2024

 



 私(プレイヤー)は蛍光灯に照らされた無機質な通路にいる。長さは10メートルほどだろうか、床はツヤのあるタイルと点字ブロック、壁もタイル貼り、壁に行き先掲示板があるのでおそらく地下鉄改札口と地上出口をつなぐ地下通路なのだろう。



 先に進むと通路は左に折れ、数メートルの短い通路を経て右に折れる、その先は40メートルほどの通路になっている、左の壁には広告、右壁には従業員専用の扉と消火栓などがある、通路はその先で左に折れている・・とその角を曲がって中年の男が現れた、右手にバッグ左手にスマホを持つビジネスマンらしきその男は速足に近づき、すれ違って後ろの角を曲がって消える。


広告のある通路

 その広告のある長い通路を先に進んで左に曲がると短い通路があってまた右に曲がる、その先はスタート時に似た10メートルほどの無機質な通路、進んで左に曲がり右に曲がるとそこは40メートルほどの通路で左に広告、右に鉄扉、??と思うや前方の角を曲がって先ほどのビジネスマンが現れる、え!と思って先に進み、ビジネスマンとすれ違って彼が現れた角を曲がりその先を右に曲がるとスタート時と似た通路、いや、これは似ているのではなく同じ場所に戻っているのではないか? さらに先に進んで左-右と曲がるとまた左に広告のある長い通路、角を曲がって現れるビジネスマン、この通路はループしているのだ!

 反転して来た道を戻る、左に曲がって短い通路、その先を右、そこはスタート時の場所のはずだ、そこには先ほどすれ違ったビジネスマンが立ち止まっていてスマホをいじっている、男を追い越して更に逆にたどる、左、右と曲がる、と広告のある長い通路に出る、しかしその広告は「左側」にある、通路がループしているなら広告のある通路の反対側に出るはずで広告は右壁にあるはずだ、と思うやビジネスマンが前方の角を曲がって現れた、ならばこれはループではない。
 ここは前進しようが反対方向に進もうが、必ず最初の通路に最初と同じ向きに戻される閉鎖空間なのだ、いったい私はどうすればこの閉じた空間から脱出できるのだろうか?
 というゲームである。


スタート地点


 ゲームには脱出ゲームというジャンルがある、主人公がどこかの部屋に閉じ込められているところから始まり、プレイヤーはその部屋を探索してヒントやアイテムを探し出し仕掛けを動かして脱出するといったゲームだ。
 この8番出口もそのバリエーションと言ってよい、しかしそのゲームデザインは尖っている、操作はマウスで視点移動、キーボードで前進、後進、横移動というFPSスタイルだが操作するのはそれだけだ、つまりプレーヤーにできるのは「見る」ことと「歩く(走る)」ことだけで「調べる」ことも「取る」ことも「使う」こともできない。
 それで一体何ができるのか、ゲームになるのか、そして何より「それで面白くなるのか」ということになるのだがこれが「面白い」

 これからゲームをする(かもしれない)人にこのゲームをイチから楽しんでいただきたいので詳細については触れないが、コンピューターゲームが世に現れて半世紀、まだ目からウロコといったゲームが生まれる余地があるのだなあと感嘆したとだけ言っておこう。
 まあ、このゲームはリアルな画面描写で有名なUnreal Engine(・・;)という開発ソフトがあって実現できたゲームであり、たとえアイデアがあっても昔なら不可能だったろう、というかフォトリアルなCGがあって初めて発想されたゲームかもしれない。

 配信元のSteamにはプレイ時間15~60分と書いてあるが、勘のいいプレイヤーが集中してプレイしても30分を切るのは難しいと思われる、私は細切れでプレイしたのでクリアまでに2時間以上かかってしまった、そしてコツをつかんだ今は1回5分もかからない、つまりこれは初見の1発勝負のゲームなのだ(なのでプレイする前に攻略サイトなどを見ないようにする必要がある)とはいえこれが2度目をやる価値のないゲームであるかというとそうでもないあたりが面白いところで、全てをつかんだはずの私でも何周かしていると「え、今のミス?何でだよ!」となることがあるのだ、そんなあたりもまた秀逸なゲームデザインの証であると言えるだろう。

 シンプルなゲームをお手軽価格470円でお楽しみくださいという斬新なこの作品は、ゲームなどやったことがないというあなたにも、超大作コンピューターゲームに飽いたあなたにもお勧めできる1作である。
 
 ※このゲームはPC専用でありプレイするためにはゲームの配信サイト「steam」で入手する必要がある。最近口コミで評判になったためか「8番出口がプレイできる」「ダウンロード出来る」と称する詐欺サイトが散見するようになったらしいので注意が必要である



溜池山王にて

 このゲームの地下通路にはモデルになった場所があるらしいのだが作者が秘密にしているので「あそこではないか」「いやここだろう」といった探求合戦が行われていたりする。
 地下鉄で通勤する私もゲームを始めた途端「これは溜池山王だ!」と思ったくらいで日常的に地下通路を使う者にとってこれは思い当たるフシがありすぎる風景だ、そのリアルな日常風景がシームレスに非日常に切り替わる怖さがウケているのだろう。

 



Lunar Lander

 昔むかしゲームセンターに「Lunar Lander」というアーケードゲームがあった、月着陸船を操縦して月面に軟着陸させるATARI製のゲームだ。
 ゲームをスタートさせると着陸船は月面上空2000フィートに居て自由落下している、そのままだと月表面に激突してゲームオーバーとなってしまうのでプレイヤーはメインエンジンを吹かして制動をかけタッチダウンの瞬間には相対速度をほぼ0にしなければばらない。
 また月面には峨々たる山が連なっていて着陸出来る平面が少ない(斜面に接触してもゲームオーバーだ)そこでで着陸船の角度を変えメインエンジンを横方向に吹かして着陸場所へ誘導する必要もある。
 出来るのは着陸船の角度を変えることとメインエンジンを吹かすことだけという極めてシンプルなゲームだが、月の重力やエンジンの推力 燃料消費率の表現が極めて自然でゲームというよりは着陸シミュレーターといった趣があった。

 このゲーム最初は燃料が豊富なので楽に着陸シークエンスを進めることができる、スタート位置から遠い着地地点(得点が高くなる)まで移動するのも楽だし、降下中に何度もホバリングして位置を微調整することも出来る、しかしだんだんと燃料の設定が厳しくなりムダのない噴射をこころがけないと燃料切れで月面に激突するハメになる。

 人類初の月面着陸を果たしたのはアポロ11の着陸船イーグルだが、最終段階になって着陸予定地点に大きなクレーターがあることがわかりアームストロング船長は残り少ない燃料を消費しながら横移動するハメになった(タッチダウンしたとき燃料は残り30秒だった)このLunar Landerはアポロ計画を、というかまさしくこのイーグルの着地を念頭に作られている。

 さて今月20日深夜、日本の探査機SLIMが月面着陸を果たした、午前0時から始まる実況中継をリアルタイムで視聴していた私はJAXAの提供する「特殊QL画面」を見て「これはLunar Landerだ!」と思った。このQL(QuickLook)というのはSLIMから送られてくる各種データーを視覚的に表現したもので、SLIMの高度、加速度、姿勢、エンジンの出力、燃料およびバッテリーの残量が感覚的に理解できる優れものなのだが、その姿勢、高度のグラフィックが Lunar Landerそっくりなのだ。



 着陸シークエンスの最終段階、SLIMはいったんホバリングして着陸地点に障害物がないかどうかのチェックモードに入るのだが、そのホバリングの最中にも燃料は容赦なく消費されていく、0%に向けて減っていくFuelゲージを見ながら私は「この焦燥感はLunar Landerだ、40年の時を超えたリアルLunar Landerだ」と思ったのだ。

 Lunar Landerに思い入れがあるのは私だけではなかったようでATARIは Lunar Landerのリメイクである「Lunar Lander Beyond」というゲームを2024年中に発売すると発表した、この発表が19日(時差を考えるとSLIMの月面着陸と同日)だった、囲碁の「アタリ」から社名を取ったATARIのことなのでこの日取りは意外と偶然ではないのかも知れない。


 



地雷グリコ


 同じ主人公が活躍する学園ものの短編5部作、その第1部がタイトルになった「地雷グリコ」である。
 都立頬城高校の文化祭に参加する団体にとって出展場所一番人気なのは新校舎の屋上だ、ここには1店舗しか出店出来ないため希望する団体はトーナメント式のゲームに参加し優勝する必要がある。このゲームは「愚煙試合」(馬鹿と煙は高いところが好き)と呼ばれている。

 今回の愚煙試合で決勝に残ったのはオープンカフェを開く生徒会とカレー店を開きたい1年4組、行われるのは文化祭実行委員考案のオリジナルゲームだ。
 勝負の舞台となったのは学校近くの神社の階段、そこで両者の代表がジャンケンを行い勝った方が勝った手の文字数だけ階段を昇っていって登り切った方が勝ちというつまりは「グリコ」だ。
 しかしこのゲームには追加ルールがある、プレイヤーは階段に3つの「地雷」を仕掛けることができ、敵プレイヤーは地雷を踏むと10段下がらなければならないのだ、プレイヤーが申告した地雷の位置は審判が把握している。
 聞いてなるほどこれは「カイジ」なのかと思った。既存の伝統的な(あえて言えば子供じみた)ゲームに簡単なルールを追加することでそのゲームがたちまち戦略性に富み、心理戦、騙し合いを含めた知的な戦いになるという作品が今はマンガの1ジャンルを形成してる、その嚆矢となったのが福本伸行の「賭博黙示録カイジ」であり、ブームの引き金となったのがカイジ最初のゲーム「限定ジャンケン」だ。
 借金まみれの若者カイジが一発逆転を狙って勝てば一攫千金負ければ命の保証はない(?)という闇ギャンブルに参加するというマンガだが、その最初のゲームがこの「限定ジャンケン」でルールは以下のようなものだ。。
1・参加者達には星型のバッジ3つとグー・チョキ・パーの手が描かれたカードが4枚づつ12枚が配られる。
2・参加者同士1:1でカードを出し合いジャンケンを行う。
3・勝った側は相手から星1個を取得できる。
4・使用したカードは勝敗に関係なく破棄されグー・チョキ・パーそれぞれが場に何枚残っているかはリアルタイムで公表される。
 というのが「限定ジャンケン」だ。
 勝利条件は時間内にカードをすべて破棄することと星3つ以上を手にしていること。
 基本的にはただのジャンケンでしょと読者は思うわけだが、読み進めていくとこれが戦略性に富んだ知的で奥深いゲームであることがわかってくる。

 実際登場人物が「これこれこういうわけで必勝法がある」と言うと、なるほど!と思ってしまうが「いやそれにはこんな穴がある、これが正解だ」と言われるとやはりなるほど!となってしまう、その都度隙のない(ように見える)理屈に納得し、また更に上をいかれるという「騙される快感」で読者を魅了したこの作品はマンガ界に大きな影響を与えその後多くの派生作品を生み出した。

 カイジっぽいな~と思いつつ本作を読み進めていくとやはりこの地雷グリコは単純でありながら奥が深くやがて「これこれこういうわけで必勝法がある」と言われるとなるほど!と思ってしまい「いやそれにはこんな穴がある、これが正解だ」と言われるとやはりなるほど!となる展開になっていく。

 カイジの派生作品はマンガしか思いつかないのだが、小説でも知的な推理物に興味があり自信もある作家ならチャレンジしたくなるだろうとは思っていた、私が知らないだけでとっくに発表されているんじゃないかとも思っていたのだが実際に手にしたのはこれが初めてである。

 しかしカイジっぽいなーとは思うものの、作家本人にそのつもりはなく似ているのも偶然の産物であるならば影響を受けたと決めつけるのは申し訳ないと思いつつ読みすすめると。
 出ました! 第3部「自由律ジャンケン」
 そうだよねーカイジにやられてしまった人間なら、それが作家なら、知的ゲームが得意だという自負があるのなら「俺の考えたジャンケン」をやりたいよね。というわけでこの青崎有吾は私にカイジシンパというレッテルを貼られてしまったのだった。

 <話は変わるが私が史上最高の短編ミステリーと思うのはハリイ・ケメルマンの「9マイルは遠すぎる」だが、古典部シリーズ(「氷菓」と言ったほうがわかりやすいかもしれないが)の中で米澤穂信は「心あたりのある者は」というオマージュな短編を発表している、これもミステリー作家となったからには俺の9マイルをやりたいよねといった感じではないだろうか>

 カイジ派生作品という確信をもって更に読みすすめていくと、政治家、社長、文化人を多数輩出する秘密主義の超エリート校という怪しさ満点の私立高校が出てきた。その高校では生徒会の主導で「実践向上(キャリアアップ)」という名のギャンブルが常に行われており、生徒間で動く金は10億だというのだが、いやここまでぶっちゃけるか?と思った。
 政治家、富豪、その他社会的に成功した人間の子女が通う学校で秘密主義、親の影響力で不祥事などはもみ消すことが出来るエリート校、というのはラノベ、ラブコメで512回くらいは見た設定なのだがこれを一般小説でやるか、と思ったのだ。
 更に言うと、先にカイジ派生のギャンブルマンガが多数存在すると書いたわけだがその中でもヒットしているのが「賭けグルイ」(作 河本ほむら/尚村透)だ、このマンガの舞台は私立百花王学園「上流階級・政財界の子女が数多く通う名門校」であり生徒会主導で大金を賭けたギャンブルが常に行われている、生徒会への上納金によって生徒はランク付けされ、下位100位になると人権を剥奪され上位の生徒から家畜のような扱いを受けるというお話だ(いずれ社会に出て上流階級になる人間はいざというときの勝負強さと人を使う訓練をする必要があるかららしい)
 この「階級制度」はぶっとび過ぎだが、上流階級だけを集めた秘密主義の学校があって内部では生徒会主導の元、生徒同士が大金を賭けたギャンブルを行っているという設定の相似性は偶然とは思えず、カイジが気になる作家は賭けグルイも視野に入れるよねえと私は思ったのだが、それにしてもこれは一線を越えているのではないか、マンガは抽象化の度合いが高いので現実社会とかけ離れた設定でも違和感を感じないしラノベもまたしかり、しかし一般文芸作品でここまでぶっちゃけるとさすがにそれは無いという反応が返ってくるのではないだろうか。

 ところでその賭けグルイだが、主人公蛇喰夢子(じゃばみゆめこ←凄い名前である)の最初のゲームが「投票ジャンケン」である、やはりジャンケンなのだ「カイジにやられてしまった人間なら、それが作家なら、知的ゲームが得意だという自己認識があるのなら(以下略)」としか言いようはない。
 何が言いたいのかというと、カイジの影響下にある「独自ルールのゲームによるギャンブルマンガ作品群」というジャンルが世の中には確固として存在するということであり、この小説もまたその末裔であるということなのだ。
 念のため言うとオマージュとリスペクト(パクリ、パクられ)は創作の常であり、これらの作品群が似た設定を使い回していることは何の問題もない、むしろこの作家はこのネタをどう料理するのかと楽しみになるくらいだ、読む側はそれが歴史の産物であることくらいは知っておいたほうがいいだろうとは思うのだが。

 ということでこの地雷グリコはカイジ派生作品と決まった(!)わけだが、1作品として俯瞰してみると、先人たちのそれと比べてやや弱い。主人公の造形がイマイチで魅力を感じないという問題はあるものの、ルールとゲーム進行については充分に練られていて不足はない、しかし読後の印象が薄いのだ。なぜなのかあれこれ考えてみた結果これは読書スピードの問題なのではないかという結論に至った。
 こうした作品は最初の見た目とは違って中身が濃く奥が深いので一般小説のスピードで読み進めていくと理解が追いつかず「これこれこういうわけで必勝法がある」と言われるとあ~なるほどね~と真の理解をすることなく先へ進んでしまうのだ。作品内部には作者の用意した言ってみれば落とし穴のようなものが多数存在するのだが、穴に完全に落ちる前に先に進んでしまうという感じだろうか、なので騙される快感が弱く結果インパクトが弱くなるわけだ。
 またカードゲームのようなものはいくら口で(文章で)手札の内訳を説明されてもそう記憶できるものではない。
 本当を言えば紙と鉛筆を用意して、ルールを書き止めゲームの進行状況を図にしておくのがいいのだろうが通勤途中に読書することが多い私にはそんなことは出来ない、もっと恵まれた読書環境にある人間でもそこまでする人間は多くないだろう。
 ではマンガであればどうなのか、いきなり書籍化されるマンガはまず無いのでたいていのギャンブルマンガは(カイジも賭けグルイも)週間連載である、なので1つのゲームが終了するまでに何週間もかかる、読者は強制的にブレーキをかけられているわけで内容を咀嚼する前に先に進んでしまうという問題が起こりにくい。また当然ながらゲームの進行状況、手持ちの札などの情報はグラフィカルに表示されているので理解しやすく記憶に残りやすい。
 つまりカイジワールドはマンガ向きなのだ、小説で今まで目にしなかったというのも私が寡聞に過ぎただけではないのかもしれないと思う。
 (なのでこの地雷グリコはコミカライズしたりアニメ化したりすれば大化けする可能性がある)

 結論としては「面白い試みの小説ではあるが内容と表現形式(小説!)にミスマッチがある、どうにもならない部分ではあるが惜しい」といったところだろう。
 お勧めできるかどうかは微妙だ、これを読むならカイジ的ギャンブル物ではないが学園物として似たテイストの古典部シリーズ(氷菓)を読んだほうがいいだろう、こちらの方がキャラが立っているし理解、記憶すべき情報の量と読書スピードのバランスが良いからだ。


 これだけ持ち上げて肝心の「カイジ」はお勧めしないのかと思う向きもあるだろうが、このマンガは凶器のように尖ったカイジの造形などクセのある画風なので万人に手放しで勧めることは出来ないのだった。