングルライダーに問題が生じているような気がするな。

 仕方ないので次にどのアトラクションを買うか考える、乗りたいなら金を払う、ここはそういう場所になのだと考えるようになってしまった。
 と、男子高校生(らしい)4人組がファンタジースプリングスの入り口で「アナ雪待ち時間210分」「よし待つぞ!」「お~」と言って中に入っていった。元気だな、というか富士急ハイランドでドドンパに乗るというならまだしもアナ雪か、高校生男子だと照れが入る内容じゃないのか、仲間が4人も居るとは素晴らしい。

 シーと言えばテラーというわけでタワー・オブ・テラーを買う、1500円。またしてもパークの反対側だが時間はあるので歩いていく。今度はプロメテウス火山を左に巻き途中フォートレス・エクスプロレーションに寄る、ここは大航海時代の要塞で石造りの塔や城壁が迷路のようにつながっているエリアだ。アトラクションなどはないが羽ばたき飛行機や天体儀などが置いてあってルネッサンスの香りがただよう落ち着いた場所である。人気のある場所ではないのであまり人影もない。


CHAMBER OF PLANET
ハンドルを回すと各天体が自転しながら太陽の周りを回る、地味だが美術工芸品と言ってよい出来



第八章 落ちた偶像 タワー・オブ・テラー

 タワー・オブ・テラーに着く、ここは大富豪にして探検家(盗掘家)のハイタワー三世がかつて所有していたホテルである。ホテルロビーがQラインのスペースなのだが、ここにはハイタワー三世が世界各地で行ってきた盗掘の様が絵画となって飾られている。内容は最低最悪の所業なのにまるで偉大な人物が成し遂げた偉業であるように描かれたこれらの絵の出来は素晴らしい。こんな奴は神の怒りに触れて異次元に飛ばされるのは当然だろうと思わせる完成度である。どこのQラインでもゲストの気晴らしのための趣向が凝らされているのだが、タワー・オブ・テラーはその中でもダントツの出来と言ってよい。パスを持っているとここはスルーしてしまうのだがこの絵を見ないではタワー・オブ・テラーを楽しめたと言えない、初見の方は一度は並んで見ることをお勧めする。

 プレショーでシリキ・ウトゥンドゥ(邪神)の像がゲストの目の前で消える。公開当時は話題になったし私はこれの謎を解くため7回テラーしたがすでに16年、さすがに研究し尽くされていてネットで「シリキ・ウトゥンドゥ 消える」と打つと考察サイトが山と出てくる、というかシリキ・ウトゥンドゥの像が消える際ディズニー側のミス(エラー?)で消えるべき照明が消えず仕掛けがバレたという動画が出回っているのでもはや謎でもなんでもない。

 エレベーターの落下はあいかわらず怖い、エレベーターとしてはあり得ない速度で急上昇するところはもっと怖い、これをフリーフォール系アトラクションと呼ぶ人がいるが、あの落下はモーターで強制的に下に引っ張っているので自由落下より速いのです。

 外に出るともう夕景である、アナとエルサのフローズンジャーニーの予約が迫っている。またしてもパーク反対側に行かなくてはならないので今度はエレクトリックレールウェイを使う。古き良きアメリカの路面電車である、元々ニューヨークの路面電車であったものが車の発達によって高架鉄道になったという設定であるらしい。

 ここで1つディズニー豆知識、ディズニーランドアナハイム(元祖ディズニーランド)では外周を蒸気機関車が走っており4つの駅がある。東京ディズニーランドも同じような鉄道を作る予定だったが移動手段として使える鉄道はそれがパーク内であろうと「地方鉄道法」による規制が掛かるのでこれを断念したという経緯があった。代わりに作られたウエスタンリバー鉄道が1周して戻ってくるだけなのはこのためだ。
 この地方鉄道法は1987年に廃止されたためエレクトリックレールウェイはアメリカンウォーターフロント駅とポートディスカバリー駅をつなぐ乗り物として利用できるようになっている。


第九章 アニマトロニクスは歌姫の夢を見るか アナ雪 

 いよいよ本日のメインイベント、アナとエルサのフローズンジャーニーだ。4人×4列のボートに乗って進む、はじめに投影されたアニメを見せられるのでまたこれかと思ったが、アナ、エルサ等のオーディオアニマトロニクスが出てきてお芝居を始めると目が離せなくなる、とにもかくにも動きがなめらかで自然だ、指先にまで情感がこもっていて歌唱シーンなどは生身の人間でもここまでだろうというキメの細かさだ。
 実はこのアナとエルサ、ディズニーでは初めてのオール電動アニマトロニクスだ、つまりこれ以前はどこかにエアシリンダーか油圧シリンダーが使われていたということになる。
 しかしこのシリンダーは等速運動しかしない、ストップする前にスローダウンするくらいは可能だが動きの途中で任意に加減速することは出来ない、コンパクトで強い力が出せる特性からもっぱら工業製品に使われるが情感云々というのはそもそもお門違いなのだ。テーマパークのアニマトロニクスといえばギクシャクしたロボット振りのマネキンというのが通り相場だがそれも当然と言えよう。
 しかしこれをステッピングモーターとかDCサーボに置き換えると自在にスピードが変更出来る、プログラミング次第でいくらでもなめらかな動作が可能になるということだ。そもそもアナ雪はそのオール電動アニマトロニクスあっての企画だろう。なにしろここには魔神も大蛇も転がる大石もない、見るべきはアナとエルザの芝居と歌だけ、情感あふれるお芝居が出来なくては成立しないアトラクションなのだ。
 ディズニーはこのアナ雪を最先端アニマトロニクス技術の発表場所と考えているフシがある。最初のアナ雪はエプコット(フロリダにある4つのディズニーワールドのひとつ)で2016年「フローズン・エバー・アフター」という名で公開された。この時は初のオール電動アニマトロニクスに加え投影式の顔も導入された。これは人形の顔を半透明な面にしておいて内側からアニメーションを投影し自由な表情を作ることが出来る仕組みだ。マジックキングダム(ディズニーワールドの別の1つ)の「七人のこびとのマイントレイン」で導入されたばかりの最新鋭の仕掛けだがマイントレインはローラーコースターであってこびと達はにぎやかしでしかない。つまり感情表現のために導入されたのはアナ雪が初めてということになる。もっともこの投影式の顔はその後廃止され元の人形に戻った、投影された絵であるため顔が光って見える(!)からだと思われる。

 ※5
明るい顔(!)の二人 <Walt Disney World Orlando Florida>

 香港ディズニーランドでアナとエルサのフローズン・エバー・アフターが公開された時にバージョンアップがなされたという話だが、熱心な(香港にまで行くほどの)ディズニーマニアによればシーのフローズンジャーニーはエバー・アフターより動きがブラッシュアップされているらしい。
 このアトラクションはオーディオアニマトロニクスが改良されるほど、プログラミングが精緻になれななるほど完成度が高まっていくだろう、いつか芸術という域にまで達するかもしれない。コケ脅かしではないロボットによる演劇というのは地味に新天地なのだ。


 出ると5時半、レイジングスピリッツは近いのでもう一回行ってみる、今度はシングルライダーが適用されたがやはり乗り場まで一直線とはいかなかった、ううむ。

 レイジングスピリッツはコンパクトだがレイアウトが優秀なのでなかなか楽しめるローラーコースターだ、しかし今回乗りたかったのには別の目的もあった。ディズニーシーは俗世間を遮断した完璧な世界感であると何度も言ってきたが唯一の瑕瑾といえる場所がある、このレイジングスピリッツに乗ると最上部で裏の駐車場が見えるのだ。惜しい!と思っていた私はファンタジースプリングスが出来たおかげでこれが無くなったかもしれないと期待していたのだ。
 もう薄暗く、なにより高速で走行するコースターから一見するだけなのでバレが一切ないかどうかまではわからないが少なくも駐車場は見えなくなっていた。なにしろかつて駐車場があった場所にはファンタジースプリングスエリアが広がっていて、その先は目隠しを兼ねたホテルが立ちはだかっているのだ。周回道路が西に移設されたのもこのバレ隠しのためだったかもしれない。すぐ隣に高架道路があったらさすがに隠蔽するのは難しいだろう。

 そろそろ晩メシの時刻である、このロストリバーデルタにはユカタンベースキャンプというレストランがある。ここは遺跡発掘現場で働く研究者のための食事所で粗末な材料で作られた内装、気取ったところのないワイルドなメニューと南米奥地感(?)が楽しめる場所なのだ。ディズニーシーに来たら必ず1食はここで食べるお気に入りの場所なのだが注文待ちで60分待ちという行列が出来ていた、モバイルオーダーも至近の時間帯はもう受付中止だ。晩メシだけで1時間待ちは無いなと思い、アプリを見るとファンタジースプリングス内の「ルックアウト・クックアウト」が空いていたのでそこにする。目と鼻の先なので指定は10分後、歩いているうちに「注文する」ボタンが有効になるが先人の知恵でまずレストランに入り席を確保してからボタンを押す。席に着いてアプリを見ながら待つ様はフードコートで呼び出し端末を持たされている人のようでもある。



 時刻は19時を回った、乗れるアトラクションもあと1つといったところだろう、ならば乗るべきアトラクションのレギュラーメンバー(?)であるセンター・オブ・ジ・アースしかない。昔はこの時間になるとどこもスカスカだったものだが50分待ちである、もはやためらいもなくプレミアムアクセスを購入する 1500円。


第十章 地下800メートル センター・オブ・ジ・アース

 スタンバイの長いQラインを横目でみながら進むと「テラベーター」がある。これは「秒速14.5ファゾムで、440ファゾム下降する」エレベーターらしい。これに乗って地底走行車の乗降場所であるベースステーションに向かうわけだ。私はこの単位をファンタジーと思い込んでいたのだがヤード・ポンド法の単位だったのですね、1ファゾム=2ヤード=約1.8mなので800mを下降することになる・・・という設定はともかくこのエレベーターは実際には上昇している。アトラクション終了後ゲストは階段を降りて入り口に戻るので間違いはない。マニアの調査によればこの階段は1段20cmで54段あるので6ファゾム、約11m上昇しているわけだ。
 そしてこのテラベーターの中がアトラクションの一部と言ってよい作り込みになっている、リベットの打たれた鉄板、曲がりくねった配管と圧力ゲージ、ガラス管の気圧計に鎧戸、スチームパンク全開である。下降(上昇)を始めると振動、熱気、蒸気、風、鎧戸から漏れる光、ドップラー効果を起こしながら近づき遠ざかっていくベルの音、オイルの香りなどでもう高速で降下してるようにしか思えない。秒速14.5ファゾムで、440ファゾム下降すると必要な時間は30秒だが確かに30秒後に停止する、すると砂や小石がテラベーター上部に降りかかる音が聞こえる、知恵の限りを尽くして人を騙し楽しませようとする設計者の情熱を感じる。これから地底探検だというワクワク感もあってこのテラベーターは最高に楽しいところだ、センター・オブ・ジ・アースで一番楽しいのはここかもしれない。

 扉がひらくとそこは地下440ファゾムのベースステーション、地底走行車乗り場に行く途中にコミュニケーションセンターという通信施設がある。レトロな伝声管が並んでいて地底各所と連絡できるらしいが人がいない。
 「ベースステーション、報告します。ここ風のトンネルでは現在激しい火山活動を感じられます。状況が落ち着くまで出発は延期した方がいいと思われます」などという声が聞こえてくるが担当者不在、なので地底走行車は次々と出発していく、よく出来ている。
 ちなみにその無人の椅子の上にはバインダーに挟まれたメモが置いてあるがゲストは近寄れないので読めない、これを望遠鏡で覗いたマニアによれば地底各所の温度や気圧が細かく書き込まれているらしい、素晴らしい。

 いよいよ地底走行車に乗って出発する、車は「水晶の洞窟」「発光生物のトンネル」「巨大キノコの森」を進んでいくが、実はここがたいへんにしょうもない。あれほど設定を練りその設定を補強するための小細工をちりばめているのにここで出てくる動植物は根のないファンタジーのためのファンタジーで生命感をまったく感じない、こういう場所に生息する虫ならこういう形態で足がこうなって羽はこうで目はこうでと、考えつくすべきだと思うのだが、奇妙な姿で発光していれば地底生物っぽいよねという思考停止を感じるのだ。ディズニーのアトラクション各所に感じるこんなもんだろう感、子供はこういうの好きでしょ感がここでも悪く出ている。
 地底走行車は火山活動の悪化が原因で暴走を始めるのだが、これも思考停止である。
 ディズニーには「ゲストが○○○に乗って楽しんでいたら□□□が起こってピンチ!」というストーリーが多すぎるのだ。
 すでに終了されたアトラクションも含めて数えあげると。
 「海底2万マイル」観客が小型潜行艇に乗って海底の神秘を楽しんでいるとアクシデントが起こり、コントロールを失った船は深海へ、パニック!
 「インディ・ジョーンズ・アドベンチャー」 観客はジープに乗り若さの泉をさがすツアーに出かけるが神の怒りに触れて、パニック!
「ストームライダー」台風を消滅させることが出来るミサイルがあり、観客はそのミサイルを積んだ飛行機に同乗して台風消滅作戦を見物するも、発射したミサイルが誘導不能となり戻ってきて、パニック! 
 「スターツアーズ」観客は惑星エンドアに向かう宇宙ツアーに参加したはずが帝国とレジスタンスの宇宙戦闘に巻き込まれて、パニック!
 「タワー・オブ・テラー」観客はハイタワー三世が世界各地で集めた美術工芸品を見るツアーに参加するが、シリキ・ウトゥンドゥの呪いが発動して パニック!
 そしてこの「センター・オブ・ジ・アース」観客が地底走行車に乗って地下世界の神秘を楽しんでいると突如火山活動が激化、車は暴走を始めて パニック!
 ここにも「アトラクションのストーリーなんてこんなもんでしょう感」が漂うのだ。

 とはいえ地底走行車が暴走を始めるとこれは楽しい、ブルドーザのような鈍重なイメージの地底走行車が250馬力モーターのパワーで急加速するとこれぞ暴走という迫力がある。同じシステムを使用するエプコットの「テスト・トラック」やディズニー・カリフォルニア・アドベンチャーの「ラジエーター・スプリングス・レーサー」は最高速度が地底走行車より速いがライドは車の形をしており走るのは開けた自動車専用道路だ、比べて手を伸ばせば壁に届きそうな洞窟の中を疾走するセンター・オブ・ジ・アースのほうが怖いと思う。

 終わって外に出ると時刻は8時半、閉園まで30分、海底2万マイルが待ち時間15分らしいぞ!と駆けていく家族があったが最後が海底2万マイルではがっかりなのでこれで終わりにしようと思う。



 向かう途中、フォートレス・エクスプロレーションからメディテレーニアンハーバーを遠望する。どこかの歴史ある古い港町にしか見えない。思い込む必要もなくそのように見える。これが一夜城、というか何もない場所に1企業がエンターテインメントのために作り上げた人工的な町だとは思えない、ハリボテではない深みのある美しさである、これを見るためだけにでもディズニーシーに来る甲斐はあるだろう。




第十一章 後日談

その1



 アナと雪の女王は香港のフローズン・エバー・アフターからバージョンアップされていると聞いていたがではどれほど変わったのかと思って香港ディズニーランドの映像を見た。するとこれがもう全然別物。そもそもアトラクション中のアナとエルサの数(!)が違う、香港ではアナ、エルサともに2体づつしかなく、歌を歌うのはそれぞれ1体のみ、最後は2人で手をつないで立っているだけで電動オーディオアニマトロニクスらしい使い方をしているのは2体だけだ。投影されたアニメ映像を見るシーンがあるのだが、途中でアニメを見せるのは無い。
 一方ディズニーシーのアナ雪はアナ7体 エルサ8体。どれも細やかな芝居をしているので新型を導入した意味がある。
 クライマックスでエルサがレット・イット・ゴーを歌うシーンなどは舞台を少しづつ変えながら3体のオーディオアニマトロニクスが歌いつぐという豪華さで、最後宮殿セットの舞台の上で豪華なドレスを着て優雅に歌い上げるシーンなどは一流アーティストのオーラさえ感じる、素晴らしい。
 



 凍り付いて硬直していたアナが溶けて元に戻るシーン、最初は人形のように微動だにせず一瞬で柔らかな人間に戻る様はオーディオアニマトロニクスにしか出来ない演出である。人間に戻った時の動きがロボット振りだと効果半減だがなめらかな演技が可能な新型であってこその演出だと思う。



その2
 ピーターパンライドはまだ登場して間がなくネットにもあまり情報がない、しかしライド前方で超広角レンズを付けて撮ったムービーがYouTubeに上がっていた。それが以下である。

※6

 横長のスクリーンに自分のライド用のムービーが投影されているが、一旦途切れ別のカットが左隣に映写されているのがわかる、ライドは右に進んでいるので左に見えるのは後続のライド用の映像だ。


※6

 これはシークエンスの最初の映像、ライドはスタート位置であるスクリーンの左端にいて視界の右端に前のライド用の映像が映し出されているのがかろうじて見える

 超ワイドなレンズの映写機で全ての映像を一気に投影しているのか、複数の映写機が継ぎ目なく投影しているのかわからないが、常にゲストの前に映像があるように投影することで従来の「投影したムービーを順番に見る方式」のアトラクションの限界を超えたということだ。左右の船縁が立ち上がっていてゲストの視界を狭めているのは、この仕掛けがバレないようにする工夫だったわけだ。平面スクリーンなので上を見るとスクリーンの上のフチが見えたと思うのだが、ライドはスクリーンにかなり近いのでよほどのあまのじゃくでないと気づかないだろう。


※7
トラブル映像
左:実際に組まれたセットとその後ろのスクリーンが見える
右:視界が空のみの場合はスクリーンは床から立ち上がっている、バレないようライドとかなり近い


 ハリポタの「お椀の中でムービー鑑賞」といういっさい隙のない仕掛けからすると簡易だがかなり効果的な仕組みと言える、今度行ったら上を向いて乗ろう。


その3


 かつてレイジングスピリッツで駐車場が見えたのがシー唯一の瑕瑾と言ったが、レイジングスピリッツにはミニマムなバレがもう一つある。



 アトラクションの前にはマヤ文明的祭壇があり、大量の水が流れ落ちつつ火が燃えるという異常現象が起きている、遺跡発掘チームが火の神と水の神の像を向かい合わせに置いてしまい神の怒りが爆発した結果らしい(その怒りで観光客の乗るトロッコのレールも360度ループしているのだと)あいかわらずよく出来た設定とその設定を補強する細工だ。
 これは落ちる水を階段ごとに溜め、溜まった水の中からプロパンガスを出して火を点けるという仕組みだ。水の上の炎というのはテーマパークのショーやアトラクションでよくある効果だが確実に火を点けることが重要になる。このレイジングスピリッツでは連続的にガスが出ているので一旦火が点けば消えない筈ではあるが万が一火が消えプロパンが周囲に滞留したところで再着火したら事件(爆発!)になるので確実に火を点け続けなければならない。そのためにあるのが岩に隠れたバーナーだ、この点火用バーナーは各段にあるのだがその1つが見えている。



どこも緻密に計算してセットを作っているディズニーシーでなぜこのバーナーがOKになったのかわからないが、ともかく公開以来ずーっと見えているこのバーナーが現状私が認識するミニマムな瑕瑾である、重箱の隅すぎるだろうと言われればそのとおりだがそれほどまでにディズニーシーには隙がないということだ。


※1 https://media2.tokyodisneyresort.jp/home/hotel/images/mv/fsh/mv_fsh_2.jpg
※2 https://www.youtube.com/watch?v=eQPYi--2_dM
※2 https://www.youtube.com/watch?v=DvQ8WWRHuF0&t=55s
※4 https://www.youtube.com/watch?v=asmd0jGpg9o
※5 https://www.youtube.com/watch?v=J8OHP9OriMA
※6 https://www.youtube.com/watch?v=3qW-OkI8AjY
※7 https://www.youtube.com/watch?v=QwxsKlg-yW8&t=25s
 

 





『私の映画賞味期限理論によれば映画のシリーズ第5作はおおむね凡作、あるいは凡作を越えた(下回った)駄作となる』と以前書いた
 
 同じ世界観(舞台背景/人物配置)を維持したままオリジナリティがあってスペクタクルでエンターテインメントな映画を作り続けるのはまず無理だ。そしてこの「復活の大地」は初代ジュラシックパークから数えると7作目になる、もうダメな予感しかしないのだがつきあいで観に行くつもりだった。しかし先に観た知人から「寝ないように注意したほうがいいですよ」と聞いて、そこまでか?!と驚いた、仮にもジュラシックシリーズ、眠くなるってあるのか、これはもう地面に置いた縄より更にハードルを下げないといけないとダメなのか。
 そんなこんなで一切の希望を捨てて観に行った、しかし驚くべし現実は予想を更に下回っていた・・・と続くのが話の流れというものだがそうでもなかった(!)
 面白かったとは言えないが「つまんないというほどでも無かった」くらいの出来だったのだ。いや天下のジュラシックシリーズでつまんなくはないというのは最低な評価と言えるのだが。

 実のところ私はこのシリーズはうまくやれば息の長いプログラムピクチャーになりうるのではないかと思っていた。欲の皮の突っ張った人間がイスラ・ヌブラル島(とその周辺)に足を踏み入れ、生態系にちょっかいを入れてはひどい目に遭うといったフォーマットでは長くもたなかったろうが、前々作「炎の王国」のラストで恐竜は世に放たれ世界はどこにでも恐竜が居る場所に変貌した。映画のラストシーン、マルコム博士の「ようこそジュラシック・ワールドへ」という台詞はエスプリの効いたきわめて秀逸な台詞だったと言えるだろう。
 同じ世界観の延長でありながら切り口が広がったわけだ、人間と恐竜の支配権争いあるいは共存といった大きなテーマから局地戦(スーパーマーケットの攻防とか?)までいろいろな視点の映画が作れるに違いない、うまい作戦ではないかと思ったわけだ
 ついでに言えばこのシリーズの主役は年を取らない。ターミネーターはシュワちゃんの映画だし、エイリアンはシガニー・ウィーバーの映画だ、バイオハザードはミラ・ジョボビッチだし、インディ・ジョーンズはハリソン・フォードだ、しかし残念ながら彼らは年を取っていく。溌剌としていたスターも次第に輝きを失っていき映画も活力を失っていく(今果敢に抵抗しているのはトム・クルーズだけだがそれもいつかは終わるだろう)主役の交代を試みた映画もあるがほとんど失敗に終わっている。つまるところ映画は主役<スター>に紐付いているのだ。ところがジュラシックシリーズはそうではない。始めグラント博士、次にマルコム博士、またグラント博士と続き、以降は恐竜監視員オーウェンが主役になっているが特段の問題もない。これが可能なのはつまりは彼らが真の主人公ではないからだ。我々は映画にスターを求める、そしてこのシリーズのスターは恐竜である、そしてその頂点に立つトップスターT・レックスは年を取らない、これは実のところ(実写)映画史上初となる画期的な出来事と言えよう。
 うまいこと考えたものだ、前作はイマイチだったがもしかするとここで違うジュラシックパークが観られるかもしれないとかすかながら期待していたのだ。
 しかし残念ながら・・と続くのが話の流れというものだが、そのとおり残念なことになっていた。

 映画の冒頭「世界中に生息地を広げた恐竜たちだが現在の地球環境は彼らに合っておらず、今では恐竜は熱帯の島々にしか棲んでいない」という衝撃のナレーションが入り設定が初期化されたことが知らされる、なんでだ!
 結局恐竜は南海の孤島にしか居ないことになり、立ち入り禁止となったその島に欲の皮が突っ張った人間が足を踏み入れてはひどい目に遭うというフォーマットに戻ってしまった、それは袋小路だってばさ。

 さてそんなわけなので映画の冒頭はなぜ悪人どもが法を犯してまで恐竜生息地に足を運ぶのかという話になる、そしてこれが長い、眠くなるとはここのことかと思ったのだが、つまりは悪漢の個々の事情が丁寧に描写されるのだ、しかしこの部分はヒッチコックの言うマクガフィン、話を動かすきっかけでしかない、スクリーン狭しと暴れ回る恐竜を観にきた観客に盗賊チームの内面を長々と語ってどうする。
 そのマクガフィンも、まあマクガフィンとは「どうでもいいものだ」とヒッチコックは言っているのでどうでもいいのだが、恐竜の血を採取に行くというのもどうかと思う、彼らが世界中にはびこっていた時代にそれはいくらでも採取できていたのではないのか?

 とまあイントロにしては長い説明パートが終わりやっとのことで海に出て、やっと最初のモササスウルスパートになる。ジュラシック・ワールドではやけにでかくて凶暴だったはずのこの海生爬虫類(※こいつは恐竜ではない)が妙におとなしい、いちおう船に体当たりとかするのだが基本的には併走して泳いでいるだけでまるでホエールウォッチングだ、先鋒なんだからもっと激しくいって欲しい。


ジャンプしてみせる暇があるなら船に噛みついてはどうか


 島に上陸して次がティタノサウルスシークエンス、こいつは草食恐竜なのでほのぼのとしたものだ。
 次がT・レックスシークエンス、お昼寝しているT・レックス(!)に出くわして、襲われて、ボートで逃げてオシマイ、ストーリーにまったく噛まない独立したシークエンスで大スターのカメオ出演だった。


ちょっと凄んでみせておわり、恐竜界のマーロン・ブランドか

 次が翼竜ケツァルコアトルシークエンスなのだがこのあたりでおいおいと思った、各エピソードが完全に独立していてまるで串団子なのだ、映画ってそういうものじゃないだろう。
 初代を観てみろよと言いたい、映画のファーストシーンでラプトルのヤバさを見せつけ観客の度肝を抜いてから話を始め、草食恐竜でほのぼのさせた後に満を持してT・レックス登場、さんざん暴れさせたあとに小型ながら危険なディロフォサウルスにネドリー(←デブ・諸悪の根源)を始末させるという小技を見せ、トリックスターのラプトルがついに姿を現す、狡猾さとスピードと連携と圧倒的な力を見せつけられて絶体絶命というところに大スターが再び躍り出て大団円と間然するところがない。それぞれのシークエンスがお話とがっちり噛み合っていてどれかを外すことなど考えられない構成になっている。それがこの映画はどのシークエンスも他のシークエンスと無関係で一度終われば過去のものになっていく。映画におけるエピソードは互いに連携し積み重なってドラマを盛り上げていく土台となるべきでなないのか。

 ・・・おかしいな、少しはマシなところもあったという話をするはずだったのだがちっとも褒めてない^^;
 しかもこのあとラストも最悪だったという話になるのだが・・・

 うーん、と思いながら観ていくとついにラスボス登場。しかしこいつがエイリアンをモチーフにしたという異形の怪物でのっぺりとした頭部に前足が4本(!)もはや恐竜ではない。何であるかと言えばクリーチャーである、キングコングのスカルクローラやGODZILLAのムートー、クローバーフィールドやSUPER 8のモンスターと同じ異次元の怪物である。恐竜は我々と地続きの世界の動物であって彼らなりの生存戦略に従って生きているだけだ、なので怖くはあっても嫌悪の対象ではない、しかしこの映画のラスボスは悪魔的な外観を持った異次元の怪物<クリーチャー>なのだ。ジュラシックパークシリーズはここで決定的に間違えたとしか思えない。

 書いてみたら褒めることなど出来ない映画であるとしか言えなかった。

 つまんなくはない、というのは串団子の一個一個は悪い味ではなかったということだ。しかしもちろん映画は串団子ではない、手を変え品を変えつつクライマックスに向けて盛り上げていくコース料理のようなものだ。制作を急いだという話も聞こえてくるのだがシナリオを練る時間まで切り捨てたのだろうか。
 構成というものが機能していないこの映画はやはり失敗作であるとしか言えない、それで言えばラスボスがクリーチャーであるかどうかなど重要な問題ですらないのだ。


 




 映画の元となったゲーム「8番出口」は出来のよいミニゲームである(470円である^^;)
 詳しい話は前に書いたのでそれを参照して欲しいのだがこれは基本間違い探しだ、無限ループする通路に囚われた主人公(プレイヤー)は「異変があったらUターン、異変がなかったら先へ進む」という明快なルールの元、壁に貼られたポスターや業務用ドア、照明器具、行き先表示板などが以前と違っていないかどうかを見極めるだけだ。異変のあるなしを正しく判定してスタート地点に戻ると出口番号がインクリメントされ、8回連続して成功すると8番出口から脱出できてクリアとなる(1度でも判定ミスすると最初からやり直しである)

 よくある2次元の間違い探しと違うのはアンリアルエンジンという優秀なCGソフトによって描かれたフォトリアルな通路を自分の足で歩き、自分の目で(頭を動かして)異変を探すということだ。秀逸なのは通常の間違い探しは「必ず間違っているところがある」ので間違いを見つけるまでモチベーションを維持しやすいのに対し「間違っているところが無いかもしれない」という状況では人は集中し続けることが出来ないということだ。
 
 つまり「こんだけチェックして何も見つからないんだから今回は異変ナシ、OK! OK!」となりやすいわけだ。これは安きに流れやすい自分をどれだけ律しつづけることが出来るか問われるゲームと言えよう。意外と奥が深い
 さてプレイヤーにとって異変が無い(という認識の)状況でUターンすることはないので、このゲームのキモは異変は無いと判断して進んだところが見過ごしがあってリセットされた時の悔しさである、7回まで成功しあと1回というときに失敗した絶望感は半端ではない。
 それでもついつい再チャレンジしてしまうのはゲームシステムが明快であるからだ、つまりは失敗は誰のせいでもなく自分の責任、そこに偶然性や不明瞭な判定基準など介在していないという信頼の上にこのゲームは成り立っている。

 ところがところがこの映画は極めて情緒的である。そもそも主人公がこの通路に囚われたのは彼の心に迷いがあったからであるらしい。そして最初は間違い探しをやっているのだがそのうち間違いなどはどうでもよくなって(!)彼がこの通路の中で自分を見つめ直し迷いを断ち切ることが重要であるというような話になっていく。そして極めつけは迷いを断ち切り人として変わり得たとしてもそれが善き方向(他人を思いやる人間)に変わっているのでなければ脱出は叶わず、それどころか通路に取り込まれ怪異となって異変の一つとなってしまう、しかしそれは誰がどんな基準で判定しているのか!
 勝利条件が明確だったロジカルなゲームはここでスーパーナチュラルなお話に変貌してしまった!

 ということでこれは原作ゲームと名前だけが同じな別な何かである、異常な状況に置かれた人間がその極限状態の中で自己を見つめ直し善き人として生まれ変わるという感動のドラマをやりたいならそういう設定でやればよい。
 やりたいことは違うのにタイトルだけネームバリューのある原作の名を冠している映画がある(けっこうある)そうしないと資金が調達できないのかもしれないが私はそれは倫理的でないと感じるのだ。
 この映画は「出口8番」と名付けたため間違い探しから逃れられず(あたりまえだ)話が途中でねじれてしまっている。最後が感動っぽく終わっているので満足している観客が一定数いる(らしい)が感動は免罪符ではない。

 このシンプルなミニゲームが映画となりうるのだろうか、名前だけ同じでまるで違うものになっているのではないか、いや、ひょっとしたら原作を生かした奇妙な味のドラマとなっているかもしれない、と大いなる不安とかすかな期待をもって劇場に足を運んだ私にとってやっぱりな結末になってしまった。
 これはほぼ地雷と知りつつ足を踏み入れ地雷を踏んだ私が悪いので金を返せとは言わない、しかし絶対にお勧めしない。時間があれば原作ゲームをやるべきだろう、1時間半くらいは余裕で楽しめることを保証する。470円だし。


 




 映画の監督によるノベライズである、
 映画というものは基本客観視点で作られているので登場人物が何を考えているかは観客の受け取り方次第だ、しかし一人称の小説ではそこが明確な言葉になってしまう。「ここは自分の罪と向き合い反省させるプログラムだ」とか「自分は都合の悪いことからずっと目をそらしてきた」とか「変わりたい」と言われればそれが唯一無二の真実になってしまう、表現すべき心の内を言葉にしてしまえばもはやそこにドラマはない。読者が物語を自分なりに解釈し個々に感想をいだくのが小説の面白さではないのだろうか。
 私はライトノベルを読むのだが未熟な作者の未熟な小説(のようなもの)にありがちなのが登場人物の内面を書いてしまうことだ。『それを見て××はこう思った「こんなことは許せない」』というような文章だ、彼らはそれが小説であると思っているらしいがそうではない、小説とは登場人物の行動そのものなのだ。
 というわけで、この『8番出口』はその「小説のようなもの」でしかない